新聞の腐敗、ネットの傲慢2011年03月04日

 ネットの世界では、大手マスコミに対する批判や非難がしょっちゅうあふれかえっていて、時々ITリテラシーが高い(ということになっている)著名人とかが「もうテレビ新聞は終わった、これからはネットの時代だ」と息巻いているのですが。
 長く続いていくものには、一定の型の腐敗と退廃は避けられないので、テレビや新聞といったものがそういうものに侵食されているのは間違いないでしょう。

 しかし、私自身については、しばらく新聞から遠ざかって、ネットメディア(SNSやTwitterやブログ含む)を主な情報源にしてみましたが、あまりよい情報が得られる訳ではありませんでした。
 新聞は間違いが一定数あるというけれど、ネットメディアの多くの部分もまた、間違いで成立していて、その点は実はそんなに変わりはないなぁと思います。むしろ、偏向的で独善的な意見というのは、ネットの方が多いくらいです。

 恐らく、大手であろうとなかろうと、全ての情報を扱う存在というものには、全能感の落とし穴というものがあるのだと思うのです。
 真理を知っている。知識を握っている。世界に正しいことを発信できる。世界を変えられる。
 そんなことを、錯覚させる力が、情報というものにはあります。
 世界という圧倒的な存在の前で、ひとがささやかながらも立つためには、一定の自負と誇りがなければなりませんから、それを持つ助けになる情報をいうものを、人が求めるのはごく自然なことだと思います。人が権限や能力を、ごく自然に求めるのと同じように。
 けれどそれは、たやすく傲りにつながります。

 情報を扱う存在には、万能幻想への傾斜という罠との、不断の闘いが要求されます。そこに傾斜していけば、変容(それも悪い方への変容)は避けられないからです。
 しかし、これを個人でやり通せる人は極めて稀有でもあります。

 ネットメディアにあふれる情報の、もっとも大きい陥穽は、この独善性・万能感の幻想を抑制するものが、あまり働いていないことなのだと思います。
 大手のマスコミこそが、そういう幻想に呑み込まれていると思う人も多いのでしょうけれど、意外とそうでもないのではないでしょうか。彼らには、内外に、様々な抑制装置が用意されています。編集チェック、社内調整、様々な法律、視聴率や部数といった数字。
 それが果たして、期待通りの抑止力として働いているのかという疑問は、当然あります。しかし、そもそもそれすら存在しないのが、大半のインターネットにあふれる情報です。


 何となく、私には、大手マスコミとネットメディアの対立というのは、近代西洋医学と土着のシャーマン呪医との対立と、だぶって見えます。
 近代医学の腐敗と矛盾に憤り疲れた人が、素朴な土着文化治療師に癒されることがあるように、新聞に傷つけられた人がネットメディアに大きな期待を寄せるのは、よく理解できる気持ちではあります。
 けれど大きな期待があるからこそ、それだけに、傲りに至る危険は高く、また腐敗にも近くなります。実際に一定の力を及ぼすことができるだけに成長した今こそ、その虞は強くなっています。

 土着文化治療師の中には、一時期は確かな治療実績をあげるものの、万能治療者幻想の傲りにからめとられ、変質し転落していく人が、決して少なくありません。それが結果的に、土着治療文化、ひいては代替医療全体への蔑視を招いています。
 同じように、ネットメディアが、自己抑制を身に付けることができず、この傲りにからめとられることとなったら、その基盤が掘り崩されることとなるでしょう。もしそうなってしまえば、数百年という歴史の間、様々な抑止力を抱え込んでともかくも耐えてきた新聞といった既存のマスメディアに対して、もはやカウンターカルチャーとしての存在意義しか主張しえなくなってしまうでしょう。


 私個人は、ネットメディアを頼る比率は、だんだんと低くなってきました。
 新聞やテレビは、欠点や問題点がある程度わかっていて割り引いて考えられるようになった分、むしろつきあいやすい相手です。不快になった時にブロックするのもたやすくできます。
 何となく、この感覚は、古くて手口のわかっている悪党と、知り合って日が浅くてどう信用すれば計りかねている新顔と、どちらが信頼できるか、みたいなものに、似ています。

