最後の味噌 ― 2007年07月01日
何とかイギリスから無事帰国。まだ時差ぼけで、睡眠が細切れですが、明日からは通常通りに動けるといいな。
そんな訳で今日は久しぶりに自宅でごはんを作りました。といってもごくごく簡単に、ごはんと味噌汁と納豆と、みたいな食事ですが。
去年仕込んだ味噌の最後のひとかめを、今日開封しました。内蓋に大きさぴったりの木蓋を使ったら、味噌のたまりを吸いこんでふくらみ、蓋が開かなくなって大騒動です。幸い、軽鴨の君が力学的法則にのっとって工夫をし、開封してくれましたが。カビを心配したものの、表面に白カビが出ていただけで、中は大丈夫のようです。
この味噌を使い切った後、もう少しすると、今年仕込んだ味噌が食べられるようになります。わが家の味噌の消費量はかなりのもののようです。先日独り暮らしの友人が揃って「味噌は使い切る前に乾燥しちゃうから買わない、味噌汁はインスタント」と言っていたのを聞いて驚いたものです。私は独り暮らしの時から味噌は欠かさず、足りなくなりこそすれ使い切れずに困ることはありませんでした。食生活というのは本当に人それぞれですなぁ。
そんな訳で今日は久しぶりに自宅でごはんを作りました。といってもごくごく簡単に、ごはんと味噌汁と納豆と、みたいな食事ですが。
去年仕込んだ味噌の最後のひとかめを、今日開封しました。内蓋に大きさぴったりの木蓋を使ったら、味噌のたまりを吸いこんでふくらみ、蓋が開かなくなって大騒動です。幸い、軽鴨の君が力学的法則にのっとって工夫をし、開封してくれましたが。カビを心配したものの、表面に白カビが出ていただけで、中は大丈夫のようです。
この味噌を使い切った後、もう少しすると、今年仕込んだ味噌が食べられるようになります。わが家の味噌の消費量はかなりのもののようです。先日独り暮らしの友人が揃って「味噌は使い切る前に乾燥しちゃうから買わない、味噌汁はインスタント」と言っていたのを聞いて驚いたものです。私は独り暮らしの時から味噌は欠かさず、足りなくなりこそすれ使い切れずに困ることはありませんでした。食生活というのは本当に人それぞれですなぁ。
青梅の塩水漬け ― 2007年07月02日
イギリス行きの前に塩水に漬けておいた青梅を、今日夕飯に食べてみた。
酸っぱくて塩気があって、果肉が歯応えがあって、梅が好きでないと耐えられないほどパンチの強い食べ物だ。塩分控えめの調味梅干しでないと食べられないような人は、絶対受け付けられないだろう。でも私はなかなか気に入った。毎日ぱくぱく食べるものではないけれど、夏にいい。シャープで青っぽい香りの残ったフレッシュな梅干しという感じ。
歯応えや、種の回りの果肉のねっとり感などは、とてもプラムに似ている。英語で梅を示す時はJapanese Plumと呼ぶらしいけれど、納得だ。梅干しにしてしまうと、梅が果物だということを忘れそうになるが、こういう食べ方をすると、これはやはり「果物」なのだということを思い出す。
酸っぱくて塩気があって、果肉が歯応えがあって、梅が好きでないと耐えられないほどパンチの強い食べ物だ。塩分控えめの調味梅干しでないと食べられないような人は、絶対受け付けられないだろう。でも私はなかなか気に入った。毎日ぱくぱく食べるものではないけれど、夏にいい。シャープで青っぽい香りの残ったフレッシュな梅干しという感じ。
歯応えや、種の回りの果肉のねっとり感などは、とてもプラムに似ている。英語で梅を示す時はJapanese Plumと呼ぶらしいけれど、納得だ。梅干しにしてしまうと、梅が果物だということを忘れそうになるが、こういう食べ方をすると、これはやはり「果物」なのだということを思い出す。
厭世感 ― 2007年07月03日
旅行の疲労がまだちょっとずつ心身のあちこちに溜まっているせいか、些細な他人の言動がカンに障って仕方がない。
