暖房として活躍2014年11月04日

 昨日は外に出かけて、「え?あの人を生で見たの?」と言われるくらいのとてもデキるすごい才人と称されるたぐいの人にお会いする機会に恵まれました。
 大変貴重で素晴らしい時間を過ごすことができましたが、案の定というか今日は反動で鬱です。そもそも、私は素晴らしい人に会うと大抵その後メランコリックになります。もっとも、人に会わないとそれはそれでメランコリックになるのですが。
 人に会わないことで氷河の中に閉じこめられているような凍てつく憂鬱を味わうか、人に会ってビル風に切り裂かれるような痛い憂鬱を味わうか、その違いです。


 それはそれとして、ここ数日はWindowsPCに手を焼いています。
 私は筋金入りのMacintoshユーザーですが、1台だけWindowsPCを使っています。4年くらい前の段階でかなりいい機種だったもので、用途はExcelでもWordでもなくゲームオンリーです。
 普段は、PS2が機嫌が悪い時だけこれでFF11をプレイしているのですが、ラストレムナントPC版をクリアしようと起動してみたら、グラフィック周りに負荷がかかるゲームなもので、2時間くらい経つと前触れもなく電源が勝手に切れるという心霊現象のような困った状態になってしまうのです。
 私にはWindowsへの愛が皆無なので、向こうも私になびく様子は全くなく、致し方なくこの連休を費やして軽鴨の君を引っ張り出してああだこうだとメンテナンスしてました。
 どうもグラフィックボード周りの熱がうまく逃げてくれず、熱暴走で落ちているらしく、根本的な対応が難しい感じで「いっそのこと新しいPC買った方が早いんでは」と思わないでもないのですが、ここはガマンです。
 幸い、軽鴨の君の優しい対応によって向こうも多少機嫌を直し、PCのケースの蓋を完全に閉じないでおくとあまり熱暴走しないという突っ込みどころ満載の対応にて動いてくれるようになりました。
 とりあえず、ラストレムナントをクリアするまでは何とかこれでしのがないとです……。

最後の遺物をようやく2014年11月09日

 という訳で、「ラストレムナント」クリアしました。mixiにも同じ日記をあげましたが、一応こちらにも。



 何でもスクエニの対スマホゲーム配信システムDIVE INでの配信が決まっているとのことですが、そんなニュースはクリア後に知ったていたらくで、世間の流れとは何の関係もなく、長らく積んでおりました「ラストレムナント」PC版のエンディングをようやく見ましたよ。
 Xbox版をカゲトラ先生に貸してもらったのが2009年3月、5年以上積んでしまいました。ソフト返却後にわざわざ自分用にPC版まで購入しましたが、PC版の方が圧倒的に出来がよいので、結果的にはものすごい得をしてしまったという。


 いやー、面白いゲームでした。遊んでて本当に楽しかった。「完成度が高い」というのとはちょっと違うんですが、すごくエネルギッシュで「いつまでのこのゲームを触っていたい」と思わせる魅力があります。
 実際やりこみ要素が豊富すぎて、いつもサブクエストをやってるうちに目的を見失ってリアル予定にカットインされてしまい、エンディング前で足踏みしていたらパソコンが不調になってセーブデータクリア、というパターンで積まれていたゲームなので、今回は心を鬼にして、後半のサブクエスト関係は全部あきらめてエンディングまで持ち込みました。

 シナリオに説明不足なところが多かったり、攻略本&攻略Wiki必須の難解システムだったり、色々アレなところはあるんですが、そういうアレなところの大半がこのゲームの「面白さ」というコインの裏面だったりするので、単純に欠点とは呼びにくいですね。「好きになれば欠点が欠点に感じなくなるけど、欠点を許せない人にはどうにもガマンできない」というタイプのゲームでしょうか。
 あ、でもムービーシーンの音声が、サラウンド設定がおかしいのか時々やたらと遠くなって聞こえにくくなったりするのは単純な設定ミスかなんかだと思うので直してあげてください。うちのパソコンの環境だけだったりして。


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 で、私自身は、戦闘システムの途方もない手応えとやりこみの広さはもちろん堪能したのですけど、何でこのゲームを5年もかかってもクリアしたかったかというと、やっぱりこの物語や登場人物たちに大きな魅力を感じたからなのかなぁと思います。

