ロールプレイという遊び方2007年02月07日

アトルガンミッションを進めたり、指定生産品のコカトリスの煮込みを作って納入したり(コカトリスの肉が2万ギルもかかった……)、フレンドRさんの助けを得て木工スキルを上げたり、さらりとした一日。
アトルガンミッションは謎の元サンドリア騎士にして賢者ライファルが、正体まるわかりで可愛い。サンドリアという国は、最初はあのお高くとまった態度が気に障って好きではなかったのだけど、近頃見せるあの豪快な間の抜け具合が何とも微笑ましくて、好きになってきた。ウィンダスを移籍する気は全くないのだけど、もしも移るとしたらサンドリアがいいな。バストゥークには全然思い入れがわかないけれど……。

ところで、先日FF11関連のあるサイトを見ていたら、青魔道士取得クエ「渇望」について、批判的な発言を目にした。
要するに、あの占いの時に、非常に偏った回答をしないと取得クエが進行しないことが不満らしい。ロールプレイを大事にするプレイヤーにとってこれは苦痛だが他に青魔を取得する方法がない、偏った設定を押しつけてくる開発者の姿勢はいかがなものか……ということのようだ。
だが私はそう言われると、「ちょっと待ってよ」と言いたくなる。
もしロールプレイを重視するプレイスタイルをとりたくて、あのクエストで要求される回答が「このキャラクターとしては到底選べない」というのなら、答えはひとつ「青魔道士にはならない」しかない。何故なら青魔道士は己の目的のためにモンスターの魂を貪るというジョブなのであって、あの回答が苦痛なキャラクターであれば当然青魔道士のプレイ自体が苦痛になるはずなのだ。それを「イヤならゲームをやめろ」的な開発者の傲慢と一緒にするのは、明らかにおかしい。
だって、青魔になることは誰にも強制されていないし、かなり特徴的な(つまり偏向的な)エキストラジョブのひとつに過ぎないのだ。青魔道士を取得しなくても、全てのミッションは問題なく進行できるし、ゲームで不利になることは何もない。
それを踏まえてなお、「青魔道士というジョブをプレイしたい」と思う人間に対して、ある種の覚悟と犠牲を要求することは何ら不自然ではないと思う。

「ロールプレイ」は、何でも好きなことをすることができる。それは確かだ。だが、好きなことをしてその結果起こる不都合や犠牲や失敗を回避できる訳ではない。というより、それを回避しようとするはただのわがままであって、ロールプレイでもゲームでもない。ある道を選べば別の道は閉ざされる。それはゲームというより、ほとんど全ての活動に伴う運命だろう。
タルタルはプレイしたい、でもMNDやSTRが低いのはイヤ、こんな偏った設定を押しつけてくる開発者が悪い……とプレイヤーは思うだろうか? 「だったらエルヴァーンをプレイすればいい」と誰でも答えるのではないか。
ロールプレイという遊び方は、
「どんな演じ方をしても有利不利が出ないことが保証された世界で、自由と選択を疑似体験する」ことではなく、
「有利不利があってもなお、ある特定のキャラクターを演じきることで、単なる数値上の有利不利を越えた素敵な何かを手に入れる」ことなのだ。
そう言う意味では、
「大いなる力が得られる、しかしそのためには心の一部分を犠牲にしなくてはならない」
という極めてオーソドックスな取引を要求してくる青魔道士取得クエストは、文字通り力への渇望がもたらす心の苦痛をプレイヤーに直撃で与えるという意味で、とてもよくできていると思うのである。

……ちなみに個人的には、獣使いの方が問題だと思う。あの取得クエストやAFクエストで語られる「獣を愛し思いやる、獣との心の交流」と、実際のプレイで要求されるテクニックの乖離は、もうちょっと何とかならないものだろうか。
私は獣使いクエストが、ジュノのクエストの中でも一二を争うほど好きなのだが、獣使いのレベルが9で止まっているのは、そんな理由もあったりする……。


調理ギルドポイント34133
調理スキル69.6 釣りスキル43.6 錬金術スキル5.1 木工スキル3.9
太公望の釣り竿まで あと8946匹