議論 ― 2007年05月02日
私は議論というものの存在価値を、しばしば疑ってしまう。それはたぶん、良質の議論というものにあまり出会っておらず、反面ネットで爆発しているような様々な議論のようなものに心の産毛をすりきれさせられてしまうからだろう。
事実と推論と個人の意見と感情を区別することが議論の基本、と思うけれど、「事実」とは何か?という哲学的な問いに答えを出すことさえ、私には難しい。Wikipediaのノートでよく出てくる「○○ということがあったのは事実です」とすげなく書かれた一文さえも、私は素直に信じられなくなっている。事実って何?
そして、たくさんの議論を積み重ねても、結局何一つ尊いものは生まれないのではないかという不安が、心の中に忍び寄ってくる。
そんな中、私自身は議論がひどく不得手で、また実際そういうものには関わらないようにしている。たまにそういった出来事を見かけるだけで、ひどく疲労することもある。今日は、そんな日。
事実と推論と個人の意見と感情を区別することが議論の基本、と思うけれど、「事実」とは何か?という哲学的な問いに答えを出すことさえ、私には難しい。Wikipediaのノートでよく出てくる「○○ということがあったのは事実です」とすげなく書かれた一文さえも、私は素直に信じられなくなっている。事実って何?
そして、たくさんの議論を積み重ねても、結局何一つ尊いものは生まれないのではないかという不安が、心の中に忍び寄ってくる。
そんな中、私自身は議論がひどく不得手で、また実際そういうものには関わらないようにしている。たまにそういった出来事を見かけるだけで、ひどく疲労することもある。今日は、そんな日。
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