生存理由2007年05月28日

今日は自己嫌悪の塊となって、ぐったりと過ごした。定例のことなので、別に今さら驚きもしない。
英会話スクールに行って、P先生(この先生とは比較的相性がいいようだ)とにこやかに語ることができたのは幸いだ。私は、私のこの泥沼のような気分に他人を巻き込むのは、本当によくないことだと思っている。
にこやかに語り心から楽しむことと、絶え間ない自己嫌悪は、違うレイヤーで平気で同時進行していくもので、その状態に私は非常によく慣れている。だから生きていられるのだろう。

大学院の頃、私が死なずに生きていた一番の理由は、家庭教師をやっていたことだと思う。
それは生きがいとか役立っている気持ちとかではなく、ただ単純に、昨日まで普通に見えた「先生」が突然自殺したら、純粋な中学生と高校生だった彼女らがどれほど傷つくだろうという思考に耐えられなかったからだ。
毎日東から太陽が上り、西に太陽が沈んでいくような優しい日常こそが、十代の真ん中辺りには必要不可欠であって、そこに不条理な死が突然斬りこんでくることの苦痛と衝撃を、運命でもないのに与えることは、私にどんな苦悩があろうと許されるものではない。その感覚(それは完全に正しかったと今でも思っているが)が私を生かし続けた。

さらに昔、高校生くらいの頃、多感な高校生の常として自殺が脳裏によぎることもしばしばあったけれど、その時に私を踏み止まらせたのは、「今日は掃除当番だった」というような些細なことだった。それも、別に定期的肉体的仕事の治療性とか、自己がコミュニティの利益に寄与しているという感覚とは何の関係もなくて、「掃除当番が掃除をする日常」というものが破壊されることによって、クラスメートや先生達が感じる苦痛があまりにも気の毒に思えたから、に過ぎない。別にその当時、クラスメートや先生達に特別な感情を抱いていた訳ではなかったのだが。
「みんなのつまらないありきたりな平穏な日常を破壊することは、決して許されることではない」という感覚は、特に誰からも特別に愛されても大切にされてもいないと思っていた私が、それでも生きなくてはならない理由だった。
私の生はその当時から、ポジティブな何かを生み出すというよりも、誰かの暮らしがネガティブにならないように穴埋めをしていくものだったのかも知れない。

私はまだしばらくの間、私のことをよく知っている訳ではないたくさんの人たちの日常を守り続けるために、生きつづけるだろうと思う。
それはちっともロマンティックな理由ではないので、私の中の夢を食う部分はひどくつまらなくむなしく感じるのだけれど、私のどんな理屈っぽい疑似哲学的部分さえも黙って従うよりないという威力を持っている意味で、最も強固な理由であろう。