大いなる沈黙へ2014年09月16日

 先日、「大いなる沈黙へ」という映画を観てきました。映画を観るのは1年ぶりくらいです。
 フランスのグランド・シャルトルーズ修道院の生活を撮影したドキュメンタリーですが、ナレーション・音楽・照明が一切なく、監督が修道院の中で修道士たちと同じ生活を送りながら撮影したものです。
 グランド・シャルトルーズ修道院は、修道院の中でも戒律が厳しいところで、自給自足生活と一日五回の祈祷、祈祷で捧げられるのは朗読と歌(楽器は禁止)、修道士たちは独居房で暮らし、日曜日に屋外に出る時間以外は本当に必要なものでない限り基本的に会話をせず、という生活です。

 ナレーションも音楽も照明も一切ないという映画の作りはとてもいいもので、観るこちらも、修道士が神に対してひとり対峙するごとく、映像にひとり対峙することができます。
 自分でこんな感想を書いておいて矛盾きわまりないのですが、この映画については、パンフレットの中の著名人の解説も、ネットのレビューも、どんなに優れた内容であろうと、無意味というか夾雑物にしか見えなくて、どれも読む気にはなれません。

 映像や空気感が美しいとか、修道士たちが満ち足りているとか、生活の中の自然に生まれる音の豊かさとか、言葉を尽くしてその素晴らしさを賞賛することはできるのですが、そのこと自体に意味を感じられないというか。

 神の実在、というものの前には、人間の言葉はあまりにも矮小な存在にすぎない。という神学的な真理が、まさに言葉としてではなく、実感として降りてくる時間です。