 主人公のラッシュくんが純朴熱血バカなのだけど本当にとてもいいヤツなのと、彼と親友になる領主のダヴィッド様はじめ、彼を取り巻く登場人物たちがそれぞれに思惑と個性がありつつ、みんなラッシュくんを置いてきぼりにすることなく盛り立てて助けてくれるので、FF12の時のような疎外感(笑)を味わうこともありません。

 主人公が純朴で周囲の登場人物がそれぞれ魅力的、というのは定番なのですが、このゲームの物語のいいところは、彼らの関係性のディテールが、「リアリティをぎりぎりまで追って」描かれていることだと思うのですよね。
「リアリティをぎりぎりまで追って」と書きましたが、あくまで「ぎりぎりまで追う」のであって、ガチガチに追求しないというバランスといいますか。
 本気でリアリティを追求してしまうと、一国の領主が超ド田舎平民少年と対等の友情関係を結ぶ、という現象がそもそも成立しないのですが、そういう夢をあえて土台にしつつも、ディテールをまじめに描くことでそういう現象がありえるのかもしれない、という気持ちにさせてくれる訳です。

 世間知らずの主人公が領主にタメ口叩いて腹心の部下にぶん殴られるシーンもちゃんとあるし、部下たちの領主に対する言動もあまあまの仲間ノリに流れることが決してない。現代的・ラノベ的なくだけた口語に逃げず、割と堅い言葉のやりとりが多い。主人公の両親は、実はかなり高名な立場にある人だけれど、領主に対してきちんと膝をついて頼みごとをする。
 でも、主人公は領主の「友達」だと思っているから、他のメンバーが「イエス、マイロード!」と敬礼するような場面でもそれっぽい仕草をすることはない。
 領主の方は誰にでも丁寧な物腰で接して、衷心からの心配りを忘れない言動が描写されるので、「この人は人間がよくできていて皆に慕われてるよい領主なんだなぁ」というのがプレイヤーにも伝わってくる。
 RPGでは多くの場合、主従や身分はじめ色々なニュアンスの人間関係性というのは大抵フレーバーだけで、言葉としては存在していても次第にぐずぐずな「仲間意識」に回収されてしまうのですが、この作品では人間関係のディテールが割と最後の方までがんばって保たれているので、だからこそ終盤で発揮されるさまざまな感情のやりとりが、意味を持ってくるような気がします。

 あと、敵方が「人間とは全然違う価値基準と行動原理で動いている」存在なのですが、その描写が理不尽で非人間的で陰惨残虐な迫力に満ちていて、「単純に見下したり嫌悪したりできないけれど、折り合うことも理解することも到底できない」絶望的などうしようもなさがあってよかったですね。
 ラッシュくんが途中で、「ダメだ。俺達の言葉は通じない」とつぶやくのですが、それが本当にリアルで。人倫を「外れている」のでも「越えている」のでもなく、「関係ない」ものと対峙しなければならない寂寥といいますか。H.G.ウェルズの「宇宙戦争」の火星人を目の当たりにする感覚に近いでしょうか……あそこまで人倫と無関係な存在でもないんですけど。


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 あと、私がこのゲームをプレイしてて楽しかったところはもうひとつあって、キャラクターの(外見的)造形が、萌えや露出やセックスアピールとは違ったところで、好ましい感じを追求してある部分でした。
 主人公が一貫して自分の家族、特に妹を守り救うことを基本の行動理念にしているのですが、その重要な妹の愛らしさというのが、あんまり萌えやロリータ調の記号に頼らずに、割と垢抜けない田舎っぽい感じで描かれているので、ロリコンやペドフィリアや近親相姦の系統のいやらしさに流れずにとても素直に「家族愛だなぁ」と見守ることができたのですよね。
 また、世界にいる亜人類が、「カエル人間」だったり「魚人間・トカゲ人間」だったり、擬人系ネコと見せかけて「ネコと昆虫と人間が合体」みたいな造形になってたり、定番の「ファンタジー萌え」を外しているにも関わらず……それぞれものすごく、可愛かったりカッコよかったりする訳です。ラスレム世界の萌え頂点は、妹じゃなくてカエル学者のパグズ様ですよ、カエルかわいいかわいすぎる。
 ラスレムの猫(昆虫)亜人ソバニと、同じスクエニでもFF14の猫種族ミコッテ男あたりを比べてみると、方向性の違いがはっきりわかるかなーと思ったりします。


