世界の欠片を集める作業2012年06月04日

 今日は皆既月蝕だそうですが、曇り空なので見られそうにないですね。もっとも私としては、今日は洗濯をしたので、雨が降らずにいてくれるだけでも御の字です。
 最近、どうも眠りが浅く、そのせいか調子がよくありません。液晶画面のLEDのブルーライトが、人間のサーカディアンリズムを狂わせるとかいう説があるそうですけど、素人考えで勝手に納得してしまいそうなほど、朝起きられず夜寝つけずという感じ。
 朝は軽鴨の君にカーテンを開けてもらって、日光を部屋に入れるようにしているのですけど、それでもなかなかだるさが抜けない日々です。

 先日最後のダウンロードコンテンツが配信されたFFXIII-2のストーリーが、全く納得できないものだったので怒り心頭になってしまったのを皮切り?に、ネットやらニュースやらで、気持ちが落ち込んだり滅入ったり嫌になったりすることばかりが目に入ってしまうサイクルに入ってしまって、困ったものです。
 そんなせいか、Diablo IIIという、これまた殺伐としたハックアンドスラッシュのMOゲームを衝動買いして、気が向いた時に稲妻で悪魔をばったばったと倒しています。

 Diablo IIIは、ウィザードリィオンラインとでも言いますか(いやウィザードリィのオンラインゲームはまた別にありますけど)、典型的な「モンスターを倒して金と貴重なアイテムを手に入れてキャラクターを強くする」という単純明快なゲームですが、ストーリーもちゃんとあります。
 私は、人が持ってないようなレアアイテムを手に入れたい!とか、強いモンスターを倒したい!とか、何かをコンプリートしたい!とか、そういう欲求は少なくて、Diabloに限らずゲームを進めていく最大の動機は、何と言っても、ストーリーを追っていくことです。私にとっては、知ること、理解することが、ゲームにせよ他のことにせよ、常に行動を促すスイッチなのだなぁと実感します。
 Diablo IIIでは、モンスターが落としたり、ダンジョンで拾ったりする本や巻物のアイテムがあって、それに色々な世界設定や、登場人物の手紙や独白が記述されているのですが、それを見つけて読む時が一番楽しいです。
 どこかに、本をえんえん拾うというゲームがもしあったら、ずっとやってるんじゃないかという気がします。それって現実世界のことじゃないか、という声も聞こえてきますけど。

スライムはどんな目でこっちを見ていたのか2012年06月05日

 私は自分が活字中毒者なので、活字というものの効用に対して皮肉っぽく考える傾向がある。
 本というものが様々な恩恵をもたらし、読書という体験がかけがえのないものになりうることを認めるにはやぶさかではないけれど、それが人間性を高める唯一あるいは最善の方法だと思ったことは一度もない。

 読書、あるいは文章を読むという行為が意識のある部分を鍛えてくれる一方で、逆にある種の能力をスポイルするという面は確実に存在する。
 奇異に聞こえるかも知れないけれど、読書というのは、想像力をはぐくむというより、むしろカットしていく側面があるのだ。

 読書は想像力を豊かにする、文字から様々なものをイメージする訓練になるとよく言うけれど、あれはずいぶん理想論というか、最大効用のみを都合よく引っ張ってきている話だと思う。
 言葉から状況や表情を想像する、というのは、読書によって自動的に生まれる力ではない。実際には、言葉というのはとても説明的で、想像力を介在させる必要がないくらい、楽な伝達手段だ。
「うれしそうな顔をした」「複雑な表情をした」といった言語表現の、何と曖昧で簡単なことか。「うれしそうな顔」とはどんな顔なのか。「複雑な表情」とはどんな表情なのか。実際にこれを視覚化できる人は、読書好きの中に果たしてどれくらいいるだろうか。
 言葉は抽象的な概念を扱うのに都合のいい道具なので、具体的な想像というものを適当に迂回させることができる。それは、細かい枝葉にとらわれる罠を回避してくれるけれど、同時に人を、「理解したつもりにさせる」という心地よい別の罠に引っ張っていく。

