台北最終日2013年01月05日

もうすぐ帰国便に乗ります。
最終日は、午前中がフリーだったので、軽鴨の君に連れられて謎の現地系の市場の中にある食堂で朝食でした。軽鴨の君は冒険家なので、大抵観光客が行きそうにないところで食事になります……(笑)。什錦湯麺(五目そば)でしたが、スープがとても美味しかったです。素朴だけど色々な味わいが溶け込んだ贅沢な味。
最後のツアー観光は、とどめの故宮博物館でしたが、ここはツアーで行くところじゃないですね……。2時間くらいじゃ到底回れません。いつかフリーの旅行でゆっくり回ることにします。書画なども見てみたかったのですが、有名な翡翠の白菜とか見てたらあっという間にタイムアップでした。

もうすぐ飛行機に乗って、羽田からさらに交通機関を乗り継いで、自宅に着くのは夜中になりそうです。

日月譚2013年01月04日

台湾三日目。今日は日月譚という湖の観光でした。山の中にぽっかり現れる湖で、地理的条件はちょっと違いますが、雰囲気は芦ノ湖とかにちょっと似ている気がします。
孔子と関羽を祀った文武廟というところがあり、道教らしい華やかな廟でした。1999年にこの地域を襲った大地震で、文武廟はじめ周辺の建物はほとんど壊滅したそうですが、民間の寄付によって再建されました。寄付した人の名前がびっしりと刻まれた塀は圧巻です。台湾だけでなく、日本や中国、欧米の色々な国から寄付があったのが伺えます。
現地のガイドの人の説明も、他の地域とはちょっと違った雰囲気があって、何か通り一遍ではない感情が残る場所なのかもしれません。

台湾新幹線で台北に戻り、夜はフリーだったので、新しいガイドブックに紹介されていた、ベジタリアン料理を出すお洒落なお店でいただきました。おしゃれなのですが仏教系の経営だそうで、お店の中には仏像も飾ってあります。でもイタリアン。でも表参道にありそうな洗練された雰囲気と内装。面白い組み合わせ。
お店の人と片言の英語でコミュニケーションしましたが、日本のガイドブックに載ったのは知らなかったようで、本を見せたらものすごく喜んでページをコピーしていました。

台北は結構寒いです。高雄は熱帯なのに寒い、などと言ったばちが当たったのでしょうか。震えてます(笑)。まあ日本の晩秋から初冬くらいの寒さなので、全然暖かい方なのでしょうけど。

花蓮・高雄2013年01月03日

台湾東部の花蓮で、台湾最大の国立公園・太魯閤の景勝を観光し、鉄道で移動して今は高雄です。
高雄は熱帯と聞いていたので、さぞやあったかいだろうと寒がりの私は期待していたのですが、たまたま寒波なのかそれともこういうものなのか、意外と涼しくて、ショールが手放せません。頭からショールをかぶって冷える耳を隠しているのですが、ムスリムの人と間違われそうな風貌になってます。
高雄は、蓮池譚という小さな湖の観光をしました。蓮は季節ではないので、存在を示す程度でしたが、恐らく花の季節にはさぞや湖面を埋め尽くして美しいだろうと思います。
ここには九重の塔が二つ連なった建物が湖面に張り出して建てられていて、片方の入り口が龍の口に、もう片方は虎の口を模しています。神聖なる龍の口から入り、凶暴な虎の口から出ることで、穢れや悪行が祓われるのだそうで。
道教らしい、日本人の感覚からするとややキッチュな装飾ですが、遠くから見ると鮮やかな色彩が湖に浮かんで、不思議な美しさがあります。

夜はフリーだったので、高雄の街の屋台を色々見て、夕飯を食べるところを探して彷徨った末、一皿100ニュー台湾ドル(約320円)で料理を出す現地系のお店でたらふく食べました。
炒飯が、薄味なのに胡椒を効かせた味わいで、なかなか食べられない美味でした。路上に椅子とテーブルを並べて、ビニールで壁を作った、屋台以上店舗未満という感じなんですけど。
𠮷野家の牛丼1杯の値段で、肉も野菜もたっぷり入った料理が二皿食べられるわけですから、台湾のおじさんたちは食については日本より恵まれていると言えそうです。