地震が起きた時2011年03月11日

 地震、私の家は本棚の本が落ちてきた程度で、何も被害はありません。被災者の皆様の一刻も早い救援を願うばかりです。

 地震が来た瞬間、私は遅い昼ご飯を食べようと、スパゲティを茹でながらソースを作っていました。
 かちかちかち、という聞きなれない金属音が響いてきて、それが別の部屋のパソコンラックにひっかけていたS字フックが揺れてぶつかっている音だと気付くのに、数秒かかりました。認識した瞬間に、ゆっくりとした、妙になめらかにすら感じられる横揺れが来ました。
 普段の地震だとそこで終わるところが、揺れが終わらないので、これは長い、と意識しました。思考はどこかゆっくりしていて、火を消さないと、と気付いたのはその時でした。火を消し、キッチンを出て、ぐらぐらと揺れる部屋を見つめました。何故か危機感はありませんでした。
 次第に揺れは激しくなり、さすがに危険だ、という感覚がやってきて、ダイニングのテーブルの下に体をいれました。テーブルの脚を押さえながら、恐怖に支配されないようにと、私は数をかぞえはじめました。こういう時に、時間がとても長く感じることはわかっていたので、多少なりとも客観的に状況を把握したかったということもあります。
 あえて意識して、ゆっくりと数をかぞえました。二十を数えた頃、冷蔵庫の中で何かがひっくり返る音(後で確認したらバターケースが滑り落ちて別の容器にぶつかった音でした)、そして本棚から立て続けに本が落ちてくる音、寝室の温湿度計が落ちる音、アロマテラピーの精油の瓶がラックから落ちる音、それらが断続的に聞こえてきました。
 四十をかぞえ、六十をかぞえても揺れは弱まりつつも収まらず、ゆっくりと長く続くことが恐怖をもたらしました。それは何かが落ちたり崩れたりすることへの恐怖ではなく、何が起こるのかがはっきりしないことへの恐怖でした。脳裏に、阪神淡路大震災でベッドや大物家具が転倒というより飛来した話がよぎり、倒れて来る可能性のあるタンスやテレビを、私は他人事のように見ていました。
 そして同時に、ずっと、意識の中で、去年に天へ還っていったお鳥様が、決して危険の及ばない安全な世界に今はいることを、私は感謝していました。お鳥様が生きていた時、私の最大の不安は、災害から彼を守れない状況が起こることだったのです。その心配がないということは、奇妙な話ですが、大きな揺れの中でも心の平穏を保つ大きな柱となりました。
 百から百二十を数えたあたりで、揺れはおさまりました。私は恐る恐るテーブルから出ました。最初に地震を知らせた、ラックにかかったS字フックは、まだ反動でかちかちと揺れていました。ずいぶん長い地震だったな、と私は考えました。
 部屋を見渡しても、本や小さなもの以外、倒れたものはありませんでした。
 キッチンに行くと、スパゲティの茹であがりを知らせるタイマーが、淡々とカウントダウンをしていて、もうすぐ茹であがるところでした。

 スパゲティのソースを、急いで仕上げてしまい、スパゲティをからめて食器に盛り、私はNHKを点けました。ネットメディアは、みんなが一斉に何かを書き込んだりして、安定しないか、流言飛語の嵐だろうと思ったので、落ち着くまでは見ないでいようと思いました。
 NHKのアナウンサーが、混乱しながら、必死に状況を伝えようとしているのが見えました。震源が東北沖、そして地震そのものもさることながら、凄まじい津波が起こりそうなことを知ったのは、テレビを観てからでした。
 軽鴨の君からの連絡はありませんでしたが、なぜか大丈夫だろうと思っていました。Twitterで彼が状況報告をしていたのを知ったのは、ずいぶん後、ようやく落ち着いただろうと思ってTwitterを見てからです。

悪意の場所。塩麹と、蒸しパン2011年03月18日

 地震から一週間が経ちました。三日目に続いて、初期の消耗が出やすいと言われている時期です。私自身は、どうもピリピリするというか、いらいらする感じが沸き上がっていました。もともとネットやメディアに対する耐性が低いところへもって、この一週間で次々沸き上がるデマに、ちょっとうんざりしているところです。
 しかしデマというものは、ネット世論がどこに悪意を抱いているかというのを白日の下にさらすのだなと実感します。某都市の知事、某政党、知名度の高い政治家、マスコミ、外国人、そして、主婦(女性)。
 かつてテレビを使った選挙活動で、ケネディに遅れをとったニクソンは、
「人々はケネディの中に自分がこうありたいと思うものを見出し、ニクソンの中に自分が実際にそうであるものを見出す」
と言ったそうですが(*1)
これをもじるなら、
「人々は救助に励む自衛隊の中に自分がこうありたいと思うものを見出し、マスコミと政治家の中に自分が実際そうであるものを見出す」
ということになりそうです。
 こういうことを書きたくなること自体、今の私が少々疲弊していることの証拠かも知れません。