こういう時の私が、にこにこ笑っている顔の奥で、どんな冷酷無惨な思考を走らせているかが明るみになったら、友達など誰一人いなくなるのだろうなとつくづく思う。
こういう時期は、昼寝をするのがたまらなく気持ちよくて楽で、精神衛生を保つためと称してよく寝てしまう。
いばら姫や白雪姫の気持ちというのは、こんな感じだったのだろうかと考えるのは、こんな時である。
こういう時の私が、にこにこ笑っている顔の奥で、どんな冷酷無惨な思考を走らせているかが明るみになったら、友達など誰一人いなくなるのだろうなとつくづく思う。
こういう時期は、昼寝をするのがたまらなく気持ちよくて楽で、精神衛生を保つためと称してよく寝てしまう。
いばら姫や白雪姫の気持ちというのは、こんな感じだったのだろうかと考えるのは、こんな時である。
疑似白 ― 2007年07月04日
のんびりフナ釣りをしていたら、フレンドのDさんが「ビシージトロール軍もうすぐですよー」と教えてくださった。始まるのは夜だし、人数はいっぱいかしら……と思ったら、行軍が始まっても500人程度。DさんもLSの人も予定があって来られなかったのだが、こっそりと黒37で参戦してみた。結果的には、700人集まって始まったらしい。
今回はLV8トロール軍。黒37ではどうしようもないダメージしか与えられないので、はじめからMND重視の装備で、劣化白として参戦。目に付く人片端からケアル2をしていく(笑)。
途中トロールの範囲攻撃を受けて戦闘不能、リレイズで起き上がった途端、Gereの引き寄せ→一撃のコンボで再度戦闘不能ということもあったが、幸いレイズをもらえて、最後まで生き残った。
さすがに夜で人が多かったせいか、関羽に魔法を浴びせるのを止めるshoutも流れたけど、何とか将軍は一人も落ちないまま45分ほどでトロール軍撤退。私がもらった経験値は1025点。とりあえず一安心。
今回はLV8トロール軍。黒37ではどうしようもないダメージしか与えられないので、はじめからMND重視の装備で、劣化白として参戦。目に付く人片端からケアル2をしていく(笑)。
途中トロールの範囲攻撃を受けて戦闘不能、リレイズで起き上がった途端、Gereの引き寄せ→一撃のコンボで再度戦闘不能ということもあったが、幸いレイズをもらえて、最後まで生き残った。
さすがに夜で人が多かったせいか、関羽に魔法を浴びせるのを止めるshoutも流れたけど、何とか将軍は一人も落ちないまま45分ほどでトロール軍撤退。私がもらった経験値は1025点。とりあえず一安心。
苦情 ― 2007年07月05日
今日の読売新聞の夕刊の連載記事「モラルを問う」は、とても興味深い内容だった。
学校にクレームをつける親の存在についてなのだが、近頃はやりの「理不尽なイチャモンをつけるひどい親」といったあの紋切り型で浅薄このうえない取り上げ方ではなく、彼らが何故クレームをつけるに至ったのか、そして学校がそこにきちんと向き合うことでどのように相互理解に至り、互いによりよい結果を導くことに成功したか——という、複数の事例についてなのである。
たとえば、子供に弁当を届けようとした父親が、昼食時間の繰り上げを知らず弁当を届けられなかったと、学校に乗りこみ文句をまくしたてた——という、事実だけをとりあげれば、したり顔のにわか評論屋が「全く、最近の親というのはどうしようもありませんね」などとうそぶきそうな出来事の裏に、何があったのか。
この一家の抱える事情、過去に学校との間にあったトラブルのために芽生えていた不信感。学校教頭は、この家族の家を尋ね、きちんと話を聞くことでそれを理解し、詫びる。それによって父親も自らの非に気付き、頭を下げる。そして互いの間に信頼関係と協力関係が生まれる。
確かに、無理難題な理不尽を要求するいわゆる「モンスターペアレンツ」は存在するのかも知れない。お客様サポートセンターに無理難題や理不尽を要求する「VIP」がいるように、ネット掲示板に罵詈雑言や他人のプライバシー暴露を書き立てる輩がいるように、彼らは存在するのだろう。
