帰国 ― 2010年08月02日
突然の香港旅行が入り、しばらく日本を離れていました。
昨日無事に帰国し、溜まっていたあれやこれやの用事を片づけて、としていたら、寝るのが夜中の3時とかになってしまい、今日は長々と寝てしまうなど。時差が1時間しかない地域に行っていたというのに、何だか時差ボケを起こしたように見えてしまいます。
香港はとても暑くて、湿度が高くて、東京よりも暑さに「重量感」があるようなイメージでした。
湿度が高いとか、交通量が多くて大気汚染がまだ解決しきれてないとか、緑がどうしても少ないとか、エアコンの使用量が半端ではないとか(香港の人はエアコンを空気清浄酸素発生器と間違えていて、エアコンを止めると死ぬと錯覚しているという話を聞いたことがあるのですが、あれは本当なんだろうか)色々な要因が重なって、東京よりも厳しい暑さなのでしょうねぇ。
でも食べ物はどれもおいしく、そして安くて、おいしい食べ物が好きな人にはまさにパラダイスだと思います。東京の牛丼並のお金で飲茶のフルコースが堪能でき、東京のそこそこのレストランのコースのお金があれば超高級フルコースがたっぷりと。すごいものです。
ただ今回の旅行は、香港通の人の旅のおまけに半ばくっついていくような感じで、自分の中の気合いが足りず、英語も広東語もあまり勉強せずに行ってしまいました。そのせいか、どうも微妙に脳が日本語から離れ切れず、現地でのコミュニケーションはだいぶんおかしなことになっていた気がするのが心配です。
香港は基本的にアグレッシブ、よくも悪くも自分の利益に忠実な価値観が支配的なところなので、そこに押しつぶされないようにガンガンと内圧を高めていく気力を持つか、ありあまるお金を持つか、どちらかがあると幸せになりやすい気がしました。
街を歩いたり、公共の交通機関を使ったりする時も、東京とは全く違った雰囲気があります。日本の社会全体に密かにみっちりと充満しているあの「世間の目」とでも言うべき、思いやり強制感みたいなものがないのです。なので電車の中でも携帯はバンバン鳴ってみんな大声で話し、いちいちリュックを背中から外してスペースを空けたりはしません。
じゃあギスギスして不愉快な空気かというとそういう訳でもなくて、結構開放的な雰囲気があります。みんなそんなに他人のことを気にしないという感じでしょうか。
逆に日本に帰ってきてから、あの「世間の目」というのが張りつめた空間が、それはそれで重さがあってある種の鬱陶しさがあるものなのだなぁと改めて気がついたりもしました。別にどちらかを否定をするという訳ではなくて、それぞれにはそれぞれの良さと問題があるという単純な話です。
そういうことは、魚にとっての水の色のようなものなので、離れてみて初めて気付くなぁと実感しました。
香港旅行内の話は、改めてそれぞれの日付でまた追記したいと思います。
昨日無事に帰国し、溜まっていたあれやこれやの用事を片づけて、としていたら、寝るのが夜中の3時とかになってしまい、今日は長々と寝てしまうなど。時差が1時間しかない地域に行っていたというのに、何だか時差ボケを起こしたように見えてしまいます。
香港はとても暑くて、湿度が高くて、東京よりも暑さに「重量感」があるようなイメージでした。
湿度が高いとか、交通量が多くて大気汚染がまだ解決しきれてないとか、緑がどうしても少ないとか、エアコンの使用量が半端ではないとか(香港の人はエアコンを空気清浄酸素発生器と間違えていて、エアコンを止めると死ぬと錯覚しているという話を聞いたことがあるのですが、あれは本当なんだろうか)色々な要因が重なって、東京よりも厳しい暑さなのでしょうねぇ。
でも食べ物はどれもおいしく、そして安くて、おいしい食べ物が好きな人にはまさにパラダイスだと思います。東京の牛丼並のお金で飲茶のフルコースが堪能でき、東京のそこそこのレストランのコースのお金があれば超高級フルコースがたっぷりと。すごいものです。
ただ今回の旅行は、香港通の人の旅のおまけに半ばくっついていくような感じで、自分の中の気合いが足りず、英語も広東語もあまり勉強せずに行ってしまいました。そのせいか、どうも微妙に脳が日本語から離れ切れず、現地でのコミュニケーションはだいぶんおかしなことになっていた気がするのが心配です。
