7チャンク2015年01月10日

 片づけをこつこつと進めております。
 日常の整理整頓はさておき、こういう大掛かりなお片づけというのは、「一に手放す二に処分、三四がなくて五に捨てる」くらいの勢いで、モノ減らしです。片づかないというのはとにかくモノが多すぎることで、モノが適量でさえあればあらゆる片づかない症状はなくなる(か、無視できる程度に小さくなる)ものです。
 衣類と書籍については、ここ数年でだいぶ踏ん切りがつきまして、まぁ大体適量かなというところにおさまってきています。もっとも書籍については、やはり電子化というのが強力な味方でした。検索しやすくなりましたし、「あ、あの本」と思った時に即時に取り出せるのを経験してしまうと、未練はほとんどなくなりますね。
 快適な図書室を誂えることができるのならば、紙媒体はものすごく生きますが、そういう環境を作る状態ではない現状では、電子化の利便性を生かす方がよさそうです。

 で、このところは私のもうひとつの山、食べ物関係に取り組んでいます。常温で保存している食品と、お茶類の整理が一気に終わりまして、思った以上にスペースが空きました。食べ物類は、書籍と並んで「もったいないから……」となりがちですが、手に取って「今夜の食事にこれを食べる気になるか」と己に問うて、イエスと元気よく言えなかったものは、思い切って処分です。私はお茶や食材を入浴剤などに活用するので、「食べないけど使う」箱に入れたものもありますが、結構な量を廃棄。
 食べ物を捨てるということに罪悪感を覚える世代の人間でありますから、もちろん凄まじく気分は苛まれる訳ですが、捨てなくとも食べないのなら同じこと。「食べないけどもったいないから捨てない」というのは、いわば人を殺しておいて「可哀想だから死体は捨てない」とほざいているようなもので、んな感傷は己の罪悪感をスルーしようという足掻きに過ぎません。可哀想なら何故殺した。反省するのはそこだ。捨てなかったからといって殺したものが生き返る訳じゃないんだぞ。殺した結果を引き受けろ。

 昔から、健康とか、美味とか、生活の刺激とかを求めて色々な食材を試したものです。その結果、自分の生活にちょうど合うものは何かはさすがに身にしみる年齢になりました。それに昔ほどたくさんの要素を意識下にスタンバイできる訳ではなく、いわゆる「7±2チャンク」が限界です。であるなら、使いこなして活用できる食材も、おおまかには1ジャンルにつき7種類前後(そしてたぶんジャンル自体も7つ前後)といったところでしょう。
 と、己の限界を認めたら、適量がすとんと腑に落ちて、整理がすごくやりやすくなりました。

 この勢いで、懸案の調理器具や、その他何でこんなにあふれてるのか自分でもわからない小物類を減らしていきませんと。

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