*1 http://www.yamaguchijiro.com/?eid=658
より引用



 話は変わりますが、先日麹を使う料理レシピの本に、「塩麹」という麹で作る調味料というか食材というか、が載っていたので、仕込んでみました。
 冬場はでき上がるまで二週間ほどかかるとのこと。今は特に暖房がないので、もう少しかかるかも知れません。味噌作りほどではないですが、久しぶりの「時間が作るもの」なので、楽しみです。
 先のことばかりだけではつまらないので、今日はブロッコリーとチーズを入れた蒸しパンを作りました。蒸し鍋に入るマフィン型がなかったので、小さいパウンド型を使ったら、中心に火が通るまで時間がかかってしまいましたけど(笑)。今度、シリコンのマフィン型でも買ってこようかな。

一万時間2011年03月20日

 先日読んだ本で、「誰でも、どんなことでも、やり続けた時間が一万時間を超えた時、悟りのようなものが訪れ、その道の達人になれる」というようなことが書いてありました。
 後で軽鴨の君に話したら、どうやらオリンピック選手などについてもたまに言われるようで、意外と知られている話なのかも知れません。
 一万時間、というと、何となく手が届く短い時間のようにも思えますけれど、実際には一年365日、土日も祝日もなく毎日欠かさず1時間何かをしたとするならば、27年と少しかかる計算です。毎日2時間ならば14年弱。
 もし5年でその境地に達しようとするならば、毎日休みなく6時間近くを捧げなくてはならないことになります。
 楽器演奏などが、「小さい頃から始めなければ圧倒的に不利」と言われるのは、こういう側面があるのでしょうか。

 その域に達するまでに、14年とか27年とか言われると、もう遅過ぎるというか先がないというか、私のような若くない年齢に達した人間からすると、希望など何もないような気分になってしまいますけれど、それは「達した先」の時間を期待するからかも知れません。あるいはもっとわかりやすく、それで一発当てようとか、名をあげようとか、そういう目的から逆算するから、かも。
 けれど、「悟る」ことを目的そのものに置いてしまえば、そんなことを気に病まなくなるような気がします。
 一万時間を、ただひたすら何かの手段として耐えて通過するものと思わないで、旅の道中のようなそれ自体こそが大切なものだと思えるなら、一万時間を過ぎた時に若くなかろうと、定年過ぎであろうと、死の間際であろうと、あるいは生きている間にその一万時間を超えなかったとしても、かまわないと思えるのではないかと。

 私が「書く」ということを意識的に始めたのは中学生の頃ですが、一定のブランク(書かなかった訳ではないのですが自分の中で空白になっている時期)があるので、まだ一万時間には達してないと思います。
 もしかしたら、一万時間に達する前に、私の生涯の終わりが(思いもしない形であっけなく)来ることもあるのかも知れませんが、それでも一万時間を目指して、淡々と、書いていくしかないのだろうと思います。たぶん、占いとか、他の色々なアーティスティックな行為についても。

お百度参り2011年03月21日

 震災の後、三日間ほど、私はいつもと違う状態に自分がなっていることを自覚しました。
 それは、単純に表現しようと思えばとても単純に表現できる状態ではありました。躁状態、高揚感、罪悪感、焦燥感、責任感。
 けれどそういった、かたちとして、あるいは意識できる状態として認識できる「心理」というような、「心の状態」というだけでは説明しきれない、もっとなまの、根源的な"パワーのかたまり"とでも言いたくなるようなものが、自分という存在のあちこちにマグマのごとく湧いてくるような感じでした。

 即物的に説明するならば、アドレナリンなどの「闘争と逃亡のホルモン」のような体内物質がどっと放出されて、肝臓やら脂肪やらに蓄えていたものを次々分解してエネルギーに変換して、
「さあ準備はできた、逃げるなり闘うなりしたまえ!」
とスタンバイしていた状態だったのではないかと思います。