香港は基本的にアグレッシブ、よくも悪くも自分の利益に忠実な価値観が支配的なところなので、そこに押しつぶされないようにガンガンと内圧を高めていく気力を持つか、ありあまるお金を持つか、どちらかがあると幸せになりやすい気がしました。
街を歩いたり、公共の交通機関を使ったりする時も、東京とは全く違った雰囲気があります。日本の社会全体に密かにみっちりと充満しているあの「世間の目」とでも言うべき、思いやり強制感みたいなものがないのです。なので電車の中でも携帯はバンバン鳴ってみんな大声で話し、いちいちリュックを背中から外してスペースを空けたりはしません。
じゃあギスギスして不愉快な空気かというとそういう訳でもなくて、結構開放的な雰囲気があります。みんなそんなに他人のことを気にしないという感じでしょうか。
逆に日本に帰ってきてから、あの「世間の目」というのが張りつめた空間が、それはそれで重さがあってある種の鬱陶しさがあるものなのだなぁと改めて気がついたりもしました。別にどちらかを否定をするという訳ではなくて、それぞれにはそれぞれの良さと問題があるという単純な話です。
そういうことは、魚にとっての水の色のようなものなので、離れてみて初めて気付くなぁと実感しました。
香港旅行内の話は、改めてそれぞれの日付でまた追記したいと思います。
小食 ― 2010年08月03日
旅行疲れが一気に出ている感じです。
旅行の間に先延ばしにしていた色々なことが、どっと押し寄せてきたようで、あれこれ処理はしているものの追いついていません。
おかげで軽鴨の君には、なかなか迷惑が多く、申し訳ないところです。
今日はその面倒事の処理で一気に食欲が失せたのか、食事を作っても食べられない感じで、我ながら困っています。
旅行の間に先延ばしにしていた色々なことが、どっと押し寄せてきたようで、あれこれ処理はしているものの追いついていません。
おかげで軽鴨の君には、なかなか迷惑が多く、申し訳ないところです。
今日はその面倒事の処理で一気に食欲が失せたのか、食事を作っても食べられない感じで、我ながら困っています。
食欲不振 ― 2010年08月04日
色々な理由で、食欲不振気味です。暑さだけは理由ではないんですが。普通の人が暑気あたりで倒れる時期に、全然違う理由でダウンする私。とほほ。今日は夕方に友人と食事をしたりして、だいぶましでした。
そこそこ脂肪があるくせに、スタミナが全然ないというか、ダウンした時の備蓄エネルギーが上手に運用できていない人間なので、食べられなくなると悪循環になってしまいます。なので、なるべくがんばってエネルギーを補給している次第です。
そこそこ脂肪があるくせに、スタミナが全然ないというか、ダウンした時の備蓄エネルギーが上手に運用できていない人間なので、食べられなくなると悪循環になってしまいます。なので、なるべくがんばってエネルギーを補給している次第です。
調整役 ― 2010年08月05日
世の中の全ての人に理解されることなど不可能だし、ノーミスの完全な間違いをしない人間などありえない。
そうわかっていても、さすがにしんどくなることはあるものです。
mixiで管理しているコミュニティで、久しぶりに大きなトラブルが起こって、ここ数日は本当にしんどい状態でした。
全てを投げ出してもう勝手にするがいいと叫ぶことができたらどんなに楽だろうと思いつつ、それでも何とか踏みとどまったのですが、抑鬱的な状態はかなり後を引いて、すっかり食欲が失せてしまいました。
特定の人の集まりにおいては、一番精神的健康が守られるのがさしたる意見を出さない傍観者で、積極的な参加者は自分の発言が通れば機嫌がよくなり通らなければ悪くなるという当たり前の結果になり、一番精神衛生を損ないやすいのは調整役という観察結果があるらしいのですが、恐らくこれは特定の人に限らない、人間の普遍的な現象ではないかと思います。
そんな訳で、今日はほとんどリンゴジュース2本で生きのびていた感じです。
それでも身近な人の優しさや励ましに助けていただいて、だいぶん楽になりましたけれど。
そうわかっていても、さすがにしんどくなることはあるものです。
mixiで管理しているコミュニティで、久しぶりに大きなトラブルが起こって、ここ数日は本当にしんどい状態でした。
