鍋一杯、自己嫌悪2007年08月12日

私は普段、あまり精神的な気分が上下しない。人間だからハイになったりローになったり、それなりに波はあるはずなのだけど、あまり変わらないように、少なくとも見える。
それは、とても安定した人格だからというよりは、単に常に低空飛行を続けているだけのことで、要するに私はいつもにこにこ優しく微笑んだ顔で、奈落に張られたロープの上をゆらゆら歩いているような人間なのだろう。
けれどたまに、他人から見ても、また自分の冷静な部分から見ても、全く意味の通らないことで、綱が切れて奈落の底に落ちることもある。
そういう時の私は、とても扱いづらい人間だろうなと自分でも本当に思うので、死に場所を探す猫のように、なるべく他人から離れたところに向かう。むしろそういう時こそ人とふれあって自分を貴重品のように優しく扱ってやる方がいいようにも思うのだけれど、そういう瞬間の自分はなるべく他人に見せたくはない。特に、好きな人や大切な人には。愛する人には、いつも微笑んでいる姿を見せていたい。

昨日トマトとズッキーニでスープを作って、それを冷蔵庫に入れるのをすっかり忘れて外出してしまった。
それを思い出したのが夜中で、鍋を開けると、すでにスープだったものは鍋一杯のカビ培養地に転職していた。
「ああせっかくおいしいスープだったのに」と軽鴨の君が言った瞬間、ぷつんと綱が切れた。
しかし私は、小さい頃からこんな馬鹿馬鹿しいことを何度も経験しているので、そういう奈落への墜落をちゃんと止める精神的装置をいっぱい内面に用意してある。だから、別に死んだりはしない。第一こんな馬鹿馬鹿しいことで綱が切れること自体、どうかしている。私の周囲の大切な人たちは、もっと辛くて苦しいことをに必死で耐えながら、毎日毎日がんばり、私に優しくしてくれるというのに。
頭の中でわんわんと鳴り響く今すぐ死ねという指令が物理的な神経に伝達されないよう遮断しつつ、私は指令装置がエネルギーを消費しつくして停止するのをじっと待つ。大切な人々の幸せを考えながら、あるいは白馬に乗った騎士様がもう大丈夫だよ頭を撫でてくれたらいいなと都合のいいことを考えながら、さっさと死ねよという声を、他人事のように聞き続ける。言葉が意味を失うまで。

次の日の朝に、私は何事もなかったように笑ういつもの私に戻る。
たくさんのたくさんの愛おしい大切な人のことを思いながら、次に君にあなたに会う時にはちゃんと幸せそうな笑顔の私でいられますよと約束する。
私は特に何かの役に立つような生き物ではないけれど、せめて大切な人に会う時には、この鍋一杯の自己嫌悪から来る迷惑をぶつけずに済むように努力する。
それでも軽鴨の君はこの迷惑を避けきることは不可能で、私はそれを本当に申し訳なく思う。