四十肩2008年06月05日

 ちょっと身体を動かした時に、肩の筋を違えて、痛いなぁ……と思ったら、それからずっとずっとずっと痛い。
 首を曲げると痛い。
 肩を回すと痛い。
 腕を動かすと痛い。
 下を向くと痛い。

 ……だいぶ早い気がするんですが、これはひょっとして四十肩とかいうやつなんでしょうか。明日になったら夢のように治ってたりしないかなぁ。

2008年06月09日

 ずいぶん昔に、「新しいAIBOが出ました!」というニュースリリースがあって、そこでは「今度のAIBOは歌って踊ります!」てのが華やかに紹介されていた。
 AIBOは、自分の部品のスピーカーから再生されるなんかの歌に合わせて、くるくる回っていた。
 その時思ったのは、「これは『歌ってる』と言っていいのか?」ということだった。どう考えても歌ってるとは言わないだろうと思った。
 けれど、データがあり、そのデータをスピーカーとアンプという部品で音に変換しているという状態を、記憶に沿って声帯をふるわせて音を出すという状態とどこが違うのか、明確に言い表すことができない。

 ひとは歌う。鳥も歌う。風さえも歌うというひとはいる。
 スピーカーは歌わない。CDコンポは歌わない。ピアノが歌っているかどうかは微妙なところのように思える。
 初音ミクは歌っているのだろうか。

 AIBOは歌っていたのだろうか。歌っていなかったのなら、どうすれば歌うと言えるのだろうか。
 軽鴨の君は、その場でジェネレートすることが条件ではないかと言う。自動演奏ピアノは歌っているのだろうか。歌っていないとしたら、それは何故?

 ずいぶん前から、気分が行き詰まるとふと泡のように浮かんでは消える思考である。それが浮かぶ理由は、単純に、誰かを傷つけることのないパズルであるからに過ぎない。その理由に意味はない。
 浮かぶ理由などより、この謎そのもの、この問いこそが重要なものである。

 どうすればAIBOは歌うのだろう。
 何をもって、ある存在は、「うたう」のだろう。

休息2008年06月10日

 恐らく言葉というものの攻撃性に疲れるという瞬間が、私にはあって、今はその時なのだろう。
 自分のネガティブな感情や、他人への非難や批判をためらいなく、その言葉が他人にもたらす影響についてそれほど想像力をめぐらせることなく、発することができる人は楽であろうなと思う。もっとも発している本人は本人で、持っていきようのないストレスを持て余してのことであろうから、楽だとは思ってないのだろうけれど。
 結局のところ、人は自分の不幸も論理も感情も過大に評価し、他人の不幸も論理も感情も過小に評価する。たったそれだけのことだが、それを自覚することは何と難しいことだろう。私も含めて。それは論理的整合性などよりはるかに強く、己の実感というものが破壊的なまでに心に深く根を張っているからに他ならない。
 己の実感から逃れることは不可能であるし、また有益とも限らないが、そこに限界があることーーすなわち己の不幸も論理も感情も正義も倫理さえも、自分が思っているほど揺るぎないまったきものではないことを、時々思い返すのは重要なことだ。
 その上で、他人を多少なりとも不快にしようとも実感を押し通す生き方を選ぶか、実感に抗う苦痛に耐えながら折り合っていく生き方を選ぶかは、また別の話であるけれど。

 言葉を発するということは、刃物をふるうことに他ならない。そんな気持ちに窒息しそうになった時、私は丸くなって、よしよし大丈夫だよと頭を撫でてくれるひとのことを想って、生き延びる。

埋草2008年06月12日

 落ち込むとか、疲れるとか、気が滅入るとか、そんな時だってものを書くことは十分可能なはずなのだが、そういう時に頭が空っぽになってしまうのが困る。
 人を癒す言葉、明るい気持ちにする言葉、幸福にする言葉……は、そんな大それたものは、無理なのだとしても、せめて人を害することのない言葉、決して誰かを傷つけることのない言葉、を書きたい。
 それがたとえ、有用性という意味では全く落第であったとしても、だ。