九份2013年01月02日

台湾にやってきました。
今年のお正月休みは長いので、旅行好きの軽鴨の君の心が騒ぎまして、年末にえいやっとツアーを申し込んで、あれよあれというまに気がつくと台湾です。朝早い飛行機で日本を発ったので、今これを書いていても半分寝ているような気がします。
今日は九份という街を観光でした。ここはトニー・レオンが主演した「非情城市」という映画の舞台であり、また日本では「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルになったところとして有名です。私はどちらも見てないので、猫に小判という気もしますが。小さな集落しかなかった村が、120年ほど前に砂金が出てゴールドラッシュに沸いたあと、忘れ去られていたところで映画で注目され、という歴史を歩んでいるところなので、古い街並みが残りその素朴さを求めて来る人も多いそうです。
ノスタルジック、と表現される街並みは、変な表現ですがやや盛りをすぎた温泉街のような雰囲気です。恐ろしく急な傾斜の階段をのぼっていくと、よくわからない品物が山と売られた土産物屋がみっしりと並び、その中にぽつぽつと、ものすごくおしゃれなカフェや雑貨屋などがあったりして、空間がまっすぐではなくぐにゃぐにゃ曲がってるような気がしてきます。

食事は2回ありましたが、どちらも非常に美味しかったです。基本的に中華料理なのですが、ベースの味わいがやさしいというか、淡白で口当たりがよく、たくさん食べてもくどくないし飽きないです。香港よりも日本人の口に合うかもしれません。
あ、でも、まるで下水のような匂いを持つ独特の発酵食「臭豆腐」の串焼きが屋台でばんばん売られてたのはびっくりしました……。温泉街の通りで、クサヤの干物を大量に焼いて売るようなもんじゃないかと思うのですが、事情通の人のお話では、台湾では結構よくある光景だそうです(笑)。

自分のために作る人2012年10月18日

 世の中には二種類の人間に分類される。料理をするのが好きな人と、そうでない人。
 そして、料理をするのが好きな人は二種類に分類される。他人のために作るのが好きな人と、自分のために作るのが好きな人。

 私は昔から料理をするのは嫌いではなくて、今でもそこそこには作る。私が料理を作り始めたのは大学生になってからなので、人生としては歴史は浅い方なのだが、それでも?年のキャリアにはなっている訳だ。
 昔の私は、割と典型的な、他人のために作るのが好きな人だった。人が集まるところではよく料理を作ったり、お菓子を持っていったりした。他人が食べるのを見て自分は食べないこともあったくらいだ。私の実家は、色々な事情で大人たちがとても多忙な家で、台所は母が一手に切り盛りし、私はあまり手伝いというものをしなかった。(単にさぼっていたとも言えるが) なので料理を作るというのは、私にとっては家を離れる象徴であり、また同時に憧れでもあった。その憧れは「ホームを作り出す主婦」で、いわば竃の女神ヘスティアのようなイメージだった。私にとって料理が、他人のために作るものだったのは、そういう経過をたどったせいだろう。
 やはり大学時代に、森鴎外の娘にして恐るべき女性、森茉莉のエッセイを読んだら、「私は他人のために料理はしない。自分が楽しむために料理をする。病人のお見舞いなどで料理を持っていく時も、自分の分と二人分作って一緒に食べる」といったくだりがあって(記憶で書いているので多少違ってるかも知れないが)、なんというかすごいなぁ、よくわからないけど、という感想を抱いたものである。

 ところが、不思議なもので、今の私はもっぱら、自分のために作る人である。
 他人が集まるところでも、あまり自分の料理を持っていったりしなくなった。買ったものを持っていく。自分で焼いたお菓子などを手土産にすることもほとんどない。
 それは森茉莉のような強く誇り高い自意識のなせるところでは全然なくて、単純に、自分の料理やお菓子というものが、特に他人様に喜んでもらえる種類の、質や方向性を持ったものではないということに気づいたせいだと思う。
 ただでさえ、お菓子を作ると砂糖も卵もバターも使わないレシピだったり、肉を自宅では調理しなかったりと、少々変わった調理生活を送っていることに加え、別にそんなに特別料理も製菓も上手ではなく、せいぜい人並み、あるいはそれ以下なことを、さすがにこの歳になると思い知ってくる。
 外食中食産業の発展と、食べ道楽な軽鴨の君の情報網のおかげで、持っていけば間違いなく他人様が大感激するお菓子も惣菜も手に入る。であるなら、何も私がわざわざ包丁を握る必要はない訳だ。
 なので今は、他人様に持っていくものは買ったものである。

