危険度2011年04月26日

 私は数年前から、自分で石けんを作っています。色々な植物油脂を組み合わせて、苛性ソーダ溶液と混合して鹸化させる、固形石けんです。
 当然ながら、このためには苛性ソーダが必要なのですが、実は手作り石けんという趣味において、一二を争う難関が、この苛性ソーダの購入なのです。
 苛性ソーダは、現在は劇薬指定されており、購入には印鑑と身分証明書が必要な薬品です。しかも、どこの薬局でも販売できるのではなく、どうやら薬局の中でも指定の許可というか免許というかが必要なものらしくて、新しい薬局やドラッグストアではまず購入できません。かくて苛性ソーダ販売免許を持つ薬局を探して、東奔西走することになります。ちなみに私は、徒歩20分ほど離れた古い薬局でようやく購入できました。

 と、そんな苦労話はどうでもいいのです。
 この苛性ソーダ、強アルカリで皮膚に触れれば火傷を起こす危険のある薬品ですが、人によってその危険性の捉え方はかなり違います。
 手作り石けんを作る道具は、ボウルや泡立て器など、通常の料理道具と共通するものが多いのですが、
「熱した天ぷら油みたいなものと思って扱えばそんなに危ないものじゃない」
と、普段使っている道具を(もちろん使用の前後はよくよく洗うことを前提に)共用している人もいます。
(実際海外では、かつて灰汁を用いて作っていた料理を現在作る時に、この苛性ソーダを家庭で用いて、普通に食べているところもあるそうです)
 逆に、
「こんな危険な強アルカリ劇薬が、家庭の棚にポンと置いてあるのは悪夢に近い」
と強烈な否定的立場を表明する人もいます。
 薬学などを専門に学んだか否かというのは、どうも関係ないようで、人それぞれの考え方によるようです。

 あるものの危険性(安全性)というのは、結構単純な数字で見せることが難しいものだと、私は苛性ソーダにまつわる様々な発言を見て学びました。
 そして実は意外と、「専門家」であっても、「正しい扱い方」を知っているものでもありません。

 以前、「家庭で湿気を吸って固まった苛性ソーダは手作り石けんに使えるのか、廃棄するとしたらどういう手順で廃棄すればいいのか」を、かなり手を尽くして調べたことがあるのですが、これがどうも、答えが出しにくい問題のようなのです。確たる情報には、今現在もたどりついていません。
 薬剤師のような専門家にもあたってみましたが、彼らも答えを出せない問題のようです。
 恐らく、薬剤師のような専門家の取り扱うような環境では、まず起こらないような出来事であるために、データも確約も出せないのでしょう。

 あることに対する(特に学術的な)専門知識というのは、ある一定の環境と前提があって初めて意味を持ちます。
 医療機器やコンピュータや医療組織から完全に切り離された「医者」というものの有効性が、フィクションの中でしかありえないように、専門知識というのは意外な脆さを内包しています。
 逆に言えば、現実の混沌の渦から一定の条件を揃えることでようやく引き出した秩序と因果関係こそが専門知識であり、それ以上でもそれ以下でもありません。


 震災の原発事故と、放出されている放射性物質の危険性については、様々な言説が四方八方から、それこそ宇宙からの放射線のように降り注いでいます。
 デマや誤った情報による混乱の中、専門家や放射線について多少なりとも専門的知識を持った人からは、
「正しい専門的知識を持てば大丈夫」
という声も聞こえます。
 けれど本当は、「わからない」というのが真実なのではないかと思うのです。
 こんな事故も出来事も、放射線を取り扱う専門の学者たちが普段相手にしている環境ではなく、前提条件がたえず移ろう「現実」という混沌の中に起こっているものです。
 われわれは、まさにシュレディンガーの猫のごとく、安全と危険の可能性の重なりとして、存在しているというのが実際のところなのかも知れません。
 しかし、多くの専門家にとって、専門家でない人間に「わからない」と言うのは、最善のケースでも屈辱であり、最悪のケースではそんな発言をすること自体が許されない状態にはまりこんでいることさえあります。
 そういう中では、歯切れの悪い、あるいは数字を並べた「身内にはわかるジャーゴン」でその場を切り抜けざるを得ないでしょう。
 そしてそれが、専門家ではない人間に怒りと不安を引き起こし、悪循環が生まれるのでしょう。


 われわれは、苛性ソーダという比較的単純な反応を起こす薬品のことさえ、よくわかっているとは言えません。
 ましてや「安全性」や「危険性」というのは、恐らく簡単に語れるような問題ではないのでしょう。
 しかしそれでもわれわれは生きていかねばならない訳で、そういう状態に応えられる存在でありうるのか否か、社会全体が、そしてひとりひとりが、試されているような気がします。