 埋め草のような言葉を綴りたい。

天の彼方の植物の楽園2008年06月13日

・暗黒が37になりました。あとは赤とシーフを37……先は長いですな。サポ暗のスタンの使いどころが難しいです。

・ウガレピ寺院と怨念洞の地図をとらなくちゃと、お手伝いをいただいてカギとりをしたのですが、トンベリをリンクさせちゃってどうもうまくいきません。ウガレピ寺院の宝のカギはとれたものの、箱はまだ見つからず。

・どうもこのところ、色々な場面で己のプレイヤースキルの低さにめげてしまっていけません。落ち込んだ雰囲気が他の人にも伝わるとよくないとわかっているのに、それでもなかなか立ち直れない自分にうんざりする繰り返し。笑顔でいたいものです。まあ自分が失敗した時に笑顔ってのもどうかと思う訳ですが。

・アルタナミッションを、Dさんに手伝ってもらって、現時点でできる分をクリアしました。波瀾万丈という言葉がぴったりですね。しかしそれにしても、NPCは何と強いのでしょう(笑)。かっこいいシーンは大抵独り占めです。
 しかしケット・シーの目的、そしてリリゼットがこの地へやってきた理由、さらには「玉体」。謎は深まるばかりで少し恐ろしさすらあります。

・それから「ババン・ナ・ウェイレアのぼうけん」を、これも手伝っていただいてクリア。こういうクエストは大好きです。特に最後、言葉を使うことなく語るシーンは印象的ですね。報酬の意味も微笑ましい。微笑ましすぎて使いにくいのが難点ですが(笑)。ウェイレアの幸福を祈りますコポ。

警察2008年06月14日

 知り合いが、とある事情で警察に被害届を出すことになり、その関係で今日は遠くからちょっとだけ警察関係者の女性を見かけました。黒いスーツを着た、でも外から見た雰囲気はその辺りを普通に歩いていそうな、ちょっと太めという感じの女性でした。
 このひともまた、ひとりの人間。けれど誰かの命を守るために、時と場合によっては自らの命を危険にさらさなくてはならない。そう思うと、不思議でした。
 この日常生活を営む社会の中に、普通に当たり前にあるシステムだけれども。

批判2008年06月15日

 仕事を選ぶうえでもっとも大切なものは何かと言えば、それは自分より有能な人々を批判する機会だ。この手の仕事は満足感があると同時に容易でもある。
(スコット・アダムス)
 役に立つ批評というものは、最終的には、わたしたちの作品に欠けていたパズルのピースを提供してくれるものだ。
 役に立たない批評というのはその対極にあるもので、やりこめられたような思いしか抱かせないようなものだ。
(ジュリア・キャメロン)
 誰かが何かをした、そのことについて自分の考えや感情を記述する(それを批評や批判と言ってもいい)ことは、創造に比べて恐ろしく容易にも関わらず、手軽に満足感が得られるという意味では、麻薬的だと思う。
 自分の文章を振り返ってみると、そんな内容ばかりで、嫌になってくる。
 わずかなりとも批評や批判に近しい文章を書く時には、せめて、目の前にその対象がいて、対象が快く納得できるように書きたいと心がけているけれど、悲しいかな器が小さい私は、よくそれを忘れてひどく攻撃的な文章を書いてしまう。
 相手は悪意に反応して、さらなる悪意で返してくるから、大抵の場合、悪意に対する耐性の低い私が先にめげて、弱ってしまう。自業自得とはまさにこのことで、己以外の誰を責められることでもない。

 自分は安全なところにいて、他人のやることを好き勝手につまんで批判するのは、労力がいらない割に何か立派なことをしたような満足感だけは味わえる。毎日の会話なんて、誰がどうしたから私はこう思ったとか、そんなことの繰り返しで、毎日の会話をそのまま持ち込んだものであるネットの会話というものも、そんなことの繰り返しだ。
 本当に創造的であれば、批判なんてしている暇はどこにもないだろう。
 だから、私は他人のやることや他人の言葉にひっかかる時、自分が自分の創造性をかまってやらずに放置しているのだと思い知る。