 それでも自宅で料理をしたり、お菓子を焼いたりするのは、もっぱら自分のためだ。私は単純に、料理をするのが好きである。あれこれ試し、できあがったものがひどい有り様でも、自分一人が食べるのならそれはそれで楽しい。失敗しても笑って済ませられる。そこには成果を挙げるという言葉が存在しない。ただ、過程を楽しむ時間があるだけである。食べることは、作ることの過程の最後のしめくくりに過ぎない。
 そんな流れで作ったものを他人様に出す訳にはいかないから、私は自分のために作る。他人のために作ることは、嫌いなのではなく、できないというのが近いのだろう。私が最近、人の集まりに自分の料理やお菓子を持っていくのは、かなり変わったレシピや食材を紹介するためであることが多い。

 ただ、軽鴨の君だけは、私のこの流れにつきあわざるを得ない訳で、時々彼は珍妙な料理を食べさせられて複雑な顔をするはめになるのである。気の毒な話である。
 もし私がお金持ちだったら、軽鴨の君の理想とする料理を毎日作るお手伝いさんをびしっと雇って、そんな気の毒な状況にならないようにするのだけれど。

決まった音2012年09月05日

 窓を網戸にしていると、外の音や匂いが家の中によく入ってきます。家の中で益体もない思考に沈んでしまっている時には、現実に引き戻してくれるので、こういう刺激が多少必要なのかも知れません。
 どこかでカレーを作ってるなぁとか、虫の声が秋に近づいてきたなぁとか、これもまた別に役に立つ訳ではない刺激なのですけど、人間の現実というのは案外こういうものが基盤になっている気がします。

 最近ご近所のお子さんが、ピアニカに熱中しているらしくて、毎日昼から夕方にかけて、演奏している音が聞こえてきます。レパートリーは2曲くらいしかないようで、「勇気100%」と童謡の「手をたたきましょう」です。メロディが途切れ途切れに、ひたすらにリフレインされます。
 人によってはいらいらする音の風景かも知れませんが、ピアニカの音がユーモラスなせいか、妙に笑いがこみあげてくる感じです。何となく、鳥のさえずりを聞いている感覚に近いかも知れません。

 それから、ご近所なのかわかりませんが、夜にわが家の近くの道を通るらしき人がいて、この方がいつも同じメロディを口笛で吹いています。見事な口笛で、かすれや音色が毎回ほぼ同じに再現されるので、録音かと思うくらいです。
 しかし、通っている人を見たことはないので、一体誰なのかはわかりません。謎の口笛の人です。

 ピアニカの音がひとしきり鳴った後、日が落ちて、カレーの匂いがただよい始めたと思ったら、口笛が聞こえてくる。通り過ぎた後に、りんりんと虫の鳴く声が空気を満たしていく。私の最近の宵の風景は、こんな感じです。

超高層風景2012年09月04日

展望台からの風景を色鉛筆加工してみました
 ちょっと前の話なのですが、東京スカイツリーに行ってきました。
 およそ流行りものとは無縁な生活をしているので、東京スカイツリーも、あと5年くらいは行かないんじゃないかと思っていたのですが、機会に恵まれまして、これが無欲ゆえの巡りあわせというやつでしょうか。

 旬のスポットということで、どのコーナーへ行っても長蛇の列と黒山の人だかり。遊びに行くというより途方に暮れに行ったような有様でしたが、放っておくとどこどこまでも引きこもる私には、たまにはこういう経験が必要な気もします。でもお土産はさすがに買えませんでした。ものを選ぶとか物欲をかきたてるとかにも、体力と気力が必要なのだという事実を深々と実感です。

 夏の東京ゆえのスモッグがかかっていたので、450階の展望台はパスしましたが、350階の展望台でも十分、高さは味わえました。

 煙と何とやらは高いところが好きと言われ、高いところが好きだけれど煙ではないのでたぶん何とやらにカウントされるであろう私は、東京タワーにもサンシャイン60にも行ったことがあります。
 正直、展望台から見下ろした時の感想は、それらとそれほど異なるものではなかったです。ああ、高いなぁ、色々ちっちゃいなぁ、とそんな感じ。
 ところが、面白いことに、降りた後に、それらでは経験したことのない感覚を味わいました。
 展望台からエレベーターで降りて、スカイツリータウンから外を見る、その視界に映るビルや建物の姿に、ぎょっとするような違和感を覚えるのです。ものすごく大きく見えるというか、ビルや建物が自分の目線の「上」にそびえているのが強烈なまでに不自然に感じられました。
 ほんの数分でその違和感は消えて、ビルはいつものビルになり、建物を見上げることはごく当たり前のこととなったのですが、この感覚の違いは驚異的でした。今まで登ったどの展望台でも、こんな体験はなかったです。
 空撮映像を主としたテレビ番組などで、急にカメラが空撮映像から地上の風景に切り替わっても、あんな違和感は覚えないので、どうやら切り替えの急激さが原因ではなさそうです。それとも映像で見るのと、実際に目視するのとでは、感覚に与える影響が異なるのかも知れませんが。

