無価値 ― 2014年01月29日
月曜日に久しぶりの来客があり、この間作ったものの食べ切れなかった鱈の白子の煮付けなどを振る舞って喜んでいただけたのですが、その次の日に軽く微熱が出て寝込んでいました。
非常に珍しいことに結構深酒したので、あらーこれは人生初の二日酔いかしらんなどと思っていたのですが、いや二日酔いもあったのかも知れませんが、単純に風邪だったみたいです。一日おとなしくスポーツドリンクを飲みながら寝ていたら、平熱になりました。
今年もそろそろ1ヶ月が経過しようとしていますが、新しい楽しみや趣味になることがなかなか見つからず、ちまちま本を読んだりゲームを遊んだりしていますが、元気は出ないです。
新しいゲームや、昔のゲームのリメイクを遊んでみても、自分の中の「いいもの」と思うものと、今世界で「いいもの」とされているもの・目指されているものとのすれ違いが、くっきりと際立つばかりです。
それは本についてもそうで、ずいぶん昔から感じているものではあるので、今更ではあるんですが。
自分の楽しみが少ないということについては、後ろ向きになりながらも自分ひとりがしょんぼりしていればいいことなので、まぁ我慢はできます。
辛いのは、自分がよかれと思うものが他人にとってはよくないどころか困った代物である状況が標準になると、私が他人を喜ばせようとしても、基本的にあさってのことをやらかしてしまい無益どころか有害になりかねない、ということです。
人間が社会的な存在である以上、他人にとって意味がなければ自分が存在する意味は限りなく薄くなっていく訳で、「人が喜ぶものがわからない自分」というのは、それだけでずいぶん、価値が割り引かれている訳だよなぁ……と。
そこで、「だったら自分の感覚なんてかなぐり捨てて、他の人が喜ぶものに合わせて自分を変えてしまえばいいじゃない」と切り替えられればいいのでしょうけど、私は根本的に、「自分にとって不本意なことを、他人のためにがんばって、他の人の笑顔を糧にする」のが苦手なのです。
そういうことは、人生で何度も当然ながらがんばる機会がありましたけど、残る気持ちは満足感や喜びよりも、「別にこれって私がやらなくてもいいことだし、私よりもうまくやれて必要とされた人がいたはずだよな」というミスマッチ感で。
そういう感覚を覆い隠せるくらい、すごい成功をしてるとか他の人に喜んでもらえるとかならばいいのでしょうが、そこまでうまくいっている訳でもないので、割とこれって誰にとってもあんまり幸せな状況じゃないよなぁと感じてしまいます。
そんな訳で、今はもう、私はこのまま他人の邪魔にならないことだけを考えて、なるべく環境負荷を低くして死んでいくのが一番ましなんじゃないかという、薄ら寒い感覚に取りつかれており、とりあえずそれをしのぐために、ぼんやりと生きております。
非常に珍しいことに結構深酒したので、あらーこれは人生初の二日酔いかしらんなどと思っていたのですが、いや二日酔いもあったのかも知れませんが、単純に風邪だったみたいです。一日おとなしくスポーツドリンクを飲みながら寝ていたら、平熱になりました。
今年もそろそろ1ヶ月が経過しようとしていますが、新しい楽しみや趣味になることがなかなか見つからず、ちまちま本を読んだりゲームを遊んだりしていますが、元気は出ないです。
新しいゲームや、昔のゲームのリメイクを遊んでみても、自分の中の「いいもの」と思うものと、今世界で「いいもの」とされているもの・目指されているものとのすれ違いが、くっきりと際立つばかりです。
それは本についてもそうで、ずいぶん昔から感じているものではあるので、今更ではあるんですが。
自分の楽しみが少ないということについては、後ろ向きになりながらも自分ひとりがしょんぼりしていればいいことなので、まぁ我慢はできます。
辛いのは、自分がよかれと思うものが他人にとってはよくないどころか困った代物である状況が標準になると、私が他人を喜ばせようとしても、基本的にあさってのことをやらかしてしまい無益どころか有害になりかねない、ということです。
人間が社会的な存在である以上、他人にとって意味がなければ自分が存在する意味は限りなく薄くなっていく訳で、「人が喜ぶものがわからない自分」というのは、それだけでずいぶん、価値が割り引かれている訳だよなぁ……と。
そこで、「だったら自分の感覚なんてかなぐり捨てて、他の人が喜ぶものに合わせて自分を変えてしまえばいいじゃない」と切り替えられればいいのでしょうけど、私は根本的に、「自分にとって不本意なことを、他人のためにがんばって、他の人の笑顔を糧にする」のが苦手なのです。
そういうことは、人生で何度も当然ながらがんばる機会がありましたけど、残る気持ちは満足感や喜びよりも、「別にこれって私がやらなくてもいいことだし、私よりもうまくやれて必要とされた人がいたはずだよな」というミスマッチ感で。
そういう感覚を覆い隠せるくらい、すごい成功をしてるとか他の人に喜んでもらえるとかならばいいのでしょうが、そこまでうまくいっている訳でもないので、割とこれって誰にとってもあんまり幸せな状況じゃないよなぁと感じてしまいます。
そんな訳で、今はもう、私はこのまま他人の邪魔にならないことだけを考えて、なるべく環境負荷を低くして死んでいくのが一番ましなんじゃないかという、薄ら寒い感覚に取りつかれており、とりあえずそれをしのぐために、ぼんやりと生きております。
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