だが、恐らくその数は、私たちが勝手にイメージで膨らませているほど多くはない。そしてもしかしたら、その「モンスター」さえも、私たちが勝手にイメージで膨らませているほど、理不尽な存在でもないのかも知れないのである。
私たちが彼らをモンスターと思っているのは、その裏にある様々な事情を全く知らずに、表面的な事実の羅列だけを追っているからに過ぎない——可能性だってあるのだ。
派手なクレームだの裁判沙汰の問題だのは、突然生まれるのではない。あるいは、一部の関係者はそう思っているのかも知れないが、決してそうではない。そこに至る理由と過程は、必ず存在する。
それは過去にあったもっと些細な(しかしそれだけに重要な)出来事を軽んじたというようなすれ違いだったり、悪気はなかったのかも知れないが心傷つくような言動であったり、そもそも全く理解する気がない(ように思える)態度であったり、無数に考えられる。ひとつひとつが小さいことで、いちいち取り上げるのも大人げないと思っているのだが、ある日気がつくと羽毛が喉に詰まったかのように人の心が窒息し、やがて破綻が訪れる。「そんなつもりではなかった」「気付かなかった」と言ってもその時には遅い。
そして外から見れば「何であんなことで」というような小さな火花が、大爆発になる。経過を知らない人にすると、その様はまさにモンスターが暴れるように見えるだろうが、当事者にしてみれば必然なのだろう。
私は、事情があるのだから「モンスター」を容認しろとか、擁護しろと言うつもりはない。事情があろうと、色々なところに迷惑になる騒ぎを起こしてしまったのなら、一定の始末をつけるのが大人というものだろう。だがそんな「理性的振る舞い」を第三者が要求し、受け入れてもらえるのは、恐らくその関係者の複雑怪奇な事情が整理され、互いにある程度の納得なり妥協なり協力なりが生まれた後であって、前ではない。
ただただ迷惑を受けた(と思っている)第三者(と思っている人)にははなはだ迷惑な話ではあるだろうが、結局のところ今日の第三者は明日の関係者に成りうるのであり、自分の事情を理解してもらいたいと望む人ならば、他人の事情がもたらす迷惑の解決にも猶予を与えるべきではなかろうか。
学校にクレームをつける親の存在についてなのだが、近頃はやりの「理不尽なイチャモンをつけるひどい親」といったあの紋切り型で浅薄このうえない取り上げ方ではなく、彼らが何故クレームをつけるに至ったのか、そして学校がそこにきちんと向き合うことでどのように相互理解に至り、互いによりよい結果を導くことに成功したか——という、複数の事例についてなのである。
たとえば、子供に弁当を届けようとした父親が、昼食時間の繰り上げを知らず弁当を届けられなかったと、学校に乗りこみ文句をまくしたてた——という、事実だけをとりあげれば、したり顔のにわか評論屋が「全く、最近の親というのはどうしようもありませんね」などとうそぶきそうな出来事の裏に、何があったのか。
この一家の抱える事情、過去に学校との間にあったトラブルのために芽生えていた不信感。学校教頭は、この家族の家を尋ね、きちんと話を聞くことでそれを理解し、詫びる。それによって父親も自らの非に気付き、頭を下げる。そして互いの間に信頼関係と協力関係が生まれる。
確かに、無理難題な理不尽を要求するいわゆる「モンスターペアレンツ」は存在するのかも知れない。お客様サポートセンターに無理難題や理不尽を要求する「VIP」がいるように、ネット掲示板に罵詈雑言や他人のプライバシー暴露を書き立てる輩がいるように、彼らは存在するのだろう。
だが、恐らくその数は、私たちが勝手にイメージで膨らませているほど多くはない。そしてもしかしたら、その「モンスター」さえも、私たちが勝手にイメージで膨らませているほど、理不尽な存在でもないのかも知れないのである。
