治療的弛緩2008年11月24日

 昨夜から今朝にかけて、眠れなくなり、中井久夫氏の新刊「日時計の影」を読んでおりました。

 ネットの文字の渦に疲れた時、私はよく中井氏の文章を読みます。それは清冽で温かいというだけでなく、自分が巻き込まれている、あるいは自分から迂闊に飛び込んでしまった問題が、いかに卑小かということに気づかせてくれます。それは諦観や悟りのようなものではなく、こわばって狭窄化した視野を、ふっとほどいてくれるというのが近いでしょうか。
 精神のバランスを取り戻すという、非常に精神衛生に重要な行為の呼び水になれる文章は、多くはありません。人の心をかき乱すことは比較的簡単にできますが、バランスを取り戻すきっかけを作り出すことは容易ではありません。
 その力は、私などが言うまでもなく、中井氏が治療に取り組んできた数多くの、私など比較にもならないほど辛い状態に陥ってしまった患者たちと真摯に向き合ってきた経験と、まさに教養と呼ぶべき懐深い膨大な知識とが育んだ、稀有な「一回性」によって生まれているのは間違いないでしょう。
 治療者というのは、正面から衝突してねじ伏せるスタンスにならざるを得ないとしたら、それは最悪の事態であって、「視界のこわばりをほどく」ということこそが最もよい形だということを学べたのは、私の人生に与えられた偉大な贈り物と思います。
 そしてこの、「こわばりをほどく」という姿勢は、恐らく治療に限らず、人との関わりで最も重要なことなのでしょう。変化を起こしたい時、あるいは変化を防ぎたい時、どんな時であれ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログのタイトルを記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://satominn.asablo.jp/blog/2008/11/24/3973396/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。