訃報2010年04月13日

 わが家に遊びに来ていただいた方にはおなじみの、皆様に愛された天から降りてきたわが家のお鳥様ですが。
 本日11:45頃、天から女神様のお迎えが来て、彼岸への橋を渡りました。
 享年10歳と9ヶ月。今年の夏で11歳になるところでした。

 小鳥としてはかなりの高齢だったので、そろそろ体も少し弱って来ているかなという雰囲気を感じていましたが、
 昨日の夕方私の不注意で不慮の事故に遭い、すぐに病院に連れて行き手当てをしていただいたものの、ショックが大きかったようで、衰弱から戻らず、最期は私の手の中で少しだけ砂糖水を飲んで息を引き取りました。
 若くて元気な個体ならば死ぬほどの事故ではなかったようですが、見た目にはわからずともかなりの高齢だった彼には、こたえたようです。

 事故の原因は私の不注意で、病院に連れて行く時も雨が降っていて徒歩だったことや、抗生物質や砂糖水をもっとたくさん与えておけばよかっただろうかとか、明け方に仮眠せずにもっとこまめに砂糖水を与えておけばよかっただろうかとか。
 今は落ち着いていないこともあり、後悔ばかりが残ります。

 ただ、本来は野鳥で、もともと猫に襲われているところを、友人のもけさんに拾われて助かった鳥なので、
 野生であれば恐らくはこれほど長くは生きられなかっただろうことや、
 事故の直前まで元気でくつろぎ、好物のバナナなどを食べていたこと、
 最期はあまり苦しまず、看取ることができたことなど、
 幸せな生涯であったと思いたいです。

 いわゆるコンパニオンバードというよりも、まるで私のことを
太陽のごとく、常に当たり前にいる当然の環境のように思っていたわがまま気ままなお鳥様でしたが、彼なりの愛情と信頼を向けてもらえた幸福な記憶は、私の生涯の最後まで残るでしょう。

 天からお借りした存在でしたので、天に帰って必要な役目を果たすべく呼ばれたのだと思います。


 拾ってくれたもけさんや、病院を探しくれたくろねこさん、わが家を空けないといけないときに代わりに餌やリなどをしてくれた草くん、本来なら営業範囲外であろう野鳥を診察し、最期まで優しくアドバイスをしてくださったO動物病院の獣医師さんには、感謝の言葉もありません。

伐採2010年01月19日

 微妙に咳っぽく、喉が痛いです。風邪じゃないといいなぁ。今日は早く寝なくちゃ……。

 今日図書館に行こうと坂道を上がっていったら、いきなり風景がすこーんと開けてしまって、向こうの家まで全部見えて、ものすごい違和感でした。
 道の脇にあった、栗の木の林が、一気に伐採されて更地になっていました。
 地面に落ちていた栗の実ももちろん、跡形もなく。黄土色の地面が、ざらざらと広がっていました。
 横を通ると聞こえていた鳥たちの鳴き声もなく、しんと冷たい空気です。
 林の向こうにあった、同じ敷地内の果樹園の樹たちは残されていましたが、これもどうなるの。
 大きな木の管理は大変ですから、何か事情があってのこととは思うのですが、黒いほどの緑を空に広げていた存在がなくなってしまうと、寂しいというよりも冷え冷えとしたもっと温度の低い感情が滴り落ちます。

 図書館のそばにはもう少し広い、自治体が借り受けて管理している緑地帯があって、そちらは自治体管轄ですから、たぶん当分はなくならないだろうと期待しているのですが。でもそこがなくなってしまうと、私の居場所が確実に、ひとつなくなってしまうように思うのです。

再会2009年10月30日

 久しぶりの友達と、九品仏の「ツチオーネ」でランチとお茶などしてきました。
 ずいぶん久しぶりだったのですが、全然久しぶりという気がせず、のんきに近況報告やお互いの家族の話、彼女の趣味のクロスステッチの話、私が化粧水や石鹸を手作りした話、そして片づけってなかなか大変だよねぇと苦笑している話、などをしていました。
 時間が経つのはあっという間で、気がつくともう帰る時間。また会おうね〜と手を振って、それぞれの帰途につきました。