 実際には、本をよく読む人ほど、他人の表情を感受していなかったり、声のニュアンスを聞き落としていたりする。
 絵画や彫刻のような視覚的芸術で、どう感受したものか途方に暮れている人が、タイトルや解説という「文字」を見た途端に、急に安堵してあれこれ解釈を始めるのも、よくあることだ。あるいは、映画の映像的表現を全部すっとばして、「○○が描けていない」などとしたり顔でこき下ろす人とか。

 言葉は本当に簡単だ。逆に人間の説明されていない表情や映像から、感情や心、真実、徴候、言語化しにくい何かを捉えることができる「読書で想像力を鍛えた人」は、どれくらいいるだろう。
 私は時々、「読書によって想像力が育まれた人」というよりも、「読書"にも関わらず"想像力が育まれた人」という表現の方が正しいのではないかと思うことすらある。
 ドラクエシリーズのあの「スライムは仲間にしてほしそうな目でこっちを見ている」という名台詞に笑いが生まれるのは、言葉というもののスポイル性を上手にすくいとって、ある種の皮肉にまでしてしまったからと思う。

 本を読む力というのは、打ち出の小槌ではなく、つまらない基礎的な能力のひとつに過ぎない。それはあるベクトルの理解力を、一定程度、保証してくれる。それ以上でもそれ以下でもない。
 本をたくさん読める人が、他人の心を理解できるとか、想像力が豊かだとか、高い倫理観を持つとか、人間性が優れるなんてことは一切ない。足が速い人や視力が2.0ある人が人間性に優れる訳でもないのと同じように、そういうひとつの「能力」に過ぎない。

 恐らく、本に過剰な期待をする人というのは、むしろ読書をあまりしない人――あるいは、本を読んでもそれこそ「想像力が育まれていない人」なのではないかと思う。
 たぶん、人は自分が本当には理解していない活動を、過大に評価しがちなのだ。子供に読書をさせれば人間性が高まる、といった話は、私には、子供を東大に入学させれば人生安泰、といったレベルの話にしか聞こえないのである。

体重を減らす2012年06月06日

 今日は太陽表面を金星が通過するという天文イベントがあったそうですが……あいにくの曇りでした。まぁ、観測用グラスを持っていない私にはどのみち無理だったのですが。そして私は、気合いを入れたイベントの時には雨が降る確率が跳ね上がるという、知りあい内でも恐らく一番の雨女ですが、今日については洗濯も何もしていないので、私のせいではありません。

 最近、また体重が問題になってきたので、少々ダイエットをしています。食べる量を全般的に減らして、間食をせずに、少しは体を動かしてという、実にスタンダードなアレです。
 食べ道楽の軽鴨の君に付き合ってあれこれ食べ歩いているうちに、妙な副作用と言いますか、甘いものについての要求が学生時代などに比べると格段に高くなりまして、この頃は手軽なところで購入できるようなお菓子では全然満足できなくなってしまいました。おかげで間食を減らすのにはそれほど苦労はなかったのですが。どうしても甘いものが食べたい時は、秘蔵のチョコレートを少しだけとか、高品質のドライフルーツをむしゃむしゃ食べるとか、フルーツのピュレを作って食べるとかになっています。フルーツのピュレは、ものすごく贅沢な気分になるので結構楽しいですね。

 体を動かす方は、軽鴨の君がメタボ対策でWiiFitをついに導入しまして、こっそり便乗してたまにやっておりますが、あれは本当に他人が見ているところではやりたくないと思います。
 運動って、ちょっと演劇に似ていますよね。体を自由に動かせる領域になるまで、他人の目があるとものすごい抵抗感と闘わないといけません。演劇だとそこでくじけていたらお話になりませんけれど。運動は人に見られないで実行できるだけ楽でいいです。Twitterで、「今日のWiiFitは~」とか報告している人がたまにいますけど、あの勇気はすごい。私には無理です。

