蒸気機関車2012年01月16日

 軽鴨の君は鉄道が好きなので、鉄道が出てくるテレビ番組をよく観ます。おつきあいで私も見ることがあります。BSやケーブルテレビのような放送だと、古い鉄道記録フィルムなどが放映されることがあって、なかなか味わい深いものです。
 鉄道が物流・人員輸送の中心とは必ずしも言えなくなった時代である今は、どうしても鉄道愛好趣味は懐古的になりがちです。新しいリニアモーターカー!とか新型新幹線!よりは、古い国鉄時代の客車が!とか、蒸気機関車が何と今でも現役で!みたいな話題の方が好まれているような気がします。まぁ部外者の勝手なイメージですけれど、もちろん。

 蒸気機関車というのは、本当に懐古趣味的に愛されていて、今でも鉄道愛好趣味者以外に対しても立派な観光資源として通用します。煙を吐き出しながら山を上っていく健気な姿に、しみじみと愛を注いでやまない人も少なくありません。

 けれど私は、何故か蒸気機関車というものに通りいっぺん以上の気持ちを全然持てない人間で、いやまぁそんなことを言いつつも秩父のパレオエクスプレスとか乗ってるんだからどの口が言うかという感じではあるのですけれど、ただそれこそ鉄道番組とかで「いいですねぇ蒸気機関車!」みたいに盛り上がると、とても醒めてしまったりします。

 蒸気機関車は、たまに観光で乗る分には楽しいで済みますが、莫大な石炭を消費して二酸化炭素を大量に排出するのは言うまでもなく、有害な煙はひどいし、騒音はたまったものじゃありません。
 1本2本ではなく、毎日あれが何本も家の近くを通過していくような場所は、とても人間が快適に暮らせないでしょう。かつての大金持ちが、蒸気機関車の線路を自分の敷地からなるべく遠くにしろと主張した話が、非難がましくよく引き合いに出されますが、考えてみれば当たり前です。私が敷地の持ち主でもそう言います。
 しかもうっかりトンネルで事故が起こって停止しようものなら、何もかもが煤で真っ黒になるで済めばまだしも、機関士や乗客が窒息で死ぬことすら頻繁に起こります。カマに石炭をくべる作業は労働条件としても最悪です。つまり蒸気機関車とは、言っては何ですが悲惨極まる代物でした。
 私は蒸気機関車がなくなっていったのは当然のことだと思います。あれが、長く続いていけるとは到底思えません。長く続けていくには、蒸気機関車というシステムは欠点も損失も大きすぎます。
 ただ、ある時期、何を犠牲にしても得たい物流なり速度なりが人間の歴史の中で存在して、それを叶えるために、いわば技術の神様が期間限定で与えた過渡期のシステムとして、それはなくてはならなかったのだろうとも思います。
 蒸気機関車は、今はノスタルジーと幻想としての過去の世界を生きることが、ほんの一握りの車両にだけ許されている、そういう存在です。そしてそれで、十分なのだろうと思います。ある存在が歴史の中で役目を全うするとは、そういうことなのでしょう。

 そんなことを思う時、ふと、原子力発電というものもそういう、技術の神様が期間限定で与えたシステムなのかも知れないと考えることがあります。そして原子力発電の限定された期間は、そろそろ終わりに近づいているのかも知れない、と。
 原子力発電も、やはり長く続けていくシステムとしては、あまりにも欠点が大きすぎます。けれど、人間が歴史の中で生きていく中で、どうしても必要な時代があり、それを憐れんだ技術の神様が天女を遣わすように、このシステムを期間限定で贈ったのではなかろうか。
 天女が羽衣を見つけていつか天に帰っていくように、あるいは蒸気機関車を鉄道が捨てていったように、原子力発電というものに別れを告げなくてはならない時期が、ひそやかに近づいているのでしょうか。

 もしかしたら、あと何十年、何百年か先の未来には、最後の原子力発電プラントが、今の蒸気機関車のように、懐古趣味的に愛でられ、健気に働いている姿を遠くからファンが見に行くという光景が存在するのかも知れません。
 まぁその前に、人間がいなくなっている可能性だって、ゼロではないのですけれど。