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 難を言えば、もともと開発者が「行間を広くとってある」「それぞれのプレイヤーが感じることが正解」と言っているくらい、全体的に状況説明が少ないことですかね。それは確かに想像の余地という点で面白さなんですけど、なんか、想像させるところってそこじゃないだろー、みたいな部分まで「行間」にされちゃってるのが気になりました。

 レムナントとは何なのか(あるいは何の象徴なのか)、みたいな部分が「行間」にされていたのは大正解で、おかげで色々考えることが可能だったと思うんですが。
 一番きつかったのは、ラッシュの秘密に関する経緯が全部仄めかしオンリーの「行間」になってしまってるところでしょうか。
 最後の最後にそれが明かされることでの「な、なんだってー!」を重視したかったのかも知れませんが、実のところ秘密の内容自体はある種定番というか、意外なものではないのですよね。勘のいい人なら大体わかっていることの確認になってしまうので。
 もう勘付いてしまってるこっちとしては、「何でそうなったの?」「過去にどういう経緯で今の状態になったの?」という点こそ一番知りたいというか、その事実を知って背景や心境を色々想像したいのですが、その辺の「経緯」や「事実」まで全部行間扱いになっちゃっているので。感動に涙しつつも、なんかもやもやするなー、という部分がありました。
 いやラストシーンとかすごいよかったんですけどね。逆に、もやもやしているところをねじ伏せつつ感動させるだけの威力があった、とも言えるのでしょうけど。
 でもやっぱり、どんでん返しのカタルシスは深追いせずに、サブクエストなんかで上手にマスクしつつ事実を説明して欲しかったかなぁ。アカデミーヴィジストーンをコンプすると説明してあったりしたのかな……?

 感情や価値や判断といった「目に見えない」ものというのは、直接説明せず行間でそれぞれの受け手の中に構築させるものだけれど、現象や出来事や経緯といった「見える、見えたもの」は説明する(受け手の中であまり大きなブレが生じないようにする)方がいいと思うのですよね。
「何が起こったのか」の謎解き自体が根幹のミステリ駆動型ストーリーとか、事実や現実認識すら複数存在してしまうことの不安定さを表現する薮の中型ストーリーなら、もちろん話は別なのですけど、そういうタイプのお話ではなかったので。

 受け手が行間を読むといっても、行間があまりにもだだっぴろく空いてるというのは、行間ではなくただのメモ帳になってしまう訳で、「説明するべきところ」「説明してはならないところ」のメリハリを効かせるのはなかなか難しいけどストーリーテリングの重要なところだと思います。



 とまぁ、ちょっと文句を言いたい部分はありつつも、いやそれだからこそなのかな? もっと遊びたいなぁと思えるゲームで、大変うれしかったです。
 あ、続編だけは作らないでくださいね! スクエニさんはどうも続編を作るとろくでもない展開になりがちなので! 特にあのラストから次の話を作ろうとすると、どう転がしても酷い目に遭いそうですし! あんな辛い目に遭うのはFFXIII(あとFFXもか)だけにしてくれ……!

 とりあえず、あとはぽちぽちサブクエストを回収しつつ、いつものFF11に戻っていく予定です。まだ積みゲームがいくつか残っているのですが、そっちはどうしようかな……。

人間関係に恵まれています2014年11月16日

 たまたま、とあることに関する情報を調べ読みしていた時に、複数の別々のブログで同じような意見を見かけて、それは「ネットメディアやソーシャルネットサービスを自分が続けているのは、上には上がいる、自分よりすごい人がたくさんいて打ちのめされたり刺激を受けたりできるから」というものでして。

 最初は特に何も思わなかったのですが、二度目に同意見を見た時に、今の自分がネットやSNSをあんまり追いかけない理由は、これが関わっているのかなぁと思いました。

 というのも、私、「すごい人に会う」という件についてはリアルで恵まれている星の持ち主なのです。
 師の多い人生を送ってきたといいますか。色々なところで色々な方向に平均値を飛び越えた天才偉才異才に、現実でお会いする機会にかなり恵まれているという。そもそも軽鴨の君からして、あるジャンルにおいては「え、あなたがあの」という領域に達している人だし。そのせいか、わざわざネットでそういう人を追いかけてフォローしたりウォッチしたりする欲求がなく、「この人に繋がれるなんてすごい!」という喜び驚きが、薄いんですよね。
 むしろお会いした方々をうっかり自己同一視して、自分がなんかすごい人間なんじゃないかという錯覚を抱く罠があると思うので、あんまり周囲の「人」を自分の鏡にしない方が、私にはいいのかなと感じます。

