フクロウに会う2012年10月09日

 月島に、フクロウに会えるカフェができたと友達に教えてもらって、これは行かねばならないと、取るものもとりあえずという感じで駆けつけてきました。

フクロウのみせ
http://ameblo.jp/fukurounomise/

 オオフクロウとモリフクロウ、アメリカコノハズクの三羽のフクロウ・ミミズクさんがいて、お茶を飲みながら愛で、さらには手に留まらせたり撫でたりできるという、フクロウ好き鳥好きには夢のような空間です。
 お店の看板フクロウさんたちは、三羽とも恐らくインプリント個体(生まれた時から人間を仲間と思って慣れるよう育てられている)なので、人間に触られたりするのを嫌がらないばかりか、撫でるとお返しに羽繕い(のつもりの甘噛み)をしてくれるくらい、よく慣れています。
 野性味を求めて猛禽類を飼う人は、インプリントではない個体をあえて飼育することが多いようですが、私のようにコンパニオンアニマルとしての鳥と暮らしたい向きには、こんな風にウェルカムなフクロウさんはまさに悩殺(死語)必至と言えるでしょう。
 コノハズクのような小型のミミズクだと、大型インコよりも小さいくらいなので、マンションでも飼うことは一応可能なようで。
 お鳥様が天に帰って以来、次の縁を待っている身としては、コザクラインコかオカメインコか……などとインコ系を考えていたのですけど、ここへ来てコノハズク(ワイルドではなくインプリント個体なら)、ぐっと急上昇です。

 ただ、昔フクロウを飼っていた人の話も聞いたことがあるので、そんな生易しい気分で飼えるものではないともわかっています。
 冷凍ネズミを扱うのはまぁ何とかなりそうですが、エサ専用の冷凍庫があった方がいいとか、頻繁ではないにせよ家を空けたり旅行したりする時にはどうしようとか、越えないといけないハードルはインコよりかなり高い訳ですし。

 とはいえ、お店のオーナーご夫妻のお話を聞くと、昔よりもフクロウ飼育の技術や知識はかなり進展しているそうです。
 自分でフクロウを飼わなくても、看板フクロウくんを愛でて、夫妻のフクロウ話をうかがうだけでも、幸せになれる空間だなぁと思いました。
 という訳で、フクロウお好きな方、フクロウに興味があるぞという方は、ぜひどうぞ。

クロムツの塩麹漬け焼き2012年10月10日

 らでぃっしゅぼーやで届いたクロムツを、煮付けにするか焼き物にするか悩んでいたのですが、ちょうど新しく仕込んだ塩麹ができあがった時だったので、先週塩麹に漬けてあったのです。
 届いた時点で内臓などは除いた下処理がしてあるものなので、塩麹をまぶしてさらしでぴっちり巻いて、ジップロックで密封して、という簡単な塩麹漬け。こんな時にオーガニックコットンのさらしは大活躍します。
 先週末に食べるつもりでいたら、軽鴨の君が仕事の都合で急な外食が入り、夕飯を作らず終い。今週になっても色々予定が入って、ようやく昨日、焼き魚にできました。
 ほどよく焦げ目のついたクロムツは、塩麹に漬けた時間が長かったので、むっちりと締まり、西京漬けや粕漬けのような風味になっていました。身に弾力があって、うまみも濃い。クロムツはもともと脂があってうまみの多い魚のようですが、塩麹漬けにもよく合うようです。食べる時に小骨と格闘することになりますけど、まぁそれくらいの苦労はしませんとね。
 漬け床の塩麹もあまり落とさずに一緒に焼くので、ちょっとほくっとした衣になって、これもなかなかよいものです。

 塩麹も味噌作りも、やると言うと結構「すごいですね」と驚かれる種類の台所仕事ですが、いざやってみると自分が努力するというよりも、微生物様が全てやってくださって自分は待ってるだけなので、変な話ですが「頑張った!」という達成感はあまりなかったりします。どちらかというと、ありがたいなぁ、という気分。
 考えてみると、私の台所仕事やクラフト系の活動は全部、自分で頑張る!というよりも、他力本願、あちらさまが全てがんばって私は待ってるだけ、というもののような気がします。
 私が縫い物や編み物のようなクラフトをあまりしないことや、料理や保存食作りを「趣味です」と言わないのは、そういうところにも一因があるのかも知れません。