私たちが彼らをモンスターと思っているのは、その裏にある様々な事情を全く知らずに、表面的な事実の羅列だけを追っているからに過ぎない——可能性だってあるのだ。
派手なクレームだの裁判沙汰の問題だのは、突然生まれるのではない。あるいは、一部の関係者はそう思っているのかも知れないが、決してそうではない。そこに至る理由と過程は、必ず存在する。
それは過去にあったもっと些細な(しかしそれだけに重要な)出来事を軽んじたというようなすれ違いだったり、悪気はなかったのかも知れないが心傷つくような言動であったり、そもそも全く理解する気がない(ように思える)態度であったり、無数に考えられる。ひとつひとつが小さいことで、いちいち取り上げるのも大人げないと思っているのだが、ある日気がつくと羽毛が喉に詰まったかのように人の心が窒息し、やがて破綻が訪れる。「そんなつもりではなかった」「気付かなかった」と言ってもその時には遅い。
そして外から見れば「何であんなことで」というような小さな火花が、大爆発になる。経過を知らない人にすると、その様はまさにモンスターが暴れるように見えるだろうが、当事者にしてみれば必然なのだろう。
私は、事情があるのだから「モンスター」を容認しろとか、擁護しろと言うつもりはない。事情があろうと、色々なところに迷惑になる騒ぎを起こしてしまったのなら、一定の始末をつけるのが大人というものだろう。だがそんな「理性的振る舞い」を第三者が要求し、受け入れてもらえるのは、恐らくその関係者の複雑怪奇な事情が整理され、互いにある程度の納得なり妥協なり協力なりが生まれた後であって、前ではない。
ただただ迷惑を受けた(と思っている)第三者(と思っている人)にははなはだ迷惑な話ではあるだろうが、結局のところ今日の第三者は明日の関係者に成りうるのであり、自分の事情を理解してもらいたいと望む人ならば、他人の事情がもたらす迷惑の解決にも猶予を与えるべきではなかろうか。
召喚士10になる ― 2007年07月06日
今日は時間的事情で、フナ釣りはせず、代わりに久しぶりに召喚士をソロでレベル上げしていた。
低レベルの苦労を完膚無きまでに忘れているので、かなりおっかなびっくりな感じでちまちまと楽な敵を倒しては休憩、倒しては休憩の繰り返し。効率を求めるならば、ジュースをがぶ飲みしつつ連戦するべきなのだろうが、今日はもともとまったりと遊ぶつもりだったので、そういうこともせずにのんきに遊んでいた。
途中、ゴブリンと戦っている間にヤグードに襲われて戦闘不能になったものの、呪符リレイズのおかげで無事復帰。経験値が惜しかったからではなくて、HPが遠くに設定してあったので戻りたくなかっただけなのだが。
そんなこんなで何とか召喚士が10になった。しかし、アニバーサリリングを使ったので、専心効果を使い切れないうちに時間切れ。次ログインしたら、フナ釣りの前にこれを使い切るまでレベル上げしなくちゃ。
低レベルの苦労を完膚無きまでに忘れているので、かなりおっかなびっくりな感じでちまちまと楽な敵を倒しては休憩、倒しては休憩の繰り返し。効率を求めるならば、ジュースをがぶ飲みしつつ連戦するべきなのだろうが、今日はもともとまったりと遊ぶつもりだったので、そういうこともせずにのんきに遊んでいた。
途中、ゴブリンと戦っている間にヤグードに襲われて戦闘不能になったものの、呪符リレイズのおかげで無事復帰。経験値が惜しかったからではなくて、HPが遠くに設定してあったので戻りたくなかっただけなのだが。
そんなこんなで何とか召喚士が10になった。しかし、アニバーサリリングを使ったので、専心効果を使い切れないうちに時間切れ。次ログインしたら、フナ釣りの前にこれを使い切るまでレベル上げしなくちゃ。
実感 ― 2007年07月07日
