摩尼車 ― 2013年12月09日
マニ車というものがありまして、これはチベット仏教の道具なのですが、クルクル回る円筒のガラガラみたいな外見で、クルクルの中に経文が入っており、このクルクル円筒を1回まわすと、お経を1回唱えたのと同じ功徳を得られるというものです。チベットだけでなく、日本のお寺にも、この大きめのものが備え付けてある場合があります。
風や水力、太陽電池などを利用して、自動的にクルクル回る屋外型もあると聞きます。
で、この「回すだけで功徳が得られたことにする」というところを捉えて、宗教的なものを揶揄するために引き合いに出されるマニ車なのですが、最近私は、これは手抜きとかそういうものとも違うように感じられてきました。
チベット仏教には全く疎いので、以下の話は完全に私の想像というか感覚のもので、専門の方からしたら見当外れもいいとこのような気がしますが、あしからず。
マニ車を揶揄したり、否定的に見たりする感覚の根底には、「心をこめず、苦労もせずに、功徳が得られる訳がない。自分自身で心をこめ、体力精神力を消耗しつつ読経してこそ功徳が得られるはずだ」という考えがあります。
つまり読経は、読まれる経文や読んでいる声自体は基本的に単なる器に過ぎず、一定のエネルギーを消耗することで真心を証し立てする行為という訳です。
そうであるなら、読経の声が嗄れていても、音痴でも、すごい小声でも迷惑な大声であっても、あるいは読みが間違いだらけであっても、真心がこもっておりエネルギーを消耗しているならばよしということになります。
可愛いあの子が作ってくれた手作りチョコレートが砂糖が固まり切らずジャリジャリでも、編んでくれたマフラーが編み目がガタガタでスカスカで悲惨な見た目であっても。あるいは中学生の彼がギターやバイオリンをギィギィ鳴らしつつ自作の愛の歌を捧げてくれるようなことがあっても。そこに愛情があるのならば、彼氏くん彼女くんは感謝感激するはずです。チョコレートの味やマフラーの外見機能性や歌の善し悪しは、この際二の次であり、それらは愛情の「器」に過ぎません。
しかし。経文、あるいは読経という行為を、違う形で解釈することもできます。
それは、「力ある聖なる何かで、時間と空間を満たす行為」という考え方です。経文は単なる器ではなく、聖なる力を持つことができる尊い存在であり、それが何かの形で空間と時間を満たしてゆくことこそが重要である。
卑近な形で喩えるなら、それは、花瓶に買ってきた美しい花を生けるような。素晴らしい音楽の録音を流すような。そういった行為に近い、ただしはるかに真剣で重みのあるもの、かも知れないのです。
(むしろ花瓶に花を飾ることの方が、読経のはるかに薄まった行為、なのかも)
もしそうであるなら、真心をこめてエネルギーを注いだとしても、捧げられるできあがったものが聖なる力を帯びるに足る完成度に達していないなら、あんまり意味がないということになります。
レストランで食事をしようとしたら、そこではピアノの生演奏をやっていて、おっそろしく演奏がへたくそで聞くに耐えず、しかし本人が真剣に心をこめて弾いているのはよくわかる……という場面に陥ったら。まあ気弱な人は面と向かって「あのピアニスト、チェンジ」とは言えないでしょうが、「心がこもってるから素晴らしい」と言う人はまずいないはずです。
手編みのセーターは、もらってうれしい贈り物と言われると同時に、もらって迷惑な贈り物ともよく言われます。心がこもっていさえすれば、何でも喜ばれる訳ではない……かも知れません。
「心がこもってるけど下手くそで聞くに耐えない読経をえんえん捧げられるより、心は後からついてくると判断してとにかく聖なるものにふさわしい形を備えた経文で時空を満たす仕掛けを使った方が、仏様もありがたいんじゃなかろうか」
そんな風に判断する人がたくさんいたとしても、不思議ではありません。
現にマニ車は、作るのに非常に厳格な手順があり、高僧が聖別してようやく認められるものなのだそうです。つまり、適当に素人が経文らしきものを書いてぐるんぐるん回すようないい加減なものではないのです。
いーや心がこもってないのは無意味だ!と怒るのであれば、「今まで録音の音楽を一度も聞いたことがなく、心がこもってない大量生産の食品を食べたことがない者のみが石を投げなさい」とイエスに言われるかも知れませんね!(それ宗教違う)
そんな訳で、マニ車というのは「聖歌の録音再生」みたいなものなのかなぁと感じるようになってから、私はマニ車を回している光景がとても美しいものに見えるようになりました。あれを変だと揶揄するのは、喫茶店で「心のこもってないGBMを流すな!」と怒るのと同じくらい無粋な行為なのかと。
