電子の本棚2012年09月25日

 私が本を電子化してiPadで読むようになってから、もう2年近く経過しているようです。
 最初はおっかなびっくり、「頻繁に、あるいはすぐに読む訳ではないけれど、手元に取っておきたい」という本を中心に電子化して、基本は紙媒体の本を読み続けていくつもりでしたが、実際に体験してみたら、iPadでの読書体験は想像以上に快適で、気がついたら、電子化への心理的障壁がすっかりなくなっていました。
 自分にとって非常に大切な本なので、紙の本は本棚に確保しつつ、もう1冊買い足して電子化した本も結構あるのですが、開く回数は圧倒的に電子化したものの方が多くなっています。

 本の手触りや、紙とインクの匂い、ページの上で踊る光、めくる音などにはもちろん、そして未だに、愛着と肉感的とさえ言えるような歓びを感じるのですけれど。
 本の物理的実体というものには不思議なエネルギーがあって、背表紙を見ただけで内容を一斉に思い出すというような話だけでなく、その本の存在自体が空間と精神をある状態に保持することさえあります。たぶん、古書(それも稀覯書)をコレクションする目的の大半は、それではないかと思うのですが。自分の幻想を空間の中に現出させるという。

 ただそれは、今の私にとっては、特別にドレスアップしてよそいきの装いで華やかな舞踏会に出かけるような、贅沢で素敵だけれどちょっと大掛かりな歓びになっているのです。
 今の私は、本と、情熱的な逢瀬をするというよりは、特に刺激的な事件もないお茶の時間を共有するように過ごします。集中も没入もするけれど、我を忘れるということはあまりありません。そういう日常的な読書に、電子化された本の透明感はよく合うのです。

 私は今でも、ディズニーの「美女と野獣」に出てきたような、あるいはアイルランドのトリニティ・カレッジのライブラリーのような、天井に至るほどの高い本棚が林立する光景に猛烈に憧れるのですが、iPadで本を開く環境の方が、私の日々の読書にはふさわしいようです。
 こうやって、本の物理的実体に対する執着が変わっていったように、ほかのモノに対する執着もどんどん変わっていって、もう少しもののない生活ができるようになるといいんですが。