修学旅行2007年08月17日

久しぶりの徹夜。
k.m.p.というライターさん二人のユニットがあって、「エジプトが好きだから。」をはじめとする楽しい本を色々と出している。
彼女たちが前に本で書いていたのだけれど、道を歩いていたり、事務所の玄関先で立ちっぱなしだったりしながら、よく「立ち話」をするそうだ。これからのことや、次に出したい本の話や、色々。「喫茶店にでも入れば?と人は思うだろうけど、今、ここで、じゃなきゃダメな気がして動けない」とあって、ああこれはわかるなぁと思った記憶がある。
会話というのはとても儚い存在だから、「今日はここまで、明日続きをね」という訳にはいかない。それが生まれる時間や場所や、もちろん交わす相手によって、それは様々な色の花を咲かせ、様々な果実を実らせる。でも、意志の力でコントロールできるもの……ではない。そして芽生えたばかりの双葉のように、ちょっとしたことでつぶれ枯れてしまうこともある。
修学旅行の時、ついつい夜中まで会話をして騒いでしまうのは、子供にとっては会話が生まれたと思ったら「はい続きは明日ね」という大人の一言によって無惨に消え去る繰り返しから初めて逃れられる(ような気がする)時間だからかも知れない、と思う。

可能な限り、言葉を交わしていたいという気持ちは私の中に常に沈滞していて、ちょっとしたきっかけでふと浮かび上がってくる。
そういう意味では、チャットシステムなんてものは、ある意味では危険きわまりない代物であり、別の意味では夢のツールなのかもしれないが……。
と、徹夜でチャットして3時間寝て起きた頭で、ぼんやり考える。