そして、われわれが録音の音楽に心がこもっていると感じることがあるように、マニ車の回転にも、仏や宇宙の真理は聖なる尊いものを感じ、功徳はやはり世界を満たしているのかも知れません。それを感じられないわれわれの方が、不完全であるというだけで。
風や水力、太陽電池などを利用して、自動的にクルクル回る屋外型もあると聞きます。
で、この「回すだけで功徳が得られたことにする」というところを捉えて、宗教的なものを揶揄するために引き合いに出されるマニ車なのですが、最近私は、これは手抜きとかそういうものとも違うように感じられてきました。
チベット仏教には全く疎いので、以下の話は完全に私の想像というか感覚のもので、専門の方からしたら見当外れもいいとこのような気がしますが、あしからず。
マニ車を揶揄したり、否定的に見たりする感覚の根底には、「心をこめず、苦労もせずに、功徳が得られる訳がない。自分自身で心をこめ、体力精神力を消耗しつつ読経してこそ功徳が得られるはずだ」という考えがあります。
つまり読経は、読まれる経文や読んでいる声自体は基本的に単なる器に過ぎず、一定のエネルギーを消耗することで真心を証し立てする行為という訳です。
そうであるなら、読経の声が嗄れていても、音痴でも、すごい小声でも迷惑な大声であっても、あるいは読みが間違いだらけであっても、真心がこもっておりエネルギーを消耗しているならばよしということになります。
可愛いあの子が作ってくれた手作りチョコレートが砂糖が固まり切らずジャリジャリでも、編んでくれたマフラーが編み目がガタガタでスカスカで悲惨な見た目であっても。あるいは中学生の彼がギターやバイオリンをギィギィ鳴らしつつ自作の愛の歌を捧げてくれるようなことがあっても。そこに愛情があるのならば、彼氏くん彼女くんは感謝感激するはずです。チョコレートの味やマフラーの外見機能性や歌の善し悪しは、この際二の次であり、それらは愛情の「器」に過ぎません。
しかし。経文、あるいは読経という行為を、違う形で解釈することもできます。
それは、「力ある聖なる何かで、時間と空間を満たす行為」という考え方です。経文は単なる器ではなく、聖なる力を持つことができる尊い存在であり、それが何かの形で空間と時間を満たしてゆくことこそが重要である。
卑近な形で喩えるなら、それは、花瓶に買ってきた美しい花を生けるような。素晴らしい音楽の録音を流すような。そういった行為に近い、ただしはるかに真剣で重みのあるもの、かも知れないのです。
(むしろ花瓶に花を飾ることの方が、読経のはるかに薄まった行為、なのかも)
もしそうであるなら、真心をこめてエネルギーを注いだとしても、捧げられるできあがったものが聖なる力を帯びるに足る完成度に達していないなら、あんまり意味がないということになります。
レストランで食事をしようとしたら、そこではピアノの生演奏をやっていて、おっそろしく演奏がへたくそで聞くに耐えず、しかし本人が真剣に心をこめて弾いているのはよくわかる……という場面に陥ったら。まあ気弱な人は面と向かって「あのピアニスト、チェンジ」とは言えないでしょうが、「心がこもってるから素晴らしい」と言う人はまずいないはずです。
手編みのセーターは、もらってうれしい贈り物と言われると同時に、もらって迷惑な贈り物ともよく言われます。心がこもっていさえすれば、何でも喜ばれる訳ではない……かも知れません。
「心がこもってるけど下手くそで聞くに耐えない読経をえんえん捧げられるより、心は後からついてくると判断してとにかく聖なるものにふさわしい形を備えた経文で時空を満たす仕掛けを使った方が、仏様もありがたいんじゃなかろうか」
そんな風に判断する人がたくさんいたとしても、不思議ではありません。
現にマニ車は、作るのに非常に厳格な手順があり、高僧が聖別してようやく認められるものなのだそうです。つまり、適当に素人が経文らしきものを書いてぐるんぐるん回すようないい加減なものではないのです。
いーや心がこもってないのは無意味だ!と怒るのであれば、「今まで録音の音楽を一度も聞いたことがなく、心がこもってない大量生産の食品を食べたことがない者のみが石を投げなさい」とイエスに言われるかも知れませんね!(それ宗教違う)
そんな訳で、マニ車というのは「聖歌の録音再生」みたいなものなのかなぁと感じるようになってから、私はマニ車を回している光景がとても美しいものに見えるようになりました。あれを変だと揶揄するのは、喫茶店で「心のこもってないGBMを流すな!」と怒るのと同じくらい無粋な行為なのかと。
そして、われわれが録音の音楽に心がこもっていると感じることがあるように、マニ車の回転にも、仏や宇宙の真理は聖なる尊いものを感じ、功徳はやはり世界を満たしているのかも知れません。それを感じられないわれわれの方が、不完全であるというだけで。
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