ヴェニスに死す2007年07月20日

ヴェニスに死す,トオマス・マン著,実吉捷郎訳,2000.5.16.改版第1刷(1939.1.10.初版),赤434-1

 あまりにも有名で、映画にすらなった作品だ。筋はとても単純で、極めて厳しく倫理的に自律した初老の小説家が、ふと気分を変えたくなって訪れたヴェニスで、彼の理想を具現化した完璧な美少年を見つけ、勝手に恋に落ち、そのままヴェニスに蔓延する伝染病にかかって死ぬ。
 極端に道徳を尊び己の欲望を無視してきた男が欲望自身に復讐される物語とも読めるだろうし、芸術と美の追求が倒錯に堕落する過程とも読めるだろうし、現実には存在しえない神話的な同性愛によって詩的な魂が現実から追い落とされる悲劇とも読める。そして、私個人はそのどのテーマにもあまり興味がないために、この物語は徹頭徹尾他人事だった。
 しかし、きっと現実にはこういうことは無数に起こっているのに違いない。真面目なだけが取り柄の中年男性がキャバクラ嬢にはまって一財産失うといった光景は、きっとこの物語と同じ構造なのだろうと思う。恐ろしいのは、キャバクラ嬢は男性を客として扱って誘うのだろうが、この美少年は別に主人公を誘った訳でも何でもなく、主人公が勝手に見つけて勝手に恋いこがれる(何しろ彼と少年は一言会話することさえない)ということである。思いこみとは恐ろしい。まあ美少年に襲いかかったりしなかっただけましなんだろうが……。
 物語の前半に、自分の老け顔を隠すため化粧をしている老人を、嫌悪をこめて主人公が見つめる場面がある。しかし物語の最後、少年に恋いこがれる主人公は自分の老いた体から逃れるためにその化粧に足を踏みこむことになるのだ。その場面が、私には最も残酷に見えた。

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