 別れる時間はそんなに遅くもなかったのに、空から降ってくる太陽の光は蜂蜜色になっていて、もう夕方のようでした。
 もう晩秋、冬がちゃくちゃくと近づいて来ているのだなぁと思います。

春分2009年03月20日

 春分、ということは春はもう折り返し地点のはずなのです。
 何だか全然春になった気がしないなぁ、と思いこんでいましたが、今日久しぶりに外出したら、空気の色は淡く甘いとろんとした光を帯びていて、まぎれもなく春の色でした。
 風はまだまだ冷たく、特に夜の寒さは、ウォッカの効いたミントシャーベットを思わせましたが、対照的に昼は焼き上げて一息たったケーキのようなほんのりとした温もりに満ちています。
 空にはヒヨドリとムクドリが群れ騒ぎ、道の上空をカワラヒワかメジロか小さな鳥が一直線に突っ切って。
 地面のハコベも元気よくのび、オオイヌノフグリの可憐な青い花と、ナズナの小さな小さな白い花が、見ているこちらなど素知らぬ顔で咲いている、そんな光景。
 川を泳ぐコガモは、そろそろ渡っていなくなるでしょう。
 ツバメたちはもう、渡ってきているのでしょうか。

前夜2008年12月24日

 今日は結婚記念日イブでございますので、軽鴨の君と二人でのんきに出かけて夕飯を食べて参りました。
 このところ、毎年この日は幡ヶ谷の「チャイナハウス 龍口酒家」でごはんをいただいております。
 今日は上海蟹の味噌炒めがおいしかったな。味噌といっても、大豆の味噌ではなく、上海蟹の蟹味噌炒めなのです。濃厚な蟹味噌とふわふわの卵とたれが絡まり合って、こくがあるのに後味さっぱりのおいしい炒め物になるのです。おいしかった〜。

 私と軽鴨の君の生活については、もう256%軽鴨の君の忍耐と愛情と辛抱によって成り立っているものであり、私が寄与するものはなにひとつありません。
 毎日ありがとう。願わくば、私が何か少しでも、あなたの幸せにとって意味あるものであればよいのですが。

詐欺2008年10月03日

 ちょっとした外出のついでに、銀行でお金をおろしてこようと思って、ATMの列に並んでいたのですが、ずらり並んだATMの一角で、何やら言い争いようなものが。
 50代くらいの婦人と、銀行員と、そして警察と書かれた腕章みたいなものをつけたひと……?
 銀行員がしきりに「皆さんそう言って私を怒るんです」と言っているのが聞こえてきます。
 何というシュールな光景。怒られた銀行員が逆ギレか、という光景に見えなくもないのですが、婦人がいらいらした声で「でもね、しょっちゅう聞いてるんですから、私が息子の声を間違えるはずはないんです」と答える声がして、疑問が氷解。
 どうやら振り込め詐欺の可能性がある振込のようです。
 銀行員は繰り返し「はい、皆さん私にそうやって怒られるんですが、毎週そういう方がいらっしゃるんです」と言い続け、もう一人の警察だか警備員だかが「とにかく、万一ということがあったらいけませんから、もう一度だけ確認をしてみてください」とリピートしていました。

 金曜3時前くらいでしたから、こりゃ振り込め詐欺を心配されても仕方ありません。
(金曜3時直前は、振り込め詐欺が多いらしいです。「今すぐ振り込まないと間に合わない」と被害者を焦らせ、冷静な判断力を失わせるためらしいですが)
 婦人の方は絶対に自信があるのか、頑として譲らぬ風で、三人は押し問答を繰り返した末に「とりあえず一度こちらへ」という感じでATMを離れて隅の方で話し合いを続行していました。

