詩 ― 2007年06月01日
私は詩を書けない。
たぶん、人から見たら「詩的な」と思われるような表現や文章は書く。だがそれは、私の中でも、そして恐らく詩人たちから見ても、断じて「詩」ではない。詩とは何か?という理論的根拠などまるでわかってないにも関わらず、そのことは私の中に強く突き刺さって、在る。ほかの、数ある「できないこと」と同じように。
普段、詩を書けないことについて、あまり考えることさえもないけれど、ひどく落ちこんだり気が滅入ったり、息をする空気中に細かい硝子の破片が混じっているかのような錯覚を感じたりする時——たとえば今だ——私は詩を書けないことの不幸を思う。
詩が書ければこの苦痛が解決できるというはずもないのだが、しかし、こういう時に詩を書きたいなと私は思うのだ。だが、書けない。
何故なのかすらわからない。ただ、書けないという事実だけが在る。
世界の全てが敵であるかのような錯覚と闘いつつ(それが錯覚であることを知っているだけ、私は楽なのだろう)私はひたすらに、時間がただ過ぎていくのを耐えつづける。
たぶん、人から見たら「詩的な」と思われるような表現や文章は書く。だがそれは、私の中でも、そして恐らく詩人たちから見ても、断じて「詩」ではない。詩とは何か?という理論的根拠などまるでわかってないにも関わらず、そのことは私の中に強く突き刺さって、在る。ほかの、数ある「できないこと」と同じように。
普段、詩を書けないことについて、あまり考えることさえもないけれど、ひどく落ちこんだり気が滅入ったり、息をする空気中に細かい硝子の破片が混じっているかのような錯覚を感じたりする時——たとえば今だ——私は詩を書けないことの不幸を思う。
詩が書ければこの苦痛が解決できるというはずもないのだが、しかし、こういう時に詩を書きたいなと私は思うのだ。だが、書けない。
何故なのかすらわからない。ただ、書けないという事実だけが在る。
世界の全てが敵であるかのような錯覚と闘いつつ(それが錯覚であることを知っているだけ、私は楽なのだろう)私はひたすらに、時間がただ過ぎていくのを耐えつづける。
休憩 ― 2007年06月02日
今日はのんびりと過ごした。
軽鴨の君とお鳥様と、揃って昼寝したり、一駅先の蕎麦屋さんに行ったり、ついでに不思議なお店を散策したり、イタリア風惣菜屋さんで買った豆と野菜がたっぷりのサラダや和え物を食べたり、黒ゴマと食用炭を練り込んだ黒八つ橋を食べたり、そんなのんびりした一日。
明日はどんな一日になるだろうと、不安にかられつつも、今日のこのかけがえのない平和を味わう。
軽鴨の君とお鳥様と、揃って昼寝したり、一駅先の蕎麦屋さんに行ったり、ついでに不思議なお店を散策したり、イタリア風惣菜屋さんで買った豆と野菜がたっぷりのサラダや和え物を食べたり、黒ゴマと食用炭を練り込んだ黒八つ