にんじん2007年02月26日

にんじん,ルナアル作,岸田国士訳,1990.5.25.第56刷(1776.2.16.改版発行),赤553-1

 田園風景というところでは、人も動物もみな命と名の付くものは羽根の如く軽々しく、何の重みも持たない。この物語の中では、鳥も猫も子供も、そして大人も、ユーモラスに軽妙に、虐待され殺される。
 今ならカウンセラーを気取る人に性格障害を診断されそうな明らかに常軌を逸した母親、悪意はないが基本的に無関心で無力な父親、自分より弱い存在に苦痛と責任を転嫁して自分は楽しく日常を過ごす兄姉、そして感受性鋭く家族の病巣を背負っているが別に善意だけを抱いている訳ではない主人公「にんじん」。憎悪と虐待が日常になり、それがもっと悪しき何かを防いでいるのではとさえ思わされるような、奇妙にほのぼのとさえ錯覚する家庭の風景である。
 描かれる光景は、からかいや悪戯などという言葉では到底ごまかせない虐待の積み重ねで、何やら家族精神医学のテキストかと思うほどだ。読んでいて楽しくも気持ちよくもなく、最後に若干のカタルシスのようなものはあるが、別に何かが解決される訳ではない。
 にんじんがルナアル自身の戯画であり、彼の少年時代をモデルに淡々と描かれたスケッチだという解釈を素直に受け入れた時、この作品を「無惨な少年時代を経てもそれでも人は自分を護って成長できる」と前向きに捉えることもできるだろうし、また感傷を一切遠ざけた文章からどこか美しい牧歌的な人間性を見ることもできるだろう。だが、私には到底それはできそうにない。
 安易な感傷や同情を寄せ付けない厳然たる魂をルナアルは持っており、そしてそれを生み出したこの環境を彼が恨んでいたとも思えないけれど、だからと言ってこの家族環境を「ほろ苦いヒューマニズム」などと表現するのは嫌だ。この物語は陰惨で残酷で、底知れない冷たさを抱いている。サイコミステリーよりはるかに恐ろしい一冊だ。