 それが、普通の「心理」とちょっと違っていたのは、たとえば普段の罪悪感なり責任感なり焦燥感なりは、自分なりに原因が掴めたり、自己モニタリングができたりすると、ある程度操縦が可能になるのに、今回は自分でもはっきりと「これは震災直後の躁状態だな」と自覚していたにも関わらず、簡単にはコントロールできなかったことです。
 何か余計なことをしない方がいいぞ、とわかってはいたものの、この状態で「何もしないでいる」というのは非常な苦痛でした。私は普段より散発的な発言が増えました。軽鴨の君が体調不良だったので、薬を買いに行ったりすることで、それらはようやく緩和されたように思います。


 私は精神衛生学も、心理学も、専門に学んだ訳ではないので、以下は全くの素人考えなのですが。
 もしもこれが、災害を前にした時の、その場を乗り切る「火事場の馬鹿力」的な躁状態だったとするならば、これをハンドリングするのはなかなか簡単ではないような気がします。
 「自覚する」とか「考える」とか、そういった内向きの精神力で動かすアプローチは、無駄とは言わないにせよ非常に効率の悪い結果しかもたらさないものでした。もっとわかりやすく、体を動かす、瞬発的な活動をする、そういったことでようやく、落ち着きを取り戻したのです。
 その理由は、この状態が、普段の社会生活のレイヤーよりはるかに原始的な、生存に関わるようなレイヤーで心身を揺り動かすもので、言葉や意識的思考といった生物としては歴史の浅い道具では、あまり上手に届かない層だったからではないでしょうか。

 最近の日本は阪神淡路大震災や中越地震などを経験しており、今回の震災直後には、その時の反省や情報が、一瞬でネットやメディアを駆け巡りました。
 その時に、本当に多く言われたのが、
「直後の時点では、ボランティアや物品の寄付は、迷惑になるからやってはいけない」
といった注意でした。
 その注意は必要なものであり、正しかったのだろうと思うのですが。
 しかし恐らく私のように、直後の躁状態になっていた人にとっては、「○○するな」という、「動くな」に等しい指示があちこちで降ってきた状態は、実は意外な負担を心身に強いたのではないでしょうか。数回のクリックや、タッチパネル前での数分の操作で終わる金銭の寄付などで、あのエネルギーが消費できたようには、とても思えません。
 首都圏では消費者の買いだめが問題視されましたけれど、私にはあれは、ヒステリーやパニックというよりも、「何かしなさい」と生み出されたエネルギーが行き場を求めた結果のように思えます。だとするならば、「冷静に」といった呼びかけはあまり意味がなかったでしょうし、まして非難や批判や嘲笑など、無意味を通り越して有害ですらあったかも知れません。

「ボランティアには行くな」という話には、大抵セットで、「今はボランティアは邪魔だけれど、半年後一年後にはそういった人手が必要となることがあるだろうから、それまで待て」という発言がついていました。
「あなたの気持ちが本当ならば、一年後に……」といった一言が添えられていることもありました。
 けれど、あのパワーはとても瞬発的、短時間に費やされるエネルギーでした。現に私は、あの頃、とても意識が散漫になり、文章を書くことはおろか、読む力も衰えました。本を読むのにあんなに集中できなかったのは久しぶりです。
 あの力を、半年や一年待機させる、保存させるというのは、率直に言って不可能に近いと思います。
「あなたの気持ちが本当なら一年後に」云々の言葉は、普通の人が一年後に「あの時のエネルギー、あの時のモチベーション」が沸き上がらないことに対し、「自分の気持ちは嘘だった」と新たな罪悪感に苛まれる状態を生むという、誰も幸せにならない結果を招くのではないかと、私はちょっと怖く感じるのです。
 半年後、一年後にボランティアに向かう人の気持ちは、震災直後に「何かをしてあげたい」と切実に祈る時の気持ちとは、違う色、違う方向性のものだと思います。もちろん、直後の切実さがきっかけや根本の種となることはあると思いますが、同一視するのはどうなのでしょうか。


 災害心理などを研究する心理学者の皆様は、こういう、災害直後に起こる「エネルギーの超過状態」を、どうやったら皆が幸せになるような形で利用できるか、というのを考えるといいのではないかと思います。
 それは言葉や理性で「説得する」ものではないような気がします。


***   ***


 日本の民間信仰に、「お百度参り」というものがあります。
 切実な願掛けを行い、その祈願のためにある特定の寺社に百度参拝するものです。歩くルートが決まっていたり、「人に見られないように」などの制限があったりすることもあります。
 四国のお遍路さんのような霊場巡りも、恐らくこれと同じようなものが流れているような気がします。まぁ私は民俗学も素人なので、そう思うというだけなのですけれど。

