切干柿2012年12月18日

 私の実家は色々な理由で人がいっぱい出入りするところで、そして母はその時代の主婦らしく食べ物を買い込むのが習慣で、結果として家には大量の食べ物が常にある、というのが日常でした。たぶん今もそうだと思います。
 血というのは争えないもので、私もあまり気をつけていない状態だと食べ物をたくさん買ってしまいます。何も買い物をしないという縛りを一ヶ月くらいやった方がいいんじゃないだろうか。

 そんなこんなで、柿をたくさん購入してしまい、みるみる熟れてきたので、あわてて切干柿を仕込みました。切干柿は、文字通り、柿をスライスして天日干しするものです。要は干し柿なのですが、丸ごとではないので気楽に短時間(一週間くらい)で作れます。
 生の柿はおいしいですが、たくさん食べると体が冷える感じがします。実際漢方でも寒に分類される食べ物ですし。でも干し柿にすると、少しそれが和らくような気がするのです。まあそれは気のせいなのかも知れませんけど。
 小さい頃は干し柿やドライフルーツはあまり好きではなかったのですけど、私も年を取ったということでしょうかね。

柿のケーキは失敗2012年12月19日

 抑鬱的な状態になっているのですが、まだヴァナ・ディールに入る程度の気力が残っているので、日常生活でやらなければならないことをひとつふたつ処理したら、1時間旅に出ていい、みたいな感じで、だましだましやっています。
 本格的に気が滅入ると、本だろうがゲームだろうがチョコレートだろうが引き戻せないような底にどーんと落ちて、何をご褒美にしようと全く何もすることができない状態になってしまうので、そうなる前に、作業療法ではないですが、何かやる状態を保っておくのは大切です。
 でも最近は本当に、ご褒美にしていたような色々なモノやコトにさえ気持ちが動かないことが多くて、夏にあれほど楽しく遊んでいたはずのドラクエXもさっぱりログインできておらず、文章を書くのも非常に内向きの内容ばかりで、困ったものです。

 ……と、何だか暗い話になってしまいました。読んでいる人を暗くしてもしょうがないですね(笑)。
 今日は熟れた柿でベイクド寒天ケーキを作ってみたのですが、柿の量が少なかったか今ひとつ柿らしさが出ず、あまり満足いく出来ではなかったです。柿をもっとたくさん入れるか、干し柿を刻んで入れるか。うーん、お菓子作りは難しいですね。
 こういう、いまいちな出来の自作のものを食べていると、プロが考えるレシピというのはすごいものだなぁと子供のように思います。

調整日2012年12月25日

 クリスマスイブが休日で、クリスマスが平日だと、何だか変な感じですね。
 わが家はクリスチャンではないのですが、12月25日に私的な祝い事が入っていて、クリスマスの振りをしてこっそりと毎年お祝いする訳ですが、昨日の夜にそのお祝い用の食事をしてしまったので、今日はごく普通の平常運転です。洗濯したり、細かい家事を終わらせたり、夜ごはんは和食。昨日までがちょっと食べ過ぎだったので、むしろ控えめ優しい献立。
 あとは少し早めに、お正月飾りを出しました。らでぃっしゅぼーやの契約稲作農家さんの藁で作る、片流しの結び飾りです。お正月の後に燃やしても安心の素材というのがうれしい。

 そんな訳でのんびりな一日でしたが、今年の残りの平日は色々と予定が入っていて、後は年末に向けて走っていく感じになりそうです。

疑似会話2012年12月30日

 私にとって人との会話というのは、思考のメンテナンスというか、調律のようなものです。
 他人の話を聴くにせよ、あるいは他人に話をするにせよ、それをすることによって自分の偏りに気づいて調整したり、逆に偏っていると思っていたものが割とバランスされていることに気づいたり、要するにそういった相互作用が私にとっては重要です。
 私が「会話」というものに載せているものは、他の人よりもずっと重くて、囲碁や将棋を指している感覚に近いかも知れません。囲碁や将棋と言っても、相手を言い負かすとかそういう意味での勝敗を競うものではなくて、勝敗はあるのですが違うレイヤーのもの、お互いにそこに何か貴重なものを作り上げることに成功したか否か、そこから何かを持ち帰ることができるかを目指すものです。
 でもたぶん、普通は会話というのは、もっと軽くて、単純で、あまり意味のあることは載せないものだと思います。

 私がTwitterやSNSでうまくコミュニケーションできないのは、そこにあるのが疑似会話だけれど私にとっての会話ではなく、代替物でさえないのに、どうしても会話をしたいと思う気持ちを捨てられないからでしょう。
 ブログに何かを書く時は、ボトルに手紙を入れて流すような気分になりますが、Twitterに何かを書く時は、繋がっているけれど無音しか返ってこない番号に電話をかけている感覚を覚えます。
 それは無音の音叉を基準にピアノを調律するような作業で、それならいっそ、調律など始めからしない方がましなのではと思います。

 様々な疑似会話ツールが増えていくほど、私にとっての「会話」をする機会は少なくなっていって、今ではもう宝石のような貴重品になりつつあります。その貴重な機会も、実に些細な理由で壊れていくのが普通で、もはや手の届かないものなのではと感じることもしょっちゅうです。

大晦2012年12月31日

 今年も最後の日となりました。皆様色々とお世話になりました。よいお年をお迎えください。

 今年はついに黒豆を煮ることすら放棄しました。おせちは二箇所ほど取り寄せ、それを何と30日の夜からむっしゃむっしゃ食べるという、節句料理の意味を説教されても文句は言えない状態で過ごしております。ひょっとしてついに紅白歌合戦すら観ないで終わるのではなかろうか……あ、「ゆく年来る年」は観るつもりです。
 その代わり、では全然ないのですが、お友達のお宅で採れた柚子をたくさんいただいたので、柚子のマーマレードをせっせと煮ていました。軽鴨の君が、実はプリザーブの中でマーマレードが一番好きだということを初めて知りました……。結婚してから何回目かの、意外な好物の発見。
 プリザーブを煮るのって独特の楽しさがありますね。時間の流れを変えるというか。


 今年の頭に書いた抱負は、ライフログを取ってみるというのと、ブログをもうちょっとまともに更新する、でしたか。
 ライフログの方は結構色々やりまして、見直すという点で難ありな部分もあるのですが、記録が貯まったのでよしといたします。
 ブログの更新は……うーん、あんまり頻繁とはいきませんでしたねぇ。もう少しがんばりましょう、という丸形のハンコが押されそうです。
 でもまあ、ゲームもたくさんしましたし、本もそこそこ読みましたし、何より生き延びてこうしてぽやぽや過ごしていられるので、有り難い年だったと言えるでしょう。
 という訳で、お疲れさまでした、2012年さん。私はふくふくと羽毛をふくらませる小鳥のような心象風景のまま、年を越します。