チョコボ引退2007年05月01日

日数を数えて、そろそろだとはわかっていたが、やはりいざ引退の日が来ると悲しかった。
お別れのイベントで見つめるチョコボの黒い瞳は、どこまでも澄んでいて、ディスプレイの前で涙を流しそうになる。何も知らないような、けれど本当は何もかもわかっているような。

PurJasminが、永遠にチョコボの牧場で元気に駆け回っていくことを、星の神子とアルタナ女神に祈る。

理屈では、また新しいチョコボの卵を手に入れるなり、フレンドのチョコボとお見合いさせて子供を育てるなり、すればいいのだけれど。でも何となくそうは割り切れないものだ。
連休が終わるまでは、このさびしさを引きずったまま、文字通りの空の巣症候群を味わうのだろう。

議論2007年05月02日

私は議論というものの存在価値を、しばしば疑ってしまう。それはたぶん、良質の議論というものにあまり出会っておらず、反面ネットで爆発しているような様々な議論のようなものに心の産毛をすりきれさせられてしまうからだろう。
事実と推論と個人の意見と感情を区別することが議論の基本、と思うけれど、「事実」とは何か?という哲学的な問いに答えを出すことさえ、私には難しい。Wikipediaのノートでよく出てくる「○○ということがあったのは事実です」とすげなく書かれた一文さえも、私は素直に信じられなくなっている。事実って何?
そして、たくさんの議論を積み重ねても、結局何一つ尊いものは生まれないのではないかという不安が、心の中に忍び寄ってくる。
そんな中、私自身は議論がひどく不得手で、また実際そういうものには関わらないようにしている。たまにそういった出来事を見かけるだけで、ひどく疲労することもある。今日は、そんな日。

英会話2007年05月03日

「名探偵ポワロ」のDVDを、英語音声、字幕なしで観てみたのだけど、全くと言っていいほど聴き取れなかった。波間に浮かぶ海藻のように、ところどころにわかるフレーズはある。だがそれがまとまった意味を成してくれない。つくづく自分のヒアリング能力のなさにがっくりする。
大学時代にはうんざりするほど英語の文献を読まされたこともあり、英語は読むだけなら少しできるのだけれど、ヒアリングはさっぱりだし書いたり話したりするのもうまくない。何より、即応性に欠ける。時間をかけて考えれば言葉が出てこない訳ではないのだけど、会話は時間をかけていられるものばかりではない訳で、結局私の英語は「使えない」という結論に達するのだ。
そんなこんなで、6月に控えたイギリス旅行(ある種仕事みたいなものだ)のためにも、英会話を本腰を入れて勉強しなければならないような気がしてきた。
考えつくのは
・NHKの語学番組を気合いを入れて視聴する
・「えいご漬け」「もっとえいご漬け」を気合いを入れてプレイする
・英会話学校に素直に通う
・英語の日記やBlogを書く(でもこれは会話という点ではどうなんだ?)
ぐらいだけれど、一番重要なのは、何というか「動機付け」を維持することなのだなぁ。
英語が聴き取りたいと、あるいは話したいと切実に思えるようなことが、今の私にはあまりない。できればネガティブな、話せないと困るということではなくて、ポジティブな、話せるとこんないいことが、みたいなことがいいのだけれど、それがない。
物語のたぐいは日本語でさえ面白いと思うものが少なくなってきているし、最初に書いた「名探偵ポワロ」ももともとは熊倉一雄氏の名演技に惚れ込んで買い集めたものだから「英語でなくては!」って感じでもない。そもそも映画もドラマもあまり興味がない。海外に友達もいないし、旅行が大好きという訳でもないし、何としてもコミュニケーションをとりたい誰かがいる訳でもない。
結局のところ、これも行き着くところは「楽しいこと探し」に突き当たるような気がする。そして私の近頃の不幸感(実際に不幸なのではなく、何となく不幸な気がするという思いこみ)は、この辺りにあるような気がしてならない。

混在2007年05月04日

今日は親戚筋の結婚式と披露宴に行ってきた。明治神宮で神前式の後、恵比寿のフレンチレストランでレストランウェディング。新婦はしっとりと美しく、明治神宮でしずしずと庭を歩く姿は、観光資源のように観光客の目をひいて、フラッシュの奔流となった。ワインの資格を持つ新郎が、おいしい料理を食べてもらいたいという願いで選んだだけあり、レストランの食事は華やかにしておいしかった。
普段あまりいただかないワインを飲んで、少しぐるぐるした頭で考えていたのは、こういう親戚や友人や会社の同僚といったあらゆる流れの人が集まる席というのは、色々な顔を使い分けるタイプの人間にとっては苦行だろうなということだった。
私は結局結婚式も披露宴もやらずに、互いの家族を呼んで写真を撮り食事会をしただけだったから、そういう経験はしないで済んだけれど、実際にやったら相当パニックになったような気がする。