全てを投げ出してもう勝手にするがいいと叫ぶことができたらどんなに楽だろうと思いつつ、それでも何とか踏みとどまったのですが、抑鬱的な状態はかなり後を引いて、すっかり食欲が失せてしまいました。
特定の人の集まりにおいては、一番精神的健康が守られるのがさしたる意見を出さない傍観者で、積極的な参加者は自分の発言が通れば機嫌がよくなり通らなければ悪くなるという当たり前の結果になり、一番精神衛生を損ないやすいのは調整役という観察結果があるらしいのですが、恐らくこれは特定の人に限らない、人間の普遍的な現象ではないかと思います。
そんな訳で、今日はほとんどリンゴジュース2本で生きのびていた感じです。
それでも身近な人の優しさや励ましに助けていただいて、だいぶん楽になりましたけれど。
結末想定 ― 2010年08月06日
ここ数日私の頭を悩ませ気力を削り胃を痛くさせていた問題が、ようやく快方に向かい、やっと通常程度に眠ったりできるようになってきました。
食欲はまだ完全には戻ってないのですが、まぁそのうち戻るでしょう。むしろ、反動でかえって太らないかとそちらの方が心配です。
今回のトラブルでは、色々と考えることがあり、ほろ苦さも味わいました。それが少しでも、私自身の人格を向上させてくれればいいのですが。
思うことは多くあれど、その中で比較的言葉にまとめられる教訓というか、学んだことは、
「話し合いの目的と結末をきちんと設定しておくことは大切」
という、わかっている方には馬鹿馬鹿しいくらい当然のことです。
馬鹿馬鹿しいくらい当然のことなのですが、案外それを疎かにしてしまう場面というのは、あるものなのだな、と。
話し合いましょう、という表現は、耳に快い正論というか、否定されにくい申し出ではあるのですが、その話し合いで何を実現したいのか、何が叶ったら(あるいは叶わないことが決定的となったら)幕を引くのか、どう幕を引くのかということをイメージしないと、その「話し合い」というのはむしろ有害にすらなるのです。
またそのイメージしている目的を、「とにかく私が納得できること」とか「相手が自分の主張に完全に賛成してくれること」とか、そういう極端なものに設定してしまうと、知らず知らずのうちのそのエゴイスティックな姿勢は滲み出てしまうものなのでしょう。
話し合いというのは、100回すれば、100回とも双方がやや不満な状態で終わるというものだ、くらいの覚悟は、あってしかるべきのような気がします。
もしもどちらかが、あるいは両方が、心から納得できるような結末があったとしたら、それは当然の結果どころか、むしろ奇跡のような、再現をそうそう期待できない僥倖なのだと思った方がよさそうです。
もしも話し合いの目的を「自分が納得できること」に置いてしまうと、どこかで、自他の間にある決して越えられない壁や溝に突き当たり、立ち往生するならよい方で、破滅のクライマックスに落下する結果を招きます。
そうではなくて、もっと現実的で実現可能性の高い、具体的なところに結末をイメージする方が、結局は満足いく結果になるのでしょう。
自分はちっとも納得できなくても、これが叶ったらよしとする、あるいは叶わないとわかったら早めに手を引いて舞台から去る、というような小さな目的を、ほどほどの強さで追求していくことが、反作用も少なく着実な歩みに繋がっていくのだと思います。
舞台に上がる以上は、自分の去り方をイメージしておくことは重要ですね。そのイメージ通りには、大抵はいかない訳ですけれど。
「人は他者と意志の伝達がはかれる限りにおいてしか自分自身とも通じあうことができない」
というのは詩人ポール・ヴァレリーの言葉だそうですが、確かに他人と折り合えない時には、まず自分自身と折り合えなくなっているのでしょう。
話し合いの結末を、自分の一番の希望よりもかなり低いところに、ぼんやりとでも意識的にイメージしておくことは、逆にゆとりを生んで、他人とも上手に折り合っていける状態を生みますね。
それは相手が絶対に許しがたい、絶対悪のようにさえ見える状態であっても、忘れてはならないことなのだと思います。
食欲はまだ完全には戻ってないのですが、まぁそのうち戻るでしょう。むしろ、反動でかえって太らないかとそちらの方が心配です。