 ふと振り返ってこの行為を眺めてみると、「エネルギーの超過状態」を通過する行為として、なかなかうまくできているのではないでしょうか。
 まずそれらは、単純な祈念のような、頭だけを使う活動ではありません。「歩く」という肉体を使い、体力を消耗する活動です。またその内容は、誰でもできる程度には単純であり、「回数をカウントする」「人に見られないようにする」といった適度に意識を働かせる要素も備えています。
 そして、着実に「積み重ねていく」種類の作業で、始まりと終わりがはっきりしています。「自分はここまで来た」「あとこれくらい」というものを、自分で把握できます。数をこなすという行為は、終わった後の達成感も保証するでしょう。
 つまりお百度参りは、単なる「たくさんお参りしたから霊験がある」というだけではなく、自分ではどうにもできない状況をどうにかしなければならない時に湧きあがってくるであろう、超過したエネルギーを、祈りという漠然としてなかなか結びにくい焦点に導いてくれる良質の儀式だったように思います。
(「だった」と過去形で表現するのは、現代の日本では、こういう明確な神仏への祈念にリアリティを感じられる人が少ないからです)

 また、こう書くと、お百度参りのようなものは、単なるプラシーボや昇華活動のように見えますけれど、そうとも言い切れない部分があります。
 自己啓発や願望成就、霊性について語る多くの言説には、
「目標を明確に視覚化する一方で、それに捕らわれこだわり過ぎてもいけない」
という考えが出てきます。まぁそこまで大げさではないにせよ、ぎりぎりと胃を痛くするような心配の後にふっと気が抜けて安心した瞬間に、思いも寄らぬ幸運や成就が起こることはよくあります。
 もしかしたら、お百度参りのような活動は、エネルギーを無駄に消費させるガス抜きのようなものと見せかけて、実はそのエネルギーを玉突きのように現実への作用に変化させて、巡り巡って望ましい結果をもたらしているのかも知れません。


 神仏へのリアリティをなかなか保ちえない人や社会でも、何とかして、「自分なりのお百度参り」を見つけなければならないのでしょう。
 短期的・瞬発的なエネルギーを、害の少ない形で消化させ、しかもそれが長期的な活動につながっていく。そんな活動を見つけることが、「何かをしてはいけない」という自縄自縛をほどいてくれるような気がするのです。

くるみとドライクランベリーの蒸しパン2011年03月22日

 今年に入ってから、少しずつ朝の起きる時間を早い時間へずらす努力をしていたのですが、このところの状況で一気にそれが元の木阿弥というか、抜けてしまいました。朝起きるのがひどく遅く、昼も眠く、夜もだるい、そんな感じです。
 眠れないよりは眠っている方が精神衛生の面ではましなので、あまり無理に起きないようにしようとは思っているのですが。しかし一面では、生活に安定性をもたらす必要もあるので、睡眠の習慣を整えて、朝起きて、夜眠ることをそろそろ考えねばなりません。
 薄々、そうなるだろうと思っていた通り、電力供給は今後も年単位で不安定になり、節電は「非常」ではなく「日常」になりそうですから、いかに電気を使わないで、あるいはせめてピークタイムを外したところで電気を使うか、ということを念頭に置いた、生活の再構築をする必要もあります。
 被災していない私のような人間でも、こういうことを考える気力は、そう簡単にはわいてこず、もどかしいものです。

 今日も蒸しパンを作りました。先日、シリコンのマフィン型を買ったので、それを使って。マフィン型は、パウンドケーキ型よりも蒸し時間が短くて済むのがありがたいところです。
 今日はくるみと、ドライクランベリーをたくさん入れて。今回は砂糖を入れず、甘味は甘酒を使いましたが、膨らみも問題なく、砂糖なしのお菓子に慣れた口には控えめな甘さがむしろ安らぐ感じで、なかなかいいものでした。
 そろそろオーブンを使った料理やお菓子が、恋しい感じです。ピークタイムを外した時間なら、オーブンを使っても大丈夫かな……。

旅行中2011年03月23日

 3月11日を境にして、色々なことが変わってしまった。
 たくさんの人がそう言っています。たぶんそうなんだろうな、と思います。

 けれど奇妙なことに、私自身は、そんな感覚がまるでなくて。
 何かが変わってしまったという実感が全然感じられなくて。
 かといっていつもの状態なのかと問われれば、そうとも言い切れず。