 しかし、毎週こういう光景が、どこかで本当は展開されているのですね。
 あの婦人がだまされていないことを祈ります。

白桜2008年03月28日

 本を買いにお昼頃とことこと駅前まで外出したのですが、桜並木が見事に開花して、もこもこと白い泡のように空を覆っていました。
 昨日軽鴨の君が言っていたのですが、何故か今年の桜は、例年に比べて白いような気がします。桜のあの薄紅は、そういえばどういう理由で発せられるのでしょうね。もっと真っ白な桜も種類によってはありますし、土などによっても変わってくるのでしょうか。
 まだ散ることのない、満開になったばかりの桜は、なぜか小動物的な愛らしさがあって、美しいというよりも微笑ましい気持ちになりました。
 夕方から花冷えとでも言うのか、ぐんと気温が下がって、夜桜見物にはちょっと寒くなりましたね。お花見の皆様、風邪などお召しになりませんよう。

十三夜2007年10月23日

 長月十三日。豆名月とも栗名月とも呼ばれる夜です。
 仲秋の名月である葉月十五日の月と、長月十三日の月の両方が名月であり、片方だけを見るのは「片見月」としてあまりよろしくないこととされたそうで。
 今年の十五夜は、他の人と予定を合わせられなくて一人で見たので、十三夜も一人で見るのがふさわしかろうと、外をてくてくと歩きました。
 住宅街なのにキャベツやブロッコリーの畑がぽつんと現れる、不思議なところに私は住んでいます。
 キャベツ畑の遥か高くに掛かる月は、誰かがひとくちかじったメロンのような色と形で、さえざえと冷たく空にありました。東京でも夜空は藍色ですが、星はほとんど見えず、月はお供もなく輝いているように見えます。
 今日は気の進まないインタビューの仕事があると言っていた社長さん、大丈夫だった? バイトが4人やめて大変になった猫さんも、何とか切り抜けてください。あまり有能ではない仕事仲間にあきれている君、まあ無理をしないでやり過ごしてね。心の洗濯が終わったばかりなのにたちまち多忙に埋もれたがんばり屋さん、がんばるのもほどほどに。まだ当分恋人が見つからないと嘆いていたドジっ娘さん、いつかきっと素敵な王子様が現れるよ。最近ちょっとプチうつ気味だったという風の長、ごはんでも食べに行きませんか? 今日は憂鬱な役目を果たさなくてはならなかった子龍さん、いつもあなたの幸せを祈っていますよ。
 空を見上げると見上げる月だけは、等しく誰もが共有するもので、私はその月に祈りを預けます。君が見上げたとき、少しでもその祈りが君を幸せにするようにと。

夜長2007年10月21日

 ストールを首にかけて外に出ると、乾いた風がからからと転がっていく。空にかかる上弦の月はおぼろに青い。
 息をする度に、冷たく透き通った匂いがする。住宅街の通りには、それに混じって、夕飯の魚を焼く焦げた匂いやテレビから流れる笑い声が流れ、消える。
 誇り高き老婦人の肌のような、かさついた、しかし威厳に満ちた空気。
 秋の夜を歩くというのは、何となく、誰かに何かを厳しく問われているような気分になるもので、ひとりでてくてくと歩を進めながら、視線を落としてため息をついていた。

仲秋名月2007年09月25日

 旧暦葉月十五日、仲秋の名月です。
 今年は何だかぼやぼやしてしまって、色々なイベントのお誘いはあったのですが、スケジュールの調整がうまくできず、特にどこにも行かないお月見と相成りました。
 せっかくだから月見団子くらいは作りましょうかと、上新粉と白玉粉を練ったのですが、水分がやや多すぎたようでとてもぺたぺたと手にくっつく生地になってしまいました。まんまるに形作ることができないので、スプーンですくってぽとんと熱湯に落として茹でます。月のクレーターのようなでこぼこしたものになりましたが、まあいいか。軽鴨の君が帰って来たら、黒胡麻と蜂蜜を合わせた餡をかけて食べようかと思います。
 昨日までの曇り空が続くと月が見えないなぁと心配していたものの、今夜の空は澄んでいて、ちょっとスペアミントを思わせるような青い透明感を帯びています。
 名月が拝めそうです。それでは私はこれから、外を散歩しつつ、月を愛でてこようと思います。
 これを読むあなたにも、幸せが、月の光のように降り注ぎますように。