今回のトラブルでは、色々と考えることがあり、ほろ苦さも味わいました。それが少しでも、私自身の人格を向上させてくれればいいのですが。
思うことは多くあれど、その中で比較的言葉にまとめられる教訓というか、学んだことは、
「話し合いの目的と結末をきちんと設定しておくことは大切」
という、わかっている方には馬鹿馬鹿しいくらい当然のことです。
馬鹿馬鹿しいくらい当然のことなのですが、案外それを疎かにしてしまう場面というのは、あるものなのだな、と。
話し合いましょう、という表現は、耳に快い正論というか、否定されにくい申し出ではあるのですが、その話し合いで何を実現したいのか、何が叶ったら(あるいは叶わないことが決定的となったら)幕を引くのか、どう幕を引くのかということをイメージしないと、その「話し合い」というのはむしろ有害にすらなるのです。
またそのイメージしている目的を、「とにかく私が納得できること」とか「相手が自分の主張に完全に賛成してくれること」とか、そういう極端なものに設定してしまうと、知らず知らずのうちのそのエゴイスティックな姿勢は滲み出てしまうものなのでしょう。
話し合いというのは、100回すれば、100回とも双方がやや不満な状態で終わるというものだ、くらいの覚悟は、あってしかるべきのような気がします。
もしもどちらかが、あるいは両方が、心から納得できるような結末があったとしたら、それは当然の結果どころか、むしろ奇跡のような、再現をそうそう期待できない僥倖なのだと思った方がよさそうです。
もしも話し合いの目的を「自分が納得できること」に置いてしまうと、どこかで、自他の間にある決して越えられない壁や溝に突き当たり、立ち往生するならよい方で、破滅のクライマックスに落下する結果を招きます。
そうではなくて、もっと現実的で実現可能性の高い、具体的なところに結末をイメージする方が、結局は満足いく結果になるのでしょう。
自分はちっとも納得できなくても、これが叶ったらよしとする、あるいは叶わないとわかったら早めに手を引いて舞台から去る、というような小さな目的を、ほどほどの強さで追求していくことが、反作用も少なく着実な歩みに繋がっていくのだと思います。
舞台に上がる以上は、自分の去り方をイメージしておくことは重要ですね。そのイメージ通りには、大抵はいかない訳ですけれど。
「人は他者と意志の伝達がはかれる限りにおいてしか自分自身とも通じあうことができない」
というのは詩人ポール・ヴァレリーの言葉だそうですが、確かに他人と折り合えない時には、まず自分自身と折り合えなくなっているのでしょう。
話し合いの結末を、自分の一番の希望よりもかなり低いところに、ぼんやりとでも意識的にイメージしておくことは、逆にゆとりを生んで、他人とも上手に折り合っていける状態を生みますね。
それは相手が絶対に許しがたい、絶対悪のようにさえ見える状態であっても、忘れてはならないことなのだと思います。
蝿取器 ― 2010年08月07日
まだ心身の疲労が抜けるまでには時間がかかると自覚しているので、ゆっくりしたモードで過ごしています。私の場合、過去の経験上、こういう時に焦るとよくありません。
先日、とあるネットショップで、ハエ取り器を購入してみました。
ガラスでできている瓶のようなもので、中にビールなどの液体を入れておき、コバエがつられて入っていくと出られなくなって溺れるというもので、薬剤を使わないし外見が綺麗でこれはいいと喜び勇んで注文しまして。
さっそく使ってみたのですが、困ったことにさっぱりコバエが寄りつかないのです。
正確には、多少近くに寄ってくるのですが、中には入りません。コバエが溺れ死んでいる形跡は皆無。ただの綺麗なオブジェになってしまっています。
匂いが広がりにくいのか、コバエが警戒しているのか、入りにくいのか、未だ原因はわからないのですが、とにかく全然コバエが取れないので、途方に暮れております。
中の液体を、リンゴジュースみたいなもっと甘いものにするのがいいのかしら……とか、色々考えているのですが。何とかならないものでしょうかね。うーんうーん。
先日、とあるネットショップで、ハエ取り器を購入してみました。
ガラスでできている瓶のようなもので、中にビールなどの液体を入れておき、コバエがつられて入っていくと出られなくなって溺れるというもので、薬剤を使わないし外見が綺麗でこれはいいと喜び勇んで注文しまして。