 震災を機にあふれだした、社会の善意も、そしてまた悪意も、私にとってはうすうす感じられていたものであり、意外さはありませんでした。ただむき出しのリアルさに、たじろぐ気持ちはありましたけど。
 またこの善意や悪意の奔流が、「社会の真の姿」とも思えなくて、あくまで突発的な一面的な姿に過ぎないだろうなとも感じています。

 原子力発電所の事故は、中高生の頃に原子力発電所の是非を考える文献調査をしていた記憶を思い出させました。今にして思えば、その調査はずいぶん脇が甘いというか、精査に耐えるものではなかったのですけれど、それでも基本的な何かを形作ったと思います。
 チェルノブイリの事故によって放出された放射性物質が、そう簡単には消えもせず、空と海をめぐって自分の体内までやってくる事実を自覚した恐怖が、その時にすでに刻印されており、今回の事故も私にとっては目新しいものではありません。
 私が今、かなり厳しく電力消費を削って生活しているのは、自分にそういう過去がありながら、こんな事故が起こるような現状を社会に許したという認識と、関係があるのでしょうけれど。


 私の中のはっきりとした変化というか、差異を上げるなら、ふわふわした浮遊感みたいなものがずっとあって、それは「旅行中」の感覚にとても近い気がします。
 自宅にいても旅行中のような感じ、というのは、考えようによってはおかしな状態なのかも知れませんが、逆に何と呑気なこの非常時に、と自分でも思わないではありません。
 旅行は、非日常とはいえそれなりのバランスを保っており、やがてどこかに帰り着くものです。私は、無根拠に、いずれ絶望するほど遠くはないうちに、どこかに帰り着くのだろうと感じているのでしょう。

因果応報2011年03月25日

 東京では水道水からも放射性物質が検出され、いよいよ原発事故は長期戦を呈してきました。

 私自身は、水道水も農作物も、政府が言うほど安全なものなどとは全然思っておらず、最低でも東京都民全員がいきなり煙草を一日10箱吸うヘビースモーカーになったくらいの悪影響はあるんだろうと思っています。
 自分が東京を離れていないのは、安全を信じているからでは全くなく、過去に自分が電力をたっぷり消費し続けた報いは受けなくてはならないと思っているからです。
 私は、過去に原発問題について調べて、一通りの素人知識はあり、原発は危険でメリットよりデメリットが大きいということをわかっていた人間であるにも関わらず、今社会にこの状況を招いたという意味で、非常に罪深いと思っています。なので、私のこの報いに、他人を巻き込むつもりはありません。だから可能な人は、早くもっと安全なところへ逃れていければいいと思います。
 けれど、私自身は、今後増えるかも知れない疾患の患者の列に加わる未来を受け入れる覚悟が必要なのでしょう。

 お金を貯めて、グリーン電力証書を買おうかな。
 そんなことを思いながら、私は今日も東京電力の電力消費量グラフを、眺めています。

微温2011年03月28日

 彼岸を過ぎたのに、なかなか暖かくならないのが悲しいところです。
 寒いのが苦手な質なので、このところは暖房をつけずに寒さを和らげることを色々試していますが、新しく導入してみた湯たんぽが強力な味方となってがんばってくれています。
 夜寝る前に、お布団に入れておくのは定番ですが、それ以外にも、小さな箱に毛布にくるんで入れておいて、ひざ掛けをかけながらそこに足を入れておくと、ちょっとした炬燵並みの暖かさで、かなり快適。思ったよりも温もりの持続時間も長くて、大助かりです。暖かさに負けて、低温火傷を起こしそうなところだけが心配ですけど、まぁ炬燵でもそれは同じですしね。

 電力消費のピークタイムには、電力消費の多いことをしないようにしたりするのも、もう慣れてきて、私個人はこの生活がこれからずっと続いてもいいような気がしてきました。もっとも、現実にどれくらい電力消費を抑えることができているのか、まだ目には見えないのでわからないのですけれど。
 今自宅で電力をどれくらい消費しているのか、リアルタイムで把握できればいいなぁと思います。太陽光発電を導入すると、それが可能になるのですが、賃貸マンション暮らしではそこが難しいところです。
 こういう時には、一戸建てに住みたいなぁと実感します。