中井久夫氏の「こんなとき私はどうしてきたか」で読んだのだけれど、幻聴に苦しむ人たち同士で会話としている時というのは、互いに相手の聞いているものが「幻聴」であることはわかるそうである。他人の妄想の話を聞くと、「あいつはおかしなことを言ってる、そんなことあるはずがない」とちゃんとわかるのだそうだ。
ところが「ではあなたの場合は?」と尋ねられると、「私の場合はほんとうに聞こえてくるんですから仕方ありません」と答えるらしい。
この話を聞いて、「馬鹿じゃないの」と笑う人は愚かなだけで、つまり論理的判断力というのは実感に比べるとかなり無力な存在なのだということなのだろう。
ところで、幻聴の実感から少しこの話の力点をずらして、「私の場合は本当だ、私の場合は違う」というところに意識を向けてみる。
「俺だけは違う」「私だけは違う」という実感を強く抱いていて、しかし客観的に見るとそれがてんで見当違いであるという例は、日常生活ではいくらでもある。それは宇宙の電波が私を罵るというレベルの話だけではない。
「この会社の連中はどうしようもない人間ばかりだが、私だけはきちんとやっている」「世の中は馬鹿ばっかりだが俺だけは少なくとももうすこしましなポジションにいる」といったレベルに落としこめば、それこそ今これを書いている私から、これを読んでいる誰かまで、全ての人が心当たりがあるに違いない。
この実感を論理で折伏することなどは困難であるのみならず、不毛でさえありうる。いやむしろ、論理的判断力というのは、実感を説明するための道具のひとつでしかないのではという極論まで浮かんできてしまう。
実感は実感として浮遊させつつ、外から自分を見るという作業は簡単なことではないし、またそれをするためにエネルギーを失う心の動きというものもあるので客観視すればいいというものでもない。
また他人の実感を自分の論理的判断力で斬りさばくというのは、その場は大層なカタルシスを得られるけれど、実は斬りさばいている本人の気持ちよさ以外にはそれほど益がないことも多い。しかも、それに気付いていないことも多い。
恐らく実感と論理的判断力を二項対立で捉えるのではなく、両輪としてうまく働かせていくのが理想なのだが……。それは言うは易く行うは難し、の類のことのようだ。
ところが「ではあなたの場合は?」と尋ねられると、「私の場合はほんとうに聞こえてくるんですから仕方ありません」と答えるらしい。
この話を聞いて、「馬鹿じゃないの」と笑う人は愚かなだけで、つまり論理的判断力というのは実感に比べるとかなり無力な存在なのだということなのだろう。
ところで、幻聴の実感から少しこの話の力点をずらして、「私の場合は本当だ、私の場合は違う」というところに意識を向けてみる。
「俺だけは違う」「私だけは違う」という実感を強く抱いていて、しかし客観的に見るとそれがてんで見当違いであるという例は、日常生活ではいくらでもある。それは宇宙の電波が私を罵るというレベルの話だけではない。
「この会社の連中はどうしようもない人間ばかりだが、私だけはきちんとやっている」「世の中は馬鹿ばっかりだが俺だけは少なくとももうすこしましなポジションにいる」といったレベルに落としこめば、それこそ今これを書いている私から、これを読んでいる誰かまで、全ての人が心当たりがあるに違いない。
この実感を論理で折伏することなどは困難であるのみならず、不毛でさえありうる。いやむしろ、論理的判断力というのは、実感を説明するための道具のひとつでしかないのではという極論まで浮かんできてしまう。
実感は実感として浮遊させつつ、外から自分を見るという作業は簡単なことではないし、またそれをするためにエネルギーを失う心の動きというものもあるので客観視すればいいというものでもない。
また他人の実感を自分の論理的判断力で斬りさばくというのは、その場は大層なカタルシスを得られるけれど、実は斬りさばいている本人の気持ちよさ以外にはそれほど益がないことも多い。しかも、それに気付いていないことも多い。