さっそく使ってみたのですが、困ったことにさっぱりコバエが寄りつかないのです。
正確には、多少近くに寄ってくるのですが、中には入りません。コバエが溺れ死んでいる形跡は皆無。ただの綺麗なオブジェになってしまっています。
匂いが広がりにくいのか、コバエが警戒しているのか、入りにくいのか、未だ原因はわからないのですが、とにかく全然コバエが取れないので、途方に暮れております。
中の液体を、リンゴジュースみたいなもっと甘いものにするのがいいのかしら……とか、色々考えているのですが。何とかならないものでしょうかね。うーんうーん。
休憩 ― 2010年08月08日
お昼に近所のおいしい中華料理屋さんでごはんを食べて、不足していた食材の買い足しをしたのに、生姜を買うのを忘れていました……。他にも何か、細かく買い忘れをしている気がします。とほほ。
出かけたのはそれくらいで、あとは家でのんびりと過ごしていました。貯まっていた録画番組を消化したり、本を読んだり、そういう生産性とは関係のないところに自分を置いておく時間です。気疲れが溜まると、抜けるまで時間がかかるのでしんどいところです。
そういえば、HDレコーダーの操作の合間に、リアルタイムのテレビ番組がちらりと見えて、「きょうだいの生まれ順で性格や相性がわかる」という話をどこかの宗教・心理学者がするバラエティをやってたのですが。
いかにもこの学者さんのオリジナルな発想という雰囲気の紹介だったのですが、これって15年くらい前に流行った話のリバイバルですよねぇ? 小学生くらいの時にそういう本を読んだので覚えているのですけど。
(小学生の時にそんな本読んでるオマエは何なんだという話は置いておいて)
ちらりと見た限りだと、内容もそんなに変わっていない感じで、確か昔に流行った時にはこの学者さんが言ってた訳ではなかったような気がするのですが……。
こうやって、色々な思考や流行って、浮かんだり沈んだりしてゆくのだなぁとどうでもいいことを考えた次第です。
出かけたのはそれくらいで、あとは家でのんびりと過ごしていました。貯まっていた録画番組を消化したり、本を読んだり、そういう生産性とは関係のないところに自分を置いておく時間です。気疲れが溜まると、抜けるまで時間がかかるのでしんどいところです。
そういえば、HDレコーダーの操作の合間に、リアルタイムのテレビ番組がちらりと見えて、「きょうだいの生まれ順で性格や相性がわかる」という話をどこかの宗教・心理学者がするバラエティをやってたのですが。
いかにもこの学者さんのオリジナルな発想という雰囲気の紹介だったのですが、これって15年くらい前に流行った話のリバイバルですよねぇ? 小学生くらいの時にそういう本を読んだので覚えているのですけど。
(小学生の時にそんな本読んでるオマエは何なんだという話は置いておいて)
ちらりと見た限りだと、内容もそんなに変わっていない感じで、確か昔に流行った時にはこの学者さんが言ってた訳ではなかったような気がするのですが……。
こうやって、色々な思考や流行って、浮かんだり沈んだりしてゆくのだなぁとどうでもいいことを考えた次第です。
大笑 ― 2010年08月09日
くもっていて、比較的涼しい日でした。
今日は昨日買い忘れていた生姜を買ってきて、ついでに本屋さんで「聖☆おにいさん」というコミックを買ってきて読んだり、そんな平和な一日でした。このコミックは、色々な人から面白いと薦められていて、私自身もきっと読めば絶対面白いだろうなぁと確信していたのですが、それゆえに「今度でいいか」という感じになっていたという、不可解な理由で読んでいなかったタイトルです。私はたまに、こういうおかしな理由で、本や映画などをスルーしています。
ただまぁ、年々「面白いと思えるコンテンツ」は少なくなっていきますし(それはコンテンツ側の問題ではなく、私の側の問題です)こうやって精神の休養を摂っておきたい時まで大事にとっておけるという意味では、それなりに意味があるのかなぁ……などと言い訳めいたことを考えています。
あ、「聖☆おにいさん」は、期待にたがわぬ面白さでした。久しぶりに笑ったなぁ。