実家の家族にとって、私は意味不明でわけのわからない、口達者なうるさいいつまでも成長しない子供であり、
軽鴨の君のご家族にとって、私はいつもにこにこ笑っていて時々珍妙なことを言ってみんなを笑わせる女性であり、
中高時代の友人にとって、私は成績は悪いくせに妙に頭のいい印象を与える(実際はさほどではないが)みんなが知らないことを知っている不思議な人であり、
かつての仕事仲間にとって、私は何一つ満足に物事を達成することなく逃げ去った人当たりがいいだけのあまり役に立たない人材であり、
大人になってから友達になった人々にとって、私は穏やかで争いを嫌うくせに時々ひどく棘のある冷ややかな発言で空気を凍らせる人妻であり、
そのどの顔も、何かが共通しているはずだが、実際に同時に存在することはないだろうと思う。
恐らくそういった複数の顔と出会った時、相手への気持ちが変わらないか、もしくはさらに深まることがあるのなら、それは運命の伴侶というものなのだろう。

そんなことをぐるぐると考えながら、幸せそうに笑う新郎新婦を見ていた。そんな一日だった。

出発2007年05月05日

ゴールデンウィークの最後の二日を、東京を離れて過ごすことになった。軽鴨の君と、高校時代の友人二人と、四人でのんきに行ってくる。
出発の朝は、色々な用事の処理で、何だかんだと慌ただしい。ぼんやりと眠い頭で、ともすると手が止まりそうになるのを、こらこらと己を叱咤して動かす。そんな感じだ。
大人の素晴らしいところは、こうして友達と、たくさん話ができる時空を作り出せることだと思う。子供の頃は「一日中好きなだけ話してていいよ」なんてことは、修学旅行でさえなかったような気がする。たとえそんな時空を作り出すことができるのは、一年にほんの数回であっても、歳を取ってよかったと思う瞬間である。

アンドラ・モンターニュ再訪2007年05月06日

ゴールデンウィークに、無理矢理?予約をとって、石打のアンドラ・モンターニュへまた行ってきました。
牡蠣と苺の焦がし焼きサラダや、鯛のムニエルのおかゆ添え、春の海を飲んでいるような海藻のスープ等々、おいしいおいしいものをたらふく食べて帰ってきました。後日メニューをアップしますね。
オーナーの熊おやじさんの料理は、子供の心のようなドキドキと、意外なカップリングと、しっかりした土台に支えられたおいしさに満ちています。ため息ばかりがこぼれます。ホウレンソウの茎のピクルスなど、思いつきもしないものが出てきて、食べると必ずおいしいというのは偉大なことです。
帰りは横川へ行って、峠の釜飯を食べて来ました。こちらは味というよりセンチメンタル・ヴァリューを味わいにいったという感じ。本当は碓氷鉄道文化むらに行く予定だったのですが、豪雨で断念しました。
一緒に行った高校時代のお友達二人、そして軽鴨の君、お疲れさまでした。

わくわく北浦和日記102007年05月07日

22日
 朝ごはんにキウイを食べる。
 そして一日仕事。原稿を書いて、夜は別件の用事で池袋へ出る。人と会って、ついでに軽鴨の君と食事して、そして北浦和へ帰る。全然北浦和にいられない一日。

23日
 新宿に出る用事ができて、新宿へ。ついでに軽鴨の君と会って、電波時計を買ったり、色々とささやかな用事を片づける。今日も全然北浦和にいられなかった。つまらないの。 

24日
 月経が来たので、必要な品を商店街に買いに行って、ついでにアロマショップを見てみる。「前向きになるブレンド」のハーブティーはおいしかった。グレープフルーツの消臭剤を買ってみたので、帰ったら使ってみよう。
 お茶も飲みに行こうかな、と思ったのだけど、よく考えたらおみやげとか、荷物の送付とか、帰りの電車賃とか、色々お金がいるような気がしたので、やめる。
 今日はちろちろと原稿を書きながら、お昼に猛烈に眠くなって寝る。
 そろそろ帰宅の日が近付いているのが、妙な気分だ。すっかりこの街が「自分の街」になっているらしい。

アンドラ・モンターニュ再訪のごはん2007年05月08日

先日行ったアンドラ・モンターニュのディナーのメニューです。

アヴァンアミューズ 一口のトマトジュレ
トマトから自然にこぼれるエキスを集めて作る、宝石のように透明なジュレ。赤くないのにトマトの香りと味がするのが不思議。

アミューズ 能生の本マスと平目を生で 能生の海水の塩で
平目がマスの劣らず濃厚なのがちょっとびっくり。塩だけなので、魚の脂と香りが出ていい感じ。

広島・健牡蠣と栃木・内藤苺の焦がし焼きサラダ
牡蠣と苺! 想像もつかない組み合わせ。でもこれがおいしい。火を通した牡蠣には、生以上のコクとうまみがあって好き。そして苺は、野菜っぽい側面が引き出されるというか。香りと青みがふわりと残って、牡蠣の後味と合わさるのです。珍味、じゃなくて美味。