恐らく実感と論理的判断力を二項対立で捉えるのではなく、両輪としてうまく働かせていくのが理想なのだが……。それは言うは易く行うは難し、の類のことのようだ。
召喚11、黒38 ― 2007年07月08日
今日は昼に軽鴨の君がお出かけなので、アニバーサリリングの専心分のレベル上げをしようとログイン。
召喚のレベルは10になっており、義勇兵の戦杖と、先日こっそりNMからとっていたピルグリムワンド(hMP+2の片手棍)が使えるようになり、何だかレベル9の時よりも戦いやすくなったような……気がする。ちょうどレベルが11になったところで専心を使い切り、あとは保険分だけ稼いで、ウィンダスへ。アウトポストテレポが使えるレベルになったので、この点でも色々と楽だ。
さてフナでもと思ったら、マムージャ軍LV8のビシージが来るとのこと。日曜の夕方で結構人が多そうだったので、黒に着替えて早めにアルザビで待機した。
あっという間に700人を越えて、その後ビシージ開始となったのだが、今回は分身するエイドリックが大暴れで結構な苦戦。将軍が4人落ち、ミリのみを残す展開となった。
それでもハイドラNMを倒したおかげで、ミリが落ちる前に何とか撤退までこぎつけた。1200ほどの経験値をもらって、ひっそりと黒が38に。買い置きしていたファイア2を覚えて、今日はログアウト。
召喚のレベルは10になっており、義勇兵の戦杖と、先日こっそりNMからとっていたピルグリムワンド(hMP+2の片手棍)が使えるようになり、何だかレベル9の時よりも戦いやすくなったような……気がする。ちょうどレベルが11になったところで専心を使い切り、あとは保険分だけ稼いで、ウィンダスへ。アウトポストテレポが使えるレベルになったので、この点でも色々と楽だ。
さてフナでもと思ったら、マムージャ軍LV8のビシージが来るとのこと。日曜の夕方で結構人が多そうだったので、黒に着替えて早めにアルザビで待機した。
あっという間に700人を越えて、その後ビシージ開始となったのだが、今回は分身するエイドリックが大暴れで結構な苦戦。将軍が4人落ち、ミリのみを残す展開となった。
それでもハイドラNMを倒したおかげで、ミリが落ちる前に何とか撤退までこぎつけた。1200ほどの経験値をもらって、ひっそりと黒が38に。買い置きしていたファイア2を覚えて、今日はログアウト。
7敗目、フナ、日程調整 ― 2007年07月09日
英会話スクールから帰ってきて、ログインしてみたら、魔笛が奪取されていた。
どうやらまたしても、悪夢の早朝死者ビシージでやられたらしい。ビシージ報告サイトの報告によると、捕虜は全員救出されていたそうだが、とにかく人が足りなかったとのこと。終了時刻が朝の7時半過ぎだから、無理もない。
結局まだ魔笛は奪還されていないようだが、どうなるだろうか。魔笛の奪還は、レベルカンストキャラでないと何も貢献できないので、にわかにやれることがなくなってしまった。
気を取り直してフナ釣り。途中からフレンドのDさんが隣にやってきて、のんびり二人でフナを釣った。のどかな時間だった。
闇の王討伐戦の日程が決定。7月16日の夜9時から。盾役を見つけるのが一番の難題になりそうだが。さてどうなることやら。
どうやらまたしても、悪夢の早朝死者ビシージでやられたらしい。ビシージ報告サイトの報告によると、捕虜は全員救出されていたそうだが、とにかく人が足りなかったとのこと。終了時刻が朝の7時半過ぎだから、無理もない。
結局まだ魔笛は奪還されていないようだが、どうなるだろうか。魔笛の奪還は、レベルカンストキャラでないと何も貢献できないので、にわかにやれることがなくなってしまった。
気を取り直してフナ釣り。途中からフレンドのDさんが隣にやってきて、のんびり二人でフナを釣った。のどかな時間だった。
闇の王討伐戦の日程が決定。7月16日の夜9時から。盾役を見つけるのが一番の難題になりそうだが。さてどうなることやら。