 SFなどで生まれた時から軌道エレベーターの上で育った人類が地上に降りてギャップを覚える、なんて話はよく出てきますが、そういうエピソードが妙な実感として迫ってきたひとときでした。

共通点2011年07月31日

 軽鴨の君と外出して、少し時間が空いたので、カフェで一休みしてました。日曜日のターミナル駅は、意外とちょうどいい喫茶店がなくて、あってもひどく混雑していたりお休みだったりします。しばらくカフェ難民になって歩き回った末に、とりあえず腰をおろして桃のタルトと紅茶を頼むことになりました。
 おしゃれな大きいカフェの中は大混雑で、小声で話をすることが不可能なくらい賑やかでした。ひとりひとりの声が、オーケストラの楽器のように少しずつ積み重なって重層的なうねりになり、室内をカプチーノの泡のようにもったり包み込んでいます。

 たまたま隣に座っていた男女の二人連れの会話が、聞くともなく聞こえてきました。
 若い、生真面目さと陽気さをミックスして泡立てたような雰囲気の青年が、同年代の女性にずっと話をしています。

 そんな彼が、自分の仕事の状況をしきりに語っていて、私はふと微笑みたくなりました。
 彼の仕事は、少し特異で、そして奇遇なことに、隣にたまたま座っている軽鴨の君が若い頃に身を置いたのととてもよく似た種類の立場に、自分を置いていました。
 熱心に自分のことを語る彼は、自分の隣に、話を聞けたら結構な参考になるであろう先輩がいることに、全く気づいていません。
 私の視界の中だけに、その二人の共通点が見えていて、まるで神様がつけたマーカーのようです。私だけがひどく面白く感じるという、不思議な光景。

 自分ではわからないだけで、こんな風に神様がマーカーをつけたり枠で囲ったりするような縁が、実は日々の生活に起こっているのかなぁ、などと思いました。
 だからと言って、特別な何かが起こるという訳ではないのでしょうけれど、もしかしたらこういう光景の積み重ねは、見えない世界では何か意味を持って、私たちのあずかり知らない何かを形成しているのかも知れない……などと、空想した一時でした。

長谷寺、三輪山2010年05月31日

 土日は、奈良の長谷寺と三輪山をめぐるツアーに、軽鴨の君と行って参りました。
 というと結構唐突ですが、ツアーの参加予定自体は半年ほど前から決まっていまして、単に直前まで実感がわかずにぼんやりしていただけです。
 長谷寺はご本尊の十一面観音さまが、千年に一度の一般公開ということで(普段は檀家さんのみが見られるそうです)拝見してきました。足に触ると結縁と御利益が得られるということで、観音さまの足は長年の檀家の皆様に触れられて黒くつやつやと光っておりました。
 境内の愛染明王さまにお参りしたり、山を飛び交う小鳥の声に耳を傾けたり。本堂に入る前につけていただく塗香(粉末状の、体に塗って清めるお香)がいい香りだったのでお土産に購入したり。
 長谷寺は花の寺として有名で、源氏物語にも出てくるくらいですが、今年は気候不順で見られたのは牡丹のみでした。それでも新緑と、鮮やかな花は見事なものですけれど。

 長谷寺付近の町は、本当に完全なる門前町で、お寺関係のお店(土産物屋含む)と旅館と民家以外、何もないという感じ。ローソンはあったけどつぶれちゃったとは、泊まった宿の仲居さんの談……。
 長谷寺近くには名物の蓬餅を売る店があちこちにあって、その中でも寿屋さんというところの蓬餅は、天然ヨモギを使っているということで、ひとついただきましたが草の香りと鄙びた味わいが本当においしかったです。行った時にはすでにほとんど売り切れで、ツアーの時間配分の関係でお土産に買えなかったのが残念無念。


 次の日は三輪山へ。この山が今回のハイライトでした。
 三輪山は、山自体がご神体です。非常に古い、日本最古の部類に入る大神神社によって山そのものが祭られています。大神神社の祭神は大物主大神で、護国・縁結び(恋愛に限定せず広く人間関係の縁を結ぶ)・豊饒・産業発展・酒造りなどなどを司っていらっしゃいます。人間生活全般を守る、大変忙しい神様です。
 なので境内には、大手酒造会社からの献酒として十数個の樽がどかーんと積まれていたり、各種製薬会社からの献灯が祈祷殿の横の細い参道の両側にずらり並んでいたりします。