 そんなこんなで、たまに体を動かしつつ、何とか昼寝をせずに、気分が落ち込むものから自分を遠ざけながら、暮らす毎日です。

ライフログのガンダーラを求めて2012年06月07日

 今年は少し真面目にライフログなるものをつけようかなと思い、色々ちょこちょこメモしています。
 iPhoneとiPadの登場で、こういう記録をつけるのは以前より格段に楽にはなっているのですけど、いざそれをまとめるというところになると、なかなか自分のやり方にちょうどいい方法って見つからないものですね。
 という訳で、今日の話は自分用の覚え書きのようなものなので、他の人が読んでも全然楽しくないと思いますが、あしからず。

 私は、長めの文章や走り書きはMacJournalというアプリに保存していますが、これは文章を書いて保存するという点ではとても使いやすくていいのですけれど、各デバイスの同期はちょっと手がかかります。自動ではできなくて、各デバイスのアプリが起動している状態で、手動で同期させないといけません。なので、外出先で「あ、あの文章」とか引っ張り出そうとしても、同期し忘れてたりします。
 同期という点で使いやすいのはやはりEvernoteでありますが、Evernoteって保存や同期には優れているのですけれど、専用クライアント上で文章を書いたりするのが、どうも私の場合うまくいかないのですよね。細かいレイアウトの相性が、悪くはないけれど良くもない、という感じなのだと思います。なので、あくまで容れ物として使っています。メール送信を利用した保存ができたり、Webのクリップをしたりするのには無敵の強さを誇るのですけれど……。あ、あとiPadがWiFi専用なので、外出先でちょっと不便になったりします。
 MacJournalが、エントリを自動でEvernoteに転送するか、あるいは同期がiCloud経由で自動でできるようになると、結構いいのですけどねぇ。

 長めの文章ではない、細切れのメモとか、食べたものとか、写真とか等々については、色々なアプリがあるのですが、その記録をまとめて保存したり閲覧したりするのがまた大変。
 一番普通に使われるのはTwitterなのでしょうけれど、私はTwitterというのが本当に苦手で、タイムラインを追っているととても疲れてしまいます。それにいちいち自分の行動を他の人に全部見せたいとは思わないし。誰もフォローしない非公開のアカウントを作って記録するという方法がありますが、Twitter自体への苦手意識がどうも克服できません。
 Twitterライクなログアプリは結構出ていますが、これもまた見事なまでに一長一短。
 iPhoneとiPadアプリで有名なのは「瞬間日記」という、Twitterのように140文字のエントリを次々作っていって日付で管理するものですが、これはレイアウトがどうもしっくり来ない。いかにもアプリです、という機械っぽい感じが、苦手なのかなぁ。あと、Mac版がないのが致命的。Macを使っている時にいちいちiPhoneやiPadを出してきて起動して……とかやってられません。
 iOSデバイスとMac双方に対応しているTwitterライクライフログアプリの雄は、恐らく「Day One」。ちなみにこれ、Google検索する時に間のスペースが無視されるのか、昔流行した「DA・YO・NE」という歌がぞろぞろ検索に引っかかるのが笑えます。
 Day OneはiOSとMac版両方に対応していて、同期もiCloud経由で自動、しかもとても素早く行ってくれます。便利便利。が、しかし、保存できるのはテキストだけで、画像や位置情報などは保存できません。アウトプットもテキストデータで手動でしないといけません。
 Day Oneにアイコンが何故か似ている「Momento」というiOSアプリは、TwitterやRSSなどのエントリを取得して保存できるのが画期的ですが、これもエクスポートは手動で、テキストデータになっています。

 そこへiOSアプリの「Flava」というのが颯爽と登場しまして、レイアウトがなかなかおしゃれで、テキストも画像も位置データも対応、しかもEvernoteに同期可能。あと、エントリを作成したらTwitterに投稿するのを選択できる(しかもエントリごとに選択可能)ということでかなり期待したのですが……。
 Evernoteへの同期が手動というのはともかく、1エントリにつき1つのノートを作成する方式なので、「○○に行った」という1行で終わるメモまで全部別々のノートにされ、結構鬱陶しいノートブックになってしまいます。まぁそれでいい、と割り切ってしまえば楽なのかも知れませんが。1日のエントリが1つのノートにまとまれば、かなり使いやすそうなのですけどね。
 1日のメモを全部1つのノートにまとめてEvernoteに送ってくれるiOSアプリの「PostEver」も結構いいのですが、どうも、レイアウトが今ひとつ好みではないというか、エントリを作るのが楽しいという気持ちになれないのです。まぁレイアウトやインターフェースのデザインは、趣味の問題なので贅沢言うなといわれればそれまでなんですけど。


 ……とまぁ、このような訳で、ライフログの放浪はまだまだ続くのです。これ以外にも、ある種の要素に特化したログアプリ(ToDoとか体重測定とか食事とか)は色々あるのですけれど、それらのデータをまとめて管理するというのがまた、大変ですよねえ。

 理想を全部挙げるなら、
・iOS版とMac版両方があって
・同期が自動で速くて
・レイアウトが美しくて
・テキストだけでなく画像なども保存できて
・Twitterなどへのシェア機能はあるけれどエントリごとに選択可能で
・エキスポートしたログを後から確認しやすい
ということなのでしょうけど、自分で書いてて、これ全部満たすアプリ作るとしたら、一体いくらかかるんだと思いました……。
 つべこべ言わずに、色々なアプリを使い分けて、その出力をこまめに自分で整理していくしかないのでしょうねぇ。まぁ結局は、手間暇かける人が勝つということのようです。

千のアプリになって2012年06月08日

 昨日、あれこれライフログのメモの整理について考えていた時に思ったのですが。
 iOSアプリにせよ、MacOSアプリにせよ、一長一短でもう少しコレがこうなっていたらなぁと感じるものはたくさんあるのですが、その「コレがこうなっていたら」というのは、機能でなくて、デザインやレイアウトやインターフェースに感じるということが結構あるのですね。

 そういえば、紙のノートなんてものは、機能は「文字を書き留める」それだけなのに、何千何万というバリエーションがあって、その違いの大半は、ただただ「表紙の柄が違う」だけだったりする訳です。
 でも人はその違いに敏感に反応して、伊東屋のノートコーナーで何十分も立ち尽くすのですから、デザインが豊富というのは重要なのだなぁ。
 iPhoneのノートアプリは、結構色々出ていますが、まだまだデザインという点では豊富とは言いがたい状況です。
 まぁ、iPhoneの場合、Appleが提供しているデフォルトのメモアプリのデザインが洗練されてしまっているので、「これに機能じゃなくてデザインで勝負するのか……」と思うとアプリ制作者が暗澹たる気分になるのかも知れませんけれど。
 しかし、そこを何とか踏みとどまって、色々な方向性の色々な美しさを持ったデザインのバリエーションを、何とか増やしていただきたいと思います。

 とはいえ、アプリの制作をする人が、そういう種類のデザインの能力も兼ね備えているという都合のいいことはそうそうないでしょうしねぇ。
 ならデザインができる人と一緒に組んで、となると、別の困難が発生するでしょうし。1人でちょこちょこ作るのと、2人で協力してアプリを作るのとでは、同じ小規模なプロジェクトでも全く別の種類のものになるからなぁ。いきなり予算や手間が変わってきて、ペイするかどうかがわからなくなる世界に突入してしまう。

 という訳で、どこかの頭のいい方が、「ノートアプリの基本の機能」だけを作って、そこに多数のデザイナーがそれぞれ自分の渾身のデザインを落とし込み、豊富な種類のノートアプリを一挙に作り上げる「1000のノートアプリプロジェクト」でも始めてくれないものでしょうか。
 あ、実現した暁には、ぜひ私好みのデザインもひとつ、採用していただければ幸いです。ノート部分は無地で、やや生成り色で、文字色は濃いめの黒と緑の中間色で、ナチュラルテイストな雰囲気でお願いします。