事情考慮2007年04月06日

信じらんない、到底理解できない!
……という言動を前にした時に、
相手はバカだ・相手がおかしい・相手が狂ってる・相手が常識がない
と考えるか、
私に知らない何かの理由が・考えが・事情が・常識があるに違いない
と考えるか、
人間はふたつに分かれる。
まあどちらがいいとか悪いとか言うことではない。そういう二種類の人間がいるということだ。
もっとも、「私は後者、まず相手の事情を考えるわ」とうなずいている場合でも、推し量った「事情」が「自分の理解できないもの」だった場合は結局前者と同じ反応に回帰してしまうので、こういう分け方には意味はないのだろうが。

私は後者の立場をとることが多いように言われるけれど、それは私が優しいとか人格者だとかいうことを全く意味しない。
単に、私の言動が、他人に理解されることが少ないというだけの話だ。自分が理解されないのだから、他人だってそう簡単には理解できると思えない、それだけのことである。

理解力が深くて、一瞬で正しく他人を理解して、正しい反応が返せる人は、楽だろうなと思う。
そして、理解力が深くて一瞬で正しく他人を理解して正しい反応が返せると思っている人も、楽だろうなと思う。
そして、そのどちらでもない人は、私のように、日々苦しいのだろうなと思う。

もっとも、人生は、ひとつの苦しさが別の喜びを生み出すこともあるから、この性質が不幸だということにはならないのだけど。

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