微不調2009年04月10日

 発熱して以来、微妙な不調が続いています。歯の痛みがなかなか治らないので、昨日はたいぶ早めに眠って、今日も少しお昼寝。それで少し楽になった感じがします。
 明日は明日で結構用事が立て込んでいるので、また無理のないように早めに帰って寝なくては……と思いつつ、さてどうなりますやら。

迷宮的2009年04月12日

 昨日はどたばたと用事が入り、帰ってきてからそのまま倒れるようにベッドへ行ったというのが正確なところでしょうか。
 今日は軽鴨の君と吉祥寺へ出かけてきました。花見の季節が終わったから人が少なくなっているかと思ったのですが、散歩日和だったせいかどこも結構な人出でした。おしゃれなお店は軒並み行列。そんな中、細かい買い物とかをしてきました。


 行き帰りの道で、草くんに借りた「迷宮街クロニクル1 生還まで何マイル?」を読んでいました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4797350628/
 まだ1ということで色々な謎や伏線は明らかにならないままですが、面白かったです。
 評価としては……うーん、評価をするのが難しい、かな。
 アマゾンのカスタマーレビュー7件が全て5つ星というところからもわかる通り、レベルの高い作品であることは間違いないのですが。

 ある日、現代日本の京都に突然謎の大地震が起きて、地下の洞窟が崩落して現れた「迷宮」から、不気味な怪物が現れるようになる。
 自衛隊の掃討が功を奏さず、政府は一般からの志願者に、迷宮を探索し、怪物を殺して持ち帰らせるという活動を行わせることになる。この探索に参加すれば、1週間でサラリーマンの年収をゆうに稼げる可能性があるが、死亡率は14%以上……。
 探索者たち、そして彼らを取り巻く様々な「人々」を丹念に描く群像劇、というのがこの作品の紹介でしょう。

 この物語には、確固たるバックボーンとして、「ウィザードリィ」があります。私はこの小説の成立過程を詳しく知りませんが、恐らくこの物語は、「もし現代日本にウィザードリィのようなシチュエーションが登場したら?」というifがもとであったのでしょう。
 それが、この物語の評価を難しくする巨大な要素でも、あります。

 もし現代日本にウィザードリィを再現するなら?
 という荒唐無稽な命題に、作者は勇敢に真正面に取り組み、リアリティのある設定と説明を積み重ねていきます。
 経済原理とは無縁のはずのモンスターが、死んだらお金を落とすのは何故なのか? それはモンスターの死体が、稀少金属や稀少な化学物質を含むために、極めて換金性が高いから。
 といった具合に、ゲームの都合を様々な形で現代日本の社会文法に翻訳していくのです。
 ギルガメッシュの酒場、無料で一週間泊まる馬小屋といった社会システムに留まらず、アライメントを「ハト派・タカ派」と変換するなども秀逸です。ついにはクライマックスに、ウィザードリィで誰もがお世話になったあいつ、「マーフィーズゴースト」がエディ・マーフィー人形となって現れるのです!(笑)
(一番傑作だと個人的に思うのは「なぜ探索者は銃のような強力な武器じゃなくて時代錯誤な剣や棍棒で戦うのか?」→「ここは日本だぞ、法律に反する」というものでしたが)
 そういったリアリティを積み重ねながら、天才美少女剣士・魔法使いの双子といったライトノベルズのお約束や、ブログやメールといった現代日本の象徴アイテムも取り混ぜつつ、様々な人々の視点から、物語は淡々と進みます。
 そして、これはウィザードリィなので、人々はすぐ死にます。
 ただひとつ、ウィザードリィと違うのは、カント寺院もディもカドルトもないので、死んだ人は決して帰ってこず、生き残った人間は、現代日本の人間と同じように死を抱えて生きることを余儀なくされるということです。
 この物語で描かれる、淡々としつつ重い群像劇は、まさに現代日本にウィザードリィがあったなら、という設定を生かし切ったものです。
 作者は、ウィザードリィという重い枷をむしろ積極的に求め、己にその制限を厳しく課しているように見えます。

 そこが、この作品の陥穽でもあります。

 この物語は現代日本にウィザードリィがあったら?という側面におけるリアリティに満ちていますが、決してリアルな世界を描こうとしている作品ではありません。
 恐らくこれから先に物語が進むと、隠された事情が明らかになるのかも知れませんが、少なくとも今のところ、様々な「絶対にこれは現実に成立できない」要素が結構あります。
(それはエーテルや魔法が出てくる、といったレベルではなく、もっと社会的リアリティの問題です)
 そういう意味で、「もし現代日本に得体が知れないが換金性の高く凶暴な怪物が多数生息する迷宮が現れたら?」というSF的ifを描く作品としては、微妙な物足りなさがあります。 