 ここに入山礼拝するのが目的だったのですが、この山はかなり本格的に「山」。そして神域ですから、撮影飲食一切禁止。荷物を全てふもとのロッカーに預けて、身ひとつで、たすきをつけて黙々と登ります。
 山道の険しさと足元の雰囲気は、小学生の時に登った北アルプスの燕岳を思い出します。片道2kmくらいで、3時間以内で往復でき、登山道は神社によってきちんと整備されているので、一応何の運動もしてないような一般人でも登れるレベルですが、大変です。気合いが必要です。やはり神域です。
 七合目あたりから、疲労がピークになるので、「わざと前に倒れると足が反射的に前に出る」方式で歩くという状態になっていました。
 お酒の神様のためか、空気に何となく、お酒の雰囲気があります。酒粕を入れた料理などを食べた時に鼻に抜ける、あの独特の香りの名残のようなものが感じられるのです。私だけかも知れませんけれど。

 一応思い出した時にスロトレなどしている程度で普段の運動量がゼロに近いので、行き倒れて修行僧の皆様に救出されることになったらどうしようと思っていましたが、何とか無事に下山することができました。
 神社を出て、ぜいぜい言いながらアクエリアスを飲んだのですが、普段だとすごく甘く感じるのに、水のように感じたのがちょっと新鮮な驚き。ああこれくらいの運動をした時に飲むものなんだな……と、どうでもいい発見をしてました(笑)。

 帰りには飛鳥資料館でキトラ古墳を見学しようと思ったら、入り口の待ち時間表示は「0分」だったのに、入ってみると1時間以上待ちという、全然実情と連動してない混雑表示システムであることが発覚(笑)。普通に写真展示を見てきました。


 私の旅行の常で、あまりお土産を買ってこないのですが、三輪山大鳥居のそばの白玉屋栄寿さんの最中「みむろ」と、京都駅で期間限定のよもぎ生八橋を買ってきました。
 みむろは、ほどよい大きさの最中で、皮がほどよりもっちり感があってぼろぼろ崩れず、なかなかおいしいです。よもぎ八つ橋は、草もちっぽい訳ですが、これも結構おいしくて、定番になればいいのになどと思っておりました。


 帰りの東京駅のエキュートに入っていた雑貨屋さんが面白くて、旅行とは関係ないところで散財したりしましたが、とりあえず無事に帰宅です。
 たぶん、筋肉痛が明日か明後日くらいに来ると思います。それが一番怖いな。

荼毘2010年04月15日

 今日、お鳥様のなきがらを天にお返ししてきました。

 動物病院でご紹介いただいた、府中の慈恵院さまには、大変丁寧にご供養をいただきました。
 やわらかなお鳥様のからだは、かごの中で、大好きだった苺や、豆苗や、五分餌や、中に入っているベリーをつつくのがお好みだったクランベリーパンや、大好きだったのに食べてはいけなかったチョコレートや、手向けていただいた花に囲まれて、今もなおつややかでふわりとした自慢の羽根に包まれて、魂の後を追って旅立ってゆきました。
 お骨は小さく、とても華奢で。炎色反応なのか、翼の骨はかすかに緑色かかって。

 お骨になると、少し気持ちが落ち着くものだという話をどこかで聞いて。
 確かにその通りで。
 それでも花に包まれたなきがらを思い出すと、今も視界がぼやけてきますけれど。

 亡くなる直前、お鳥様は一瞬だけ、まるでいつもの元気な時の、ただちょっと寝ぼけているような顔になって、首を動かしてこちらを見て、かすかに、ほんとうにかすかに鳴いたようで。
 不思議なものですね。
 事故に遭って病院に連れて行く道すがら、私は、どうか連れて行かないでください、私の命の半分を差し出しても悔いませんから、どうか、と神様にお願いをし続けていたのですが、神様は私ではなくお鳥様の方に用事があったようで、その願いは叶えていただけず。
 その代わりに、最期のあの優しい顔を向けてくれる時間をくださったのだろうと、今は思います。

 たぶん、私は泣いたり呆然としたり悔やんだりしながらも、明日から毎日の、普通の暮らしに戻って、笑ったり空を見上げたり喜んだりするでしょう。
 とても静かな部屋に慣れるには、まだ少し時間がかかりそうですけれど。がんばって生きてゆきます。

 最後に。
 私よりも大きな悲しみを抱えているはずなのに、呆然として何も手に付かずにいる私の代わりに、様々な手続きをこなして万事をまとめ、手配をしてくれた軽鴨の君に、本当にありがとう。お鳥様はあなたが、本当に大好きでした。きっと今も喜びながら、さえずっていると思います。