能生の大鯛のムニエル 大沢の極上コシヒカリの白米のおかゆ添え
鯛は大きい方が味が濃いのだそうです。それも、獣肉のように寝かせていくと味が熟成されていくのだそうで。皮がまたぱりぱりで香ばしく、軽鴨の君がお気に入り。白米のおかゆは、鯛のスープで炊いたもの。リゾットとはまた違う、まろやかなおいしさ。

能生の春の海を飲むようなスープ
能生の海でとれた、冷凍せず生のまま輸送した海藻で作ったコンソメスープ。本当に春の海の香りがします。柔らかい、ほどよくソルティな味わい。私はこれがお気に入りでした。

季節はずれに届いたエゾ鹿のリエット
確かに鹿をこの季節に食べるのはなかなかないこと。濃厚なうまみで、パンがいくらでも入る罠です。

名物フォアグラサンド
渋谷アンドラ時代からの名物、フォアグラサンド。大根とフォアグラはなぜこんなに合うのだろう。

春鹿(根室)の軽いシヴェ コゴミのベニエ添
シヴェといっても、季節に合わせてややあっさりめ。ほろほろ崩れる鹿肉、とろとろの野菜。コゴミのベニエがまたふんわり香ばしくて絶品。

ある野菜のクレーム
このメニューだけ、秘密。これは全くもって食べたことのない、新しいクレームブリュレでした。村おこしに使うアイデアにするそうなので、ちゃんと名前がついたメニューだけど、ここでは秘密にしておきます。いずれこれが全国に広まることを祈りつつ!

ワインも、シャンパンと白ワインとグラスで、赤ワインをボトルで、食後にマールを2種類、たらふく飲みましたが、詳しくないもので銘柄を忘れました。

野菜ジュースの繊維2007年05月09日

何だか妙に野菜や果物のジュースが飲みたくなって、気が向くと作っている。組み合わせも作り方も適当だ。大体、イワタニのミルサーを引っ張り出して切った果物や野菜を入れるだけ。水分が少ないとミルサーではうまくジュースにならないので、水やリンゴジュースを入れることが多い。
繊維も含めてジュースを飲むと、喉越しが重たくて、あまり好きではない。ので、今までは軽く漉してジュースを飲み、残った繊維は適当に自分の昼食のスープやら何やらに放りこんで食べていた。
この手間が面倒なので、ジューサーを使うと繊維とジュースが別々になるという話を聞き、以前軽鴨の君が買ってきたジューサーを引っ張り出して使ってみた。

まず、すごい音と金属の匂いに驚く。歯科医とか工事現場を思い出す、一種恐怖を誘う騒音だ。そして熱せられた金属の匂いが結構強い。
ジュースと繊維は確かに別々になる。ただ、ミルサーに比べて残った繊維は荒い。かなり大きな繊維のかたまりになって残っている。皮など薄い部分は、ほとんどそのままぽいっと繊維コーナーに押し出される感じだ。
繊維を掻き出して洗う手間は、面倒と言えば面倒、そうでもないと思ってしまえばそうでもない。
という訳で、総合的に考えるとミルサーの方が手軽ではあるのだけれど、野菜によっては繊維が多くて絞るのに困るものもあるので、しばらく併用することになりそう。何より、ジューサーの場合は水分を追加しなくていいのはラクだ。飽きるまでは、ジュースを作る日々が続きそうである。

トマトの炊き込みご飯2007年05月10日

今日は出かけたら何だかぐったりしてしまって、己の体力と気力のなさにがっかり。
そんな時は新しいレシピにでも挑戦だ!という訳で、トマトの炊き込みご飯にチャレンジ。普通ならピラフのようにスープで炊き込むのだけど、これはあくまで「ごはん」。酒と塩と昆布と、少しオリーブオイルを垂らしてごはんを炊く。
炊きあがりは、ピラフ的な盛りあがりを期待すると、さっぱりすぎて肩すかしを食らうかも知れない。でも具だくさんのスープと合わせて食べると、何だかじわじわとしたうまみがあって、なかなかおいしいのだ。塩味をやや強めにするのがおいしいかも知れない。
本家のレシピには押し麦ともちあわを一緒に入れるのだけど、すっかりもちあわを入れるのを忘れて、押し麦と米だけで炊いてしまった。これはこれでおいしいけれど、もちあわを入れた方が、色合いも味わいもいいような気がする。今度作る時はもちあわを忘れないようにしよう。