今日は昨日買い忘れていた生姜を買ってきて、ついでに本屋さんで「聖☆おにいさん」というコミックを買ってきて読んだり、そんな平和な一日でした。このコミックは、色々な人から面白いと薦められていて、私自身もきっと読めば絶対面白いだろうなぁと確信していたのですが、それゆえに「今度でいいか」という感じになっていたという、不可解な理由で読んでいなかったタイトルです。私はたまに、こういうおかしな理由で、本や映画などをスルーしています。
ただまぁ、年々「面白いと思えるコンテンツ」は少なくなっていきますし(それはコンテンツ側の問題ではなく、私の側の問題です)こうやって精神の休養を摂っておきたい時まで大事にとっておけるという意味では、それなりに意味があるのかなぁ……などと言い訳めいたことを考えています。
あ、「聖☆おにいさん」は、期待にたがわぬ面白さでした。久しぶりに笑ったなぁ。
金糸瓜 ― 2010年08月10日
らでぃっしゅぼーやから金糸瓜が来たので、せっせと茹でていました。
金糸瓜は、そうめん瓜とも呼ばれる瓜で、見た目は楕円形の黄色い大きな瓜なのですが、茹でると果肉が麺のような線状にほぐれるという不思議な瓜です。味はさっぱりしたもので、しゃくしゃくした歯触りを味わう野菜というか。
という訳で、今日はさっぱりと、ブロッコリースプラウトと茗荷の千切りと一緒に和えて、黒酢で作った二倍酢をかけていただきました。
感じとしては、千切り大根で作ったサラダのようなイメージでしょうか。夏向きのお食事ですね。
金糸瓜は、そうめん瓜とも呼ばれる瓜で、見た目は楕円形の黄色い大きな瓜なのですが、茹でると果肉が麺のような線状にほぐれるという不思議な瓜です。味はさっぱりしたもので、しゃくしゃくした歯触りを味わう野菜というか。
という訳で、今日はさっぱりと、ブロッコリースプラウトと茗荷の千切りと一緒に和えて、黒酢で作った二倍酢をかけていただきました。
感じとしては、千切り大根で作ったサラダのようなイメージでしょうか。夏向きのお食事ですね。
蜂蜜マリナード ― 2010年08月11日
清涼飲料水を買い置きする習慣がないので、自宅で甘い冷たい飲み物を飲むことがあまりないのですが、夏ですからさすがにそういうものが飲みたくなることもあります。
先日までは、作り置きしていた梅シロップを氷水で割ったものを飲んでいたのですが、とうとうそれが底を尽きまして。で、蜂蜜のマリナードを色々と作りました。
マリナードというとずいぶんと異国風ですが、何のことはない、果物の蜂蜜漬けです。
今回は摘果みかんと、生姜のマリナード。摘果みかんは、文字通りみかんの、実を大きくするために間引きした小さな果実で、緑色の鮮やかな小さい実です。切って蜂蜜に漬けると、柑橘のさわやかな香りがただよいます。
生姜の方は、シナモンスティックとカルダモンを少し加えて、薄切りにしてマリネしました。炭酸水で割るとジンジャーエールのような感じでおいしいのです。普通ジンジャーエールは砂糖で煮詰めてエキスを作りますが、私は蜂蜜漬けにする方が、香りが飛ばない気がして好きです。
そう言えば、ナッツを蜂蜜漬けにすると、コクと甘みを兼ね備えた大層贅沢な食べ物になるのだとか。今度はそれを作ってみようかなどと思っております。
先日までは、作り置きしていた梅シロップを氷水で割ったものを飲んでいたのですが、とうとうそれが底を尽きまして。で、蜂蜜のマリナードを色々と作りました。
マリナードというとずいぶんと異国風ですが、何のことはない、果物の蜂蜜漬けです。
今回は摘果みかんと、生姜のマリナード。摘果みかんは、文字通りみかんの、実を大きくするために間引きした小さな果実で、緑色の鮮やかな小さい実です。切って蜂蜜に漬けると、柑橘のさわやかな香りがただよいます。
生姜の方は、シナモンスティックとカルダモンを少し加えて、薄切りにしてマリネしました。炭酸水で割るとジンジャーエールのような感じでおいしいのです。普通ジンジャーエールは砂糖で煮詰めてエキスを作りますが、私は蜂蜜漬けにする方が、香りが飛ばない気がして好きです。
そう言えば、ナッツを蜂蜜漬けにすると、コクと甘みを兼ね備えた大層贅沢な食べ物になるのだとか。今度はそれを作ってみようかなどと思っております。
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