買い物色々2012年10月11日

 久しぶりにひとりで新宿に出かけて、あれこれお店を回ったり、喫茶店に行ったり、していました。

 もともとのお目当ては、ニールズヤードが今秋発売を始めた、フランキンセンスのオードパルファンを買うことでして。天然の精油のみを用いたオードパルファンはまだ珍しく、ニールズヤードのような店舗を全国に展開しているようなメーカーが売り出したとあって、合成香料の強い香りが苦手な向きは熱い視線を送っているのではないかと思います。
 新宿の直営ショップで購入したのですが、お店の方が貴重品を扱うような接し方をしてくださいました。そういうのを味わうのも久しぶりです。
 お店の方が言うには、もう売り切れが出始めた店舗もちらほらあるそうで。

 新宿ルミネ近くの、風呂敷・手拭いのかまわぬ直営ショップを覗いたら、カワセミをあしらったコットンスカーフがあったので、キツツキの手拭いと一緒に思わず購入。
 最近、鳥のモチーフの雑貨のラインナップが増えてきているのでうれしい限りです。

 あとはついでに、伊勢丹新宿で、バーバリーやアクアスキュータムの売り場をひやかして、ジャケットが一着8万円という世界を久しぶりに垣間見て眩暈と闘ったり、そんなのんきな一日でした。

子供の自分にご褒美2012年10月12日

 散歩のついでに、久しぶりにハーゲンダッツのアイスクリームを買ってみました。チョコレートブラウニー。ストロベリーとバニラと抹茶で最後まで悩んだのですが、秋の空にはチョコレートが似合います。

 中学高校の頃は、今よりもっと甘味に対する欲求が強くて、というよりもやはり成長期だったのでしょう、食欲全般が強かったです。いくらお菓子を食べても太らなかったですし。今も、その気になればあの頃並にチョコレートをもりもりと食べることはできるでしょうが、あの頃ほどの感動もないでしょうし、後々健康面でも体重面でも大変なことになりそうですし、やる気はもうないです。
 そんな中高生の頃、一番好きなアイスクリームはハーゲンダッツでした。濃厚でおいしいというのももちろん理由でしたが、たぶん当時イギリスをイメージしたCMをやっていたせいだと思います。私は中高生の頃から紅茶経由でイギリスに憧れを抱くようになっていました。ウィンブルドンテニスの試合中にハーゲンダッツを食べている淑女、というCMの映像を、今でも覚えています。
 あの頃は、ハーゲンダッツのアイスクリームを好きなだけ食べられる身分になりたい!と思ったものでした。

 小さい頃願った「贅沢」のうち、いくつかは、今でも実現できないほどの本当の贅沢だったりしますけど、ハーゲンダッツのアイスクリームは手が届くものになりました。なってみると、今はそれほど食べなくなってしまったので、やはり私にとってのこの味は、味そのものというよりも、憧憬のイメージに結びついているものなのでしょう。

 中学高校と、色々あったけれどがんばって生き延びて、それなりにささやかで立派なことを成し遂げたあの頃の自分の頭を、よしよしと撫でてあげる気分で、久しぶりの濃厚なアイスクリームです。

自分のために作る人2012年10月18日

 世の中には二種類の人間に分類される。料理をするのが好きな人と、そうでない人。
 そして、料理をするのが好きな人は二種類に分類される。他人のために作るのが好きな人と、自分のために作るのが好きな人。

