書店2012年02月06日

 数年前から、私は本屋に行ってもあまり楽しめない状態が続いていて、それは最近になって日に日に増すばかりになっていました。
 本自体に対する欲求や要望も、昔とはだいぶ違っているという側面はもちろんあるにせよ、それだけでは説明できない状態です。端的に言って、私は本屋にいるのが苦痛になってきたのです。そこに立っていると、目に入ってくる何もかもが苦痛で、うんざりで、嫌になってくるのです。なので私はこのところ、書店に行っても足を運ぶのは料理の本のコーナーとかのごく一部になっています。
 先日、買うつもりだった新刊の書籍を、たまにはネット通販ではなく書店で買おうと思って、某大手書店に行きました。
 その本の置き場の関係で、本当に久しぶりに、新刊コーナーや文芸書やコミックや思想書といった、近ごろ敬遠している売り場を見たのですが、目が回ってくるような苦痛は相変わらずでした。

 たとえば不快感は、「今話題の○○を集めたコーナー」の前を通った時に、突然降ってきます。
 先回りされてる、というのが最初に浮かんだ言葉。そんなのはいいよ、必要になったら自分で探すから、いらぬおせっかいだな。反射的に私はそう思考し、そしてその内側にある不快感が、唐突につるりと皮が剥けるように、姿を現すのです。
 「意図」の存在。
 これがおすすめ、話題のこのトピックに関する本はこちら、ベストセラーはここです、メディアに出ているコミックコーナー、書店員も号泣、etc,etc…
 並んでいるのはすでに本ではなく、ものすごい勢いでだくだくと流れる、「意図」の奔流。私の読むべき本も、読んだら面白いだろう本も、そして読み終わったら感じるであろう感想も、すでに他人の手によって御膳立てされて、にっこりと差し出されている状況。
 そして、それらの大半が、「本心ではない」と、一消費者に過ぎない私にさえありありとわかってしまっているという状況。
 
 私にとって、本を探すところはもっとフラットであってほしい、ということなのでしょう。説明不足でさえあっていい。自分で見つけるのが楽しいのだから。というより、「自分で見つける過程」こそが読書であって、人がすでに見つけたものを再確認することに意味はないのだから。
 そういえば、Amazonのレビューコーナーさえ、私は滅多に目を通すことがありません。また、古書店やコンセプト書店のようなものも、あまり足を運ぶことがありません。書店員が心をこめて書いているであろう手書きPOPさえ、鬱陶しい代物です。放っておいてくれ、という気分になります。

 じゃあお前はレビューや書評や、誰かのおすすめを必要としないのか、と言われそうですが、そうでもありません。新聞の書評欄は大体目を通しますし、ブクログに登録もしていますし、自分でレビューのブログを書いてもいます。他人に個人的にすすめてもらった本(おおざっぱに「これ面白かった」という話ではなく、「あなたにこれを読んでほしい」と名指しされたもの、という意味です)は必ず読みます。たぶん、書店員の手書きPOPも、フリーペーパーでも置いてあってそこに書かれているものだったら、素直に面白がるような気がします。
 同じ商業主義でも、雑誌の中吊り広告の麗々しい謳い文句を見ると、ちょっとユーモラスな気分になります。つまり、ことは単純な商業主義の嫌悪というものでもありません。もう少し、私という人間の善いところにも悪いところにも関わっている、複雑な心性の問題が絡んでいるような気がします。
 とはいえ、書店というベースがもっとフラットでプレーンな状態で、そこに自分のその時の希望や状況に合わせて何かを付け加えていき、必要ない時にはすぐにきれいさっぱり取り去ることができる。もしそういう環境ならば、私は本屋にいることをもう少し楽しむのかも知れません。

 もっともこんなことを書けば、本屋の経営の苦しさを知らずに勝手なことを言うな、という反論が即座に返ってくることは、よくわかっています。
 書店は今や、のんびりとお客が足を運んでくるのを待つのではなく、江戸時代の宿場のごとく呼び込み競争をしなければ生きていけない状況にあると、少なくともそう業界は考えています。私が本を買わなくなったから出版不況になったのだ、と断言するほど私はさすがに自意識過剰にはなれません。私一人の足が遠のく代わりに、何百何千の人がたくさん新刊を買ってくれるのだから、彼らの選択した戦術は正しいはずなのです。

 とはいえ、昨日の日曜の日経新聞朝刊の書評欄に掲載されていた、評論家の東浩紀のコラムに、「棚を一瞥しポップを読んだだけで、書店員の考えや立ち位置が想像できるようになってくる。そのような状況が息苦しくて、ぼくはいつしか、あれほど好きだった書店に足を向けなくなってしまった」という一文があって、ああこんな風に感じている人が、私以外にもいるんだなぁと思ったのでした。森の中で、自分の同種の影をちらりと見たような、そんな気持ちです。

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