良心 ― 2007年07月10日
前に、「厭世感に襲われている私が心の中でどんな冷酷なことを考えているかわかったら、友達がいなくなるだろう」と書いたら、珍しく複数の人から反応があったのでちょっと面白かった。
私の文章は、ピンポイントで人を突くらしく、ある人にとって面白い文章は大抵別の人々からは全くの無反応、なんてことが多いのだけれど、あれは久しぶりに色々な人から反応が返ってくる話題だったみたいだ。
私はmixiで2万人弱のコミュニティの管理人をやっているので、いつ誰がどんな経緯で自分の発言を読んでいるのかわからないと思っている。だから、コミュニティに絡んだことはもちろん、そうでないことでも他人が絡む愚痴はあまり日記に書かなくなった。
もちろん、全く愚痴を言わないで生きていくことは私には不可能なので、うんと親しい友人や、軽鴨の君という最終兵器に、色々と益体もないドーナツトークを放って迷惑をかけている訳である。
しかし、そんな姿を見たことのない、ネット上の礼儀正しい管理人としてだけ私を知っている人にとっては、私は決して怒らず常に穏やかな人のように見えるのだろう。
そう在れたら、どんなにいいだろうなぁとは、自分でも思うのだけど。
私はちっとも清廉潔白な人ではないので、腹立たしい出来事に直面すれば、反射的に、ここでは書けないような罵詈雑言だの個人攻撃だのが浮かんでくる。
だが次の瞬間、「いや待てよ、その感情的な物言いは正しいのか?」と冷めた目で仲裁する意識が現れる。それは本当に、零コンマ数秒という短い間で、ほとんど同時に見えるのだが、決して同時ではない。
たぶん、そのシステムは誰にでもあって、「罵詈雑言」の方を自分の本当の姿だと思い「良心で無理矢理抑えている」と思っている人と、「良心の仲裁」を自分の本当の姿と思い「自分の中の悪魔と戦っている」と思っていると、いるのだろう。
たぶんその両方を含めて自分なのだ、というのが一番つまらなくて一番まっとうな考えなのだと思うのだが。
私の文章は、ピンポイントで人を突くらしく、ある人にとって面白い文章は大抵別の人々からは全くの無反応、なんてことが多いのだけれど、あれは久しぶりに色々な人から反応が返ってくる話題だったみたいだ。
私はmixiで2万人弱のコミュニティの管理人をやっているので、いつ誰がどんな経緯で自分の発言を読んでいるのかわからないと思っている。だから、コミュニティに絡んだことはもちろん、そうでないことでも他人が絡む愚痴はあまり日記に書かなくなった。
もちろん、全く愚痴を言わないで生きていくことは私には不可能なので、うんと親しい友人や、軽鴨の君という最終兵器に、色々と益体もないドーナツトークを放って迷惑をかけている訳である。
しかし、そんな姿を見たことのない、ネット上の礼儀正しい管理人としてだけ私を知っている人にとっては、私は決して怒らず常に穏やかな人のように見えるのだろう。
そう在れたら、どんなにいいだろうなぁとは、自分でも思うのだけど。
私はちっとも清廉潔白な人ではないので、腹立たしい出来事に直面すれば、反射的に、ここでは書けないような罵詈雑言だの個人攻撃だのが浮かんでくる。
だが次の瞬間、「いや待てよ、その感情的な物言いは正しいのか?」と冷めた目で仲裁する意識が現れる。それは本当に、零コンマ数秒という短い間で、ほとんど同時に見えるのだが、決して同時ではない。
たぶん、そのシステムは誰にでもあって、「罵詈雑言」の方を自分の本当の姿だと思い「良心で無理矢理抑えている」と思っている人と、「良心の仲裁」を自分の本当の姿と思い「自分の中の悪魔と戦っている」と思っていると、いるのだろう。
たぶんその両方を含めて自分なのだ、というのが一番つまらなくて一番まっとうな考えなのだと思うのだが。
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