 そして、ウィザードリィのランダム要素を忠実に再現して、物語の登場人物は、後々重要な役目を果たしそうであっても、何の物語的必然性もなく、死にます。死亡フラグなどという優しいものを、ウィザードリィは用意していません。
 それを、この世界の酷薄さ・厳しさととらえることももちろんできるのですが、世界の厳しさの描写というものを越えたナンセンス、物語としての落ち着きの悪さもまた生み出します。
 もちろん、その状況で物語を空中分解させることなく、着実に進めて行く作者の手腕は見事なのですが、あまりに「無意味に」「無頓着に」人が死ぬために、無意味感がうっすらと脳裏をよぎるのです。
 その無意味感は、死の不条理や無常観ではなく、非常に手厳しく表現すると「これが小説であることの無意味さ」となってしまうでしょうか。

 この物語は、徹頭徹尾、真摯に真剣に、「ウィザードリィになってしまった現代日本に生きる人々」を描きます。
 それ以上でもそれ以下でもなく、それ以外であることすら、許さず。
 ウィザードリィという、知る人の極めて限られた(もはや限られた、と言うべきでしょう、今となっては。ラテン語が死語であるように)言語を駆使して描かれたこの作品は、その美点も欠点もまたウィザードリィの枠に収束してしまう、というよりあえて望んで収束していこうとするように見えます。
 そういう意味では、やはり、この作品は「非常に秀逸な二次創作」であるのです。
 となると、あとはウィザードリィへの愛着がどこまであるかという世界になり、もはや評価の及ぶ次元ではなくなってしまうのです。


 これから先、この物語は、ウィザードリィであることを離れようとするのか。それとも、ウィザードリィに溶けこんでいこうとするのか。あるいはあくまで、「現代日本的ウィザードリィの群衆劇」という自己抑制を保ち続けるのか。
 あるいは私の想像もつかない何かが現れて、私は素直に驚き感動するのかも、知れないのですけれど。

2009年04月16日

 歯の痛みがぶり返してきて歯科医さんに行ったり、かなり長々と寝たりしつつ、少しずつ復調しております。
 しかし、ベランダに置いてあったハゴロモジャスミンの鉢がとうとう枯れた気がします……。
 前からあまりちゃんと世話ができていなかったのですが、ここ数週間の体調不良でいよいよ水あげなどが手が回らず、悲惨な私の手入れにもめげずにがんばってきた彼も限界が来たようです。
 私の周囲には上手に植物を育てている人がたくさんいるので、怒られそうです……。
 自己嫌悪の波をがっぷりとかぶりつつ、ため息をついて、それでも日常を繰り返します。繰り返していることにまた、自己嫌悪がやってきます。

植物性乳酸菌ラブレ2009年04月22日

 相変わらず、寝たり起きたり、夜中に不意に目が覚めたりで、なかなか具合が安定しませんが、揺り戻しつつ少しずつよくなっているように思います。
 歯の痛みがぶりかえさないように、しばらくはミルクティーも控えようかなぁ……。正確には、飲んだ後にもすぐに歯を磨くようにしたいので、何かをしながら飲むようなお茶のメニューからは外そうということなのですが。そんなことを思って、今はハーブティーや緑茶をもっぱら飲んでいます。

 おなかの調子がよくない気がするので、ヨーグルトなどを摂取するよう努めているのですが、今はカゴメの植物性乳酸菌ラブレを気に入って飲んでいます。無糖だけれど、人工甘味料も使わず、にんじんやりんごのジュースで飲みやすくしているところや、ヨーグルトよりも脂肪分が少ないこと、そしてまぁ半分くらいはイメージの問題ですが、やっぱり「植物性」なのが私の性に合っている気がするのです。
 ただ、最大でも130mlパックしかなくて、毎日飲むとゴミがたくさん出るのが難点です。自宅で発酵させて増やしちゃう(笑)剛の者もいるようですが、普通のヨーグルトを増やすような簡単さんではうまくいかないようなので、私はちょっと手を出す気になれず。
 サプリメントも出ているのですが、やっぱり飲料で飲む方がしっくりくるように感じるのですよねぇ。何かゴミを少なくするいい方法はないかしら……。