蒸し野菜2008年06月18日

 さっぱりと、でも野菜をたくさん食べたい気持ちになって、今日は蒸し用の土鍋で蒸し野菜をほこほこと作った。にんじん、キャベツ、ズッキーニ、椎茸。  軽鴨の君は、同じ味が続くと飽きてしまうから、薬味に葱味噌、ひしお、かんずりを用意。本当は練り梅も作りたかったけど、ちょっとそこまで手が回らず。  蒸し上がった野菜に薬味をつけて、ひたすら食べる。にんじんはほっくり、キャベツはしゃっきり、ズッキーニはしっとり、椎茸はむっちり。歯応えも風味も違っていて面白い。  蒸し野菜は野菜がたくさん食べられるのに、簡単に作れるからとても便利。わが家のような食生活ではメイン料理だけれど、普通のおうちでは副菜として、ちょうどいいんじゃないだろうか。火にかければ、あとは蒸気がおいしくしてくれる。

ハカランダ原木伐採2008年06月19日

 調度品効果が色々変更になって、収納家具80をクリアするのが簡単になりましたね〜。……となったら、色々と凝りたくなってきて。しかも!そんな中、お茶好きの私を狙い撃ちするかのような調度品「連邦式ティーセット」「王国式ティーセット」「共和式ティーセット」が実装! もうすっかり浮かれ、全ての理性をかなぐり捨てて揃えることに決定。
 で、その「連邦式ティーセット」を、まず木工職人のフレンドさんに注文することに。材料にハカランダ材を使う高級品です。がんばれば競売で買えない値段ではないんですが、業者が出品している例も多いので、ちょっと不安。という訳で、ジャグナー森林〔S〕へ伐採に行ってきました。
 伐採ポイントがノールの群れの中に出現して(しかもよりによって十六夜で、二足歩行してる)泣きながら伐採し、途中で戦闘不能になること1回、リポーズで命からがら逃げること1回。それでもなかなか見つからず、結局四ヶ所ある伐採ポイントの三ヶ所を回ったところで、何とか伐採に成功しました。
 ハカランダ原木は一日四本しかとれず、一本伐採するごとに伐採率が減少するとか。自分に必要なのは一本だけなので、他の人がとれますようにと願いつつ、帰ったのでした。

 そんなこんなで、今モグハウスの中は大規模模様替え中。色々家具が増えていって驚きです(笑)。本来の荷物が置けなくなったらどうしよう。

第6の院、蘇る神々、そしてお宅訪問2008年06月22日

・という訳で、ウィンダスミッション7-1第6の院、7-2蘇る神々をクリアいたしました!
 メンバーはいつもの獣使いのRさん、モンクのAさん、今日は黒魔のMさん、そしてお手伝い今日は獣使いのDさん、おまけの白魔の私であります。トライマライ水路やウガレピ寺院で私が思いっきり絡まれたりしましたが、どちらも戦闘自体は問題なく終了でした。
・ミッションの後、みんなのモグハウス訪問会とあいなりました。みんな「飾ってない」と言いつつ、個性のある部屋になっているのが面白いです。ティーセットが好評なのがうれしいかったなぁ。モグハウスは、飾り出すときりがなくなりますね。リアルと違って模様替えが簡単だし(笑)。

・さて、ミッションのストーリーは重くシリアスな流れに。以下、思いっきりネタバレしますが、














ホルトト遺跡が月光と関わりがあるとは思いつきませんでした。さらにクリュー人とは。賢者グラヴィトン・ベリサーチが出て来た時にはさすがにびっくり。
 しかし気品ある老婆が「小さき者たち」とタルタルに語りかける姿は、何とも言えない不思議な美しさがあります。タルタルという、小さき者としか言いようのない、か弱い種族を見た時、ベリサーチの心に去来したものは何だったのでしょう。そして、自らを導いてくれた、彼女らクリュー人を仰ぎ見た時に、タルタルたちの心に宿ったものは?
 召喚が「生命から魔法力を引き出す」ものであり、ホルトト遺跡が停止してサルタバルタの地の月光が幻獣となっているらしきことと考えあわせると、カラハバルハや完全召喚について、色々と嫌な予感がめぐってくるのですが……。次のミッションが楽しみです。