ブッダのことば スッタニパータ2007年02月10日

ブッダのことば スッタニパータ,中村元訳,1992.3.16.第19刷(1984.5.16.第1刷),青301-1


 仏教の聖典の中でも最も古いスッタニパータを邦訳したもの。訳者も述べているけれど、今日本でイメージされる仏教とはだいぶ違った仏教像である。
 全ての悩み苦しみは執着からくる、だから執着は全部捨てちゃえ、というある意味乱暴な教義はすでにここにあるけれど、教えとしてはぐっとシンプルで、「与えられていないものを自分のものにするな」「全てにこだわるな」といった感じだろうか。現代の仏教者のイメージというより、むしろ仙人に近い。
「聖者は自分が清浄だ、正しい、賢いとは思わない。他者を汚れてる、誤っている、愚かとは思わない。一切の思想的断定を行わない」なんて教えは、その後の仏教界の大論争なんかを見ると皮肉っぽい色さえ帯びてくるし、また「私はいかなる疑惑者をも解脱させえないだろう」といった、気負いのない態度は、結構好感が持てる。
 身分制度が全てを支配する世界の中で、「生まれではなく行為によって清浄となる」というブッダの思想はあまりに異質であったのだろう(もっとも待ち望まれていたものでもあったのだけれど)。たぶん、ブッダは自分の教えが世界に広まって世界を変革することなんて、考えていなかったし望んでもいなかった。ただその時代のゲームからイチ抜けすることで、自分を安定させた。そのやり方を、望まれるたびに話していっただけなのかも知れない。この本を読んでいると、そんな風に思えてくる。
 ところで、この聖典の中には、「人間としてあるべき姿」とか「恥ずべき姿」といったこともちゃんと述べられているのだけど、抽象的な話の中に、突然妙に具体的な描写が出てきて唖然とすることがある。「ティンバル果のように乳房が盛り上がった若い女を云々」とかね。話題のアイドルみたいな、誰か具体的な対象がいたんでしょうか。