古色蒼然、温故知新2007年02月19日

周囲で大評判のDSゲーム「世界樹の迷宮」を始めてみた。
評判通りの、とても古典的で骨太のRPGだ。ウィザードリーをある方面へ進化させるとDiabloになるけれど、別の方面へ進化させてみた、という感じだろうか。
通常の常識や論理など全く超越した独自の法則で動くダンジョンの中を彷徨い、マッピングし、メモをつけ、襲ってくる魔物を撃退し、宝物を見つけて売り払い、防具や武具を新調し、魔法を覚えて、進んでいく。
それだけの、そしてその面白さを今思いつく限り突き詰めた、とても面白いゲーム。町の人の頼みを聞くことでお金がもらえたりするところは、ちょっと「100の世界の物語」を思い出す。
(今後もこの迷宮の謎など色々出てくるらしいのだが、それはあくまでフレーバーに過ぎないだろう。ウィザードリーにおいてワードナの正体やトレボーの魔除けの真実がフレーバーに過ぎなかったように)
文体や雰囲気は、ゲームブックや古いアドベンチャーゲームを彷彿とさせるもので、まるで英語を直訳したような生硬でそっけないメッセージが突如現れ、いきなり罠にはまって全滅したりする。

これは本当に古色蒼然とした、古き良き美しきダンジョン探索RPGだ。
かつてワードナの魔除けを求めて彷徨った者、聖者の徳を積むために修行した者、火吹き山や城塞都市カーレを決死の思いで探検した者、妖精の剣の光に怯えながらグルーの襲撃をかいくぐった者、それからそれから……それら全ての古強者たちに捧げられた、復活祭である。今こそ集まれ、伝説の冒険者たちよ、剣をとり呪文を思い出して邪悪な魔物を蹴散らし宝物を手にするのだ!

……けれどこの復活祭を楽しみながら、私はふと疑問を感じる。
このゲームは間違いなく古強者たちの琴線に触れる素晴らしいゲームだけれど、そして決して古びてはいないものだと思いたいけれど、果たしてウィザードリーもウルティマもゾークも知らず、FFと言えばファイナル・ファンタジーのことだと思っている(いやそれすらももはや旧聞に属しているかも知れない)新しき勇者たちの心には、ちゃんと届いているのだろうか。
もちろん届いているさ!という力強い声が聞こえるけれど、そう言うのはみな古強者たちばかりで、本当の新しき勇者の声をまだ聴いていない私は、今も不安を覚える。
人は、自分の感傷と思い出から離れるのはとても難しい。そして新しい試みを過小評価し、過去の記念碑を過大評価するものだから。

皮肉っぽい言い方をしたけれど、「世界樹の迷宮」はちゃんと新しい要素を色々と取り入れており、決して過去の再生産ではない。そういう意味では、古くて新しいゲームだ。
だからあまり心配する必要もないのだが。
たぶん、ね。


ちなみに私のギルドの名前は「シャントット」だ。由来をわかる人は、どれくらいいるかな?