予言2012年02月08日

 ポスト3.11という表現がすっかり一般化して、全てがあの日から変わってしまった、という言説があちこちで囁かれるようになりました。
 震災以降、ネットには原発や地震に関する情報が、それもどちらかといえばあまりよくない「情報」や「知識」が、出回るようになったと人々は言い、それを嘆き、うんざりした顔で吐き捨てています。

 私は、ずっと、あの日から何かが大きく変わったという感情を持てないでいて、むしろ既視感を抱いていて、日本が全く変わってしまったとか、そういう気持ちは全然ありませんでした。それは、私自身に直接あの災害は大きな被害をもたらさなかったという側面も、ないではありません。けれどそれよりも、私にあるのは強い既視感です。
 その感覚の由来は、中学高校時代の心象風景です。
 あの頃の私は、色々な書き物をしながら、学校でてんやわんやの非日常的な日常を繰り広げていたのですけれど、定期的に取り組んでいたテーマのひとつが、環境問題でした。何度かこのブログでも書きましたけれど、それは学校の文化祭での、図書委員の研究発表として取り組んでいたもので、今の大人の視点で精査するならば脇の甘い代物ではありました。ただ、あの時目の当たりにした様々なものが、私の心の根っこに深く刻まれているのだと、実感します。

 当時からすでに、原子力発電の危険性も問題も指摘されていて、実際ある年の研究発表はまるまる原子力発電の危険性に関するものでした。その他にも、オゾン層も、温暖化現象も、酸性雨も、森林の伐採も、食品添加物のカクテルも、先進国による途上国の自然資源の収奪も、食料生産の狂った構造も、その時に私は調べ、知り、どうするべきなのか、自分は何をするべきなのかという問いと向き合いました。
 ひとりでやった研究発表ではなかったので、同じテーマに取り組んだ同級生や先輩後輩がおり、その中での皆の反応も色々でした。

 ヒステリックな悪者を見つけろという悲鳴も、利益至上主義の臭気に嘔吐するのも、自分の欲望を嫌悪し絶望するのも、どうせ何をしても変わらないと諦観するのも、そして「環境保護という偽善」に留まることに耐えきれなくなって「環境問題なんて存在しない」とせせら笑うことも。
 全て、私は我が事として経験し、また他人からの声として浴びせられもしました。
 あの頃に、今人々が「ポスト3.11」と言う現象の全てはすでにありました。その頃環境保護運動に多少でも関わり、どうすれば少しでもこの悪循環をなくせるのかとあがいていた人は、皆、知っているはずです。
 企業が全部悪いと叫ぶ声も、○○がなくなれば経済が成り立たなくなるから日本はおしまいだという「現実主義」も、それは今突然に地震によって露になった感情などではありません。何十年も前にすでにありありと、はっきりと目に見えていました。ただ、見なかった人も見ないで済んだ人も見ずに避けた人も、たくさんいただけのことで。
 何とあの頃から、結局日本は何一つ進歩していなかったのかと、時々私はめまいを覚えます。既視感も無理はありません。「このままでは危ない」というのはすでにあの頃から私にあった実感でした。皆は何故今になって、こんなに怖がっているのだろうと思うことすらあります。ダモクレスの剣を吊るす縄は、とっくの昔に亀裂が入って裂け始めていたのに。

 環境保護運動の偽善性やファナティックな部分に反発する人も、当時からたくさんいて、私は当時からその手の質問を浴びせられました。私には、「環境保護運動に反論する人」も、同程度に偽善的でファナティックだとすでにわかっていましたが、それ言っても何にもならないことも、さすがに学びました。
 私は結局、「嫌ならば何もしなければいいよ。あるいは自分で対案を出すか、自分が応援できる活動をしている団体なりを見つければいいだけだと思うよ。世界にはいろんな環境保護団体があるんだから」とだけ答えることに落ち着いたような気がします。
 もっとも「対案を出す」人は滅多にいませんでしたし、自分で他の環境保護団体の活動を調査してみる人に至っては皆無でした。そういうものなのでしょう。自分の経験を飛び出して積極的にアンテナを広げ、自分で調べて答えを自分で探すのは、面倒を通り越して苦痛なものです。時間も体力も使う上に、その結果に自分で責任を負わなければならないのですから。
 出てくるのは「人類の悪行」、どう言い訳しても自分自身が犯しているとありありとわかってしまっている悪行です。それに耐えるのは嫌なものです。自分の見聞きする範囲で触れられる、他人の調査や経験を、外から否定して終わりにする方が、ずっと効率的な「正解」です。
 人は自分の経験の範囲内なら、自分の見たいものを見ることができるので、「偽善的で非科学的でヒステリックな環境論者」を無意識に選択して「バカ」の箱にまるめて捨てて終わりにすることさえできます。

