点検2012年09月11日

「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡
ての言に由る」とイエス・キリストはサタンに言ったと伝えられているけれど。

 借金のために自殺する人は昔から後をたたないが、そうすると人は「何も金のために死ななくてもいいのに」と言う。そこで、「何を言ってるんだ、金は大事に決まってるだろう」と怒る人は、まぁいるまい。腹の中でそう思うとしても。
 ところが、「たかが電気のために、なんで生命を危険にさらさなければならないのですか」と言うと、何故か非難轟々となるらしい。
 実際には、坂本龍一のあの言葉は、電気がパンのごとく金のごとく必要不可欠で重要であるからこそ、しかしそれは、どんなに重要であっても本来生命に仕える「道具」であって、生命を道具にする主であるべきではない、という反語的な表現として放たれた言葉であろう。
 それを、自分が電気を使っていることを棚に上げているとか、文明生活を否定しているとか、そういう論点で非難する人がいるのは、私には不思議でならない。いや、反原発運動や坂本龍一の社会運動活動を批判するのはかまわない。だが、あの言葉尻をとらえてわあわあ言うのは、あまりにも幼稚だしお粗末だという感想しか出てこない。

 もっとも、社会運動を行う側は、そういうお粗末な反応を織り込み済みで活動しているものではある。
 それなりの歴史を持ち、成果をあげている社会運動団体というのは、大体において、そういうものにいちいち反論しない。非暴力直接運動を行う場合は、参加するメンバーは罵倒されても言い返さないトレーニングを受けるそうだ。
 反射的に文句を言いたくなる私などは、そういうトレーニングを受けた方がいいのかも知れないが。


 今日は、MacBook Airのアダプタを抜いてバッテリーだけで、iPhoneも充電せず、ゲームもせずテレビもつけず、ガスもなるべく使わず、水道も最低限、なるべく非常用の備蓄のものを使い、防災用品の点検をする。
 私は、私の世界を包むインフラから少し離れて、文字通り湯水のように使う生活を、眺めやる。