 私は昔から料理をするのは嫌いではなくて、今でもそこそこには作る。私が料理を作り始めたのは大学生になってからなので、人生としては歴史は浅い方なのだが、それでも?年のキャリアにはなっている訳だ。
 昔の私は、割と典型的な、他人のために作るのが好きな人だった。人が集まるところではよく料理を作ったり、お菓子を持っていったりした。他人が食べるのを見て自分は食べないこともあったくらいだ。私の実家は、色々な事情で大人たちがとても多忙な家で、台所は母が一手に切り盛りし、私はあまり手伝いというものをしなかった。(単にさぼっていたとも言えるが) なので料理を作るというのは、私にとっては家を離れる象徴であり、また同時に憧れでもあった。その憧れは「ホームを作り出す主婦」で、いわば竃の女神ヘスティアのようなイメージだった。私にとって料理が、他人のために作るものだったのは、そういう経過をたどったせいだろう。
 やはり大学時代に、森鴎外の娘にして恐るべき女性、森茉莉のエッセイを読んだら、「私は他人のために料理はしない。自分が楽しむために料理をする。病人のお見舞いなどで料理を持っていく時も、自分の分と二人分作って一緒に食べる」といったくだりがあって(記憶で書いているので多少違ってるかも知れないが)、なんというかすごいなぁ、よくわからないけど、という感想を抱いたものである。

 ところが、不思議なもので、今の私はもっぱら、自分のために作る人である。
 他人が集まるところでも、あまり自分の料理を持っていったりしなくなった。買ったものを持っていく。自分で焼いたお菓子などを手土産にすることもほとんどない。
 それは森茉莉のような強く誇り高い自意識のなせるところでは全然なくて、単純に、自分の料理やお菓子というものが、特に他人様に喜んでもらえる種類の、質や方向性を持ったものではないということに気づいたせいだと思う。
 ただでさえ、お菓子を作ると砂糖も卵もバターも使わないレシピだったり、肉を自宅では調理しなかったりと、少々変わった調理生活を送っていることに加え、別にそんなに特別料理も製菓も上手ではなく、せいぜい人並み、あるいはそれ以下なことを、さすがにこの歳になると思い知ってくる。
 外食中食産業の発展と、食べ道楽な軽鴨の君の情報網のおかげで、持っていけば間違いなく他人様が大感激するお菓子も惣菜も手に入る。であるなら、何も私がわざわざ包丁を握る必要はない訳だ。
 なので今は、他人様に持っていくものは買ったものである。

 それでも自宅で料理をしたり、お菓子を焼いたりするのは、もっぱら自分のためだ。私は単純に、料理をするのが好きである。あれこれ試し、できあがったものがひどい有り様でも、自分一人が食べるのならそれはそれで楽しい。失敗しても笑って済ませられる。そこには成果を挙げるという言葉が存在しない。ただ、過程を楽しむ時間があるだけである。食べることは、作ることの過程の最後のしめくくりに過ぎない。
 そんな流れで作ったものを他人様に出す訳にはいかないから、私は自分のために作る。他人のために作ることは、嫌いなのではなく、できないというのが近いのだろう。私が最近、人の集まりに自分の料理やお菓子を持っていくのは、かなり変わったレシピや食材を紹介するためであることが多い。

 ただ、軽鴨の君だけは、私のこの流れにつきあわざるを得ない訳で、時々彼は珍妙な料理を食べさせられて複雑な顔をするはめになるのである。気の毒な話である。
 もし私がお金持ちだったら、軽鴨の君の理想とする料理を毎日作るお手伝いさんをびしっと雇って、そんな気の毒な状況にならないようにするのだけれど。

病後2012年10月31日

 一週間ほど、風邪引いて寝込んでました。
 久しぶりに39.5度の熱が出て、リンパ腺が子供みたいにぱんぱんに腫れました。まあ深刻な病気ではなくて素直に風邪でしたので、半分が優しさでできてる解熱剤を夜だけ飲んで、後はひたすら寝てましたが。病院には行きませんでしたから、勝ちです。何と闘ってるのかは知りません。

 その少し前から、不特定多数の人の言葉が目に入ってくるのがとてもきつい状態になっていたので、Twitterも見ず、mixiも管理コミュニティのチェックだけ、メールも最低限、テレビも新聞もスルー、という精神的ひきこもりでした。
 風邪になってそれがますます進み、今ではTwitterはMacOSやiPhoneのツイート機能でつぶやくことはあるけれどタイムラインを見ることがほとんどありません。他人の話は聞かないのに自分だけつぶやく人。ああ何かとても嫌な人だなこう書くと。

 そんな感じで、少しずつ社会的生活に復帰しようと、ちょっとずつ人と会ったりしつつ、病後特有のふわふわした状態を過ごしています。