自分に言い聞かせる2014年11月17日

 昨夜から全く眠れなくなってしまい、活字中毒発作(というか物を考えたくないので頭の中を自分と関係ない文字列でいっぱいにしておきたくなる嗜癖)に負けて、自分にとってはすこぶるつきに相性が悪いとわかっているはずなのに、大量にネットサーフィンをしてしまいました。
 こんな風に頭で誰よりも理解していて後で自己嫌悪するような嗜癖に負けてしまう経験がよくあるので、私は、煙草やアルコールの嗜癖を断てない人や、嗜癖を擁護しようとしてあれれれ、な論に走ってしまう人を、揶揄したり責めたりする気にはなれません。
(その割に、オタクや腐女子の嗜癖についてはものすごく冷たいけれど、これは間違いなく同族嫌悪)

 今日やろうと思っていたことが全然進んでないことにため息をつきつつ、明日は中井久夫さんの名文とか、中庸精神を涵養してくれる種類の文章をがっつり読んで、頭をちゃんと戻さないといけないぞ、と己に言い聞かせております。

動けない2014年11月23日

 一気に寒くなってきました……。
 まぁ11月も下旬なので当然です。ソーウィン(ハロウィンの源流となったケルトのお祭り)も過ぎたということは、時の車輪も回って冬に入っている訳で、むしろこれで寒くなかったら困ります。

 が、わがままな東京都市生活型人間ゆえ、寒さには弱い。ここ数日は本当に活動力が衰え、すごくぐだぐだしております……。
 寒さに打ち克とうと浅知恵をしぼり、小さめの段ボール箱に毛布を敷いたものやベッドに湯たんぽを入れて過ごすと、寒くはなくなるのですが、今度はもうベッドや段ボール箱毛布から移動することができない。こたつと同じ系列の呪い。

 こういう状態になると、食べ物も甘いものもどうでもよくなり、楽しいことや面白いことを新しくやろうとかの気力は皆無。
 今日はなんとか軽鴨の君のためにバナナマフィンを焼き、オーブントースターの掃除をしようとパーツを石けん液に浸け、とやっておりますが、もうこの辺で元気がなくなってきて、今はもう丸まって眠りたい気持ちでいっぱいです。
 ああ、でも、石けん液に浸けたままで眠る訳にはいかない。あれを何とか掃除しないと……。

旅行準備中2014年11月25日

 ここ数日は旅行の準備に追われてます。
 旅行の準備って好きです。旅行そのものよりも好きかも知れない。それは旅行への期待でわくわくしてるからではなくて、「トランクに必要なものだけを詰めていく」ということ自体がとても楽しいからなのです。旅行の準備こそが楽しみの肝で、旅行はその蓄積の実行に過ぎないというか。
 コンピュータプログラムを、それ自体を組んでいく行為が好きな人が、スクリプトをえんえん書くことを楽しんでるけど、できあがったプログラムを実行させた後は割と執着ない、みたいな感覚に近いのかな。

 私の中には、生活の無駄な要素を削っていって身軽になろうというストイシズムと、生活に多様性と豊饒を持ち込もうとものを増やしたがる欲望が、いつも綱引きしながら併存しています。
 旅行では「荷物を軽くしないときつい(何せ非力な人間なもので)」という大前提があるため、綱引きにならずに「ものを減らす」という方向性に一気に突き進める快感があります。しかも、普段の生活要素を減らしていくよりも気軽で痛みもなくて簡単だし。
 つまり私の旅行の準備って、一種のデトックスというか、生まれ変わり願望の実現なのかも。

 今回は行き先が、日本のようなインフラや衛生環境が整っている贅沢な土地柄ではないので、「なあにラベンダー精油さえあればどうにでもなるじゃろ」な方向性に驀進しがちな私も、さすがに除菌ウェットティッシュとかを用意せねばならず、いつもより荷物が多いです。
 あと、iPad miniに未読の書籍をかなり詰め込んだにも関わらず、それでもまだ不安で、分厚い岩波文庫をまた4冊ほど持っていきます。海外旅行のたびに岩波文庫を読んでる気がする。聖アウグスティヌスの「告白」とか、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」とか。
 そういえば、行き帰りの飛行機の時間も、結構嫌いじゃないんだよなぁ。小さい箱に生活を制限するという点で、トランクに荷物を詰める行為と何か共通している気がする。小さな箱の中に棲むという願望があるのに違いない。