 あの頃の、そういうもろもろの体験と感情に、耐え切った人もいれば、そうでなかった人もいます。
 その後環境保護運動に関わるようになった人もいれば、特に関わらないにせよ人格的な安定を得て人間的に成長した人もおり、冷笑と批判に陥った人もいます。おまえ自身はどうなのかと問われそうですが、私には本当のところはわかりません。そもそも自分で下す人間的な成長の評価など、そんなにあてになるものではないでしょう。
 ただ、私自身が袋小路に入り込んだと実感した時はありました。それは、正解を求めた時、「この人の言うことなら大丈夫」という人を求めた時、様々な意味での「醜さ」に――自分の醜さにも、そして他人の醜さにも――耐えることを拒否した時、でした。
 あまりにも多くのことを期待しすぎたからなのかも知れません。その時にはささやかな期待に思えたのですけれど。私のささやかな願いとは、納得できること、方向性が見えること(それもすぐに!)、そして裏切られたり不愉快な気分にならないことでした。けれどその先には、他人を冷笑するか、自分の信じたいことを信じてお茶を濁すか、その二つしかゴールはありませんでした。そのどちらも、私にとっては全然安住できるところではなかったのです。

 答えのない問いを一生抱え続けること、偽善だと罵られること、立派な先生も活動家も失敗し道を誤るかも知れないこと、そういったこと全てを引き受けて、「自分が何をするのか」を常に自己監視しつつも淡々と選択し続けるしか、結局はないのだと。
 安心は永遠に得られないのだと。
 安心の代わりに、信頼を、自分の内にも、そして好きでもない他人にも、「見つけていく」――見つからなければ歯を食いしばってでも「探していく」しかないのだと。
 私自身が、少なくない年月をかけてたどりついたのは、そういう心象風景でした。楽しい場所とは言えません。他人を勧誘できる楽園でもありません。でもそこにしか、自分を許せる場所はないのだと思い知りました。


 ポスト3.11は、私にとっては新しいことはほとんどありませんでした。どちらかといえばそれは、古い地層の思考を改めて呼び起こしたということなのでしょう。この既視感は、結局そういうことです。
 恐らく今もたくさんの人が、ヒステリックな反ナントカ運動にうんざりし、そしてそれを冷笑する態度にもまた失望しているのでしょう。
 私はそうやって悩む彼らに、心安らぐことを何一つ言えません。
 私の予言は陰鬱に響くはずです。それは続きます。正解は見つからないし、あなたが安心して心を任せられる人は現れません。あなたは偽善にまみれるし、何かをすれば腐った卵が四方八方から降り注ぐし、何もしなければ自己嫌悪に苛まれます。手足を縛られたまま水に放り込まれて泳ぎ続けるような状態が、ずっとずっと続きます。
 でも、そういうものを全部呑み込んだ上で、空を仰ぎ見た時にしか見えないものがあります。
 私が地球はきれいだなと思い、人間も何か意味があってここにいるのだなと思ったのは、そういう先にたどりついた場所でのことでした。だからたぶん、今苦しんでいるたくさんの人も、そういうものが見える時が来ると思います。と言うとひどく宗教的でスピリチュアルで胡散臭いでしょうから、別に信じなくても嘲笑っていただいてもかまいませんけれど。
 ただ、その苦しみには、意味はあるのだと、と私は思います。安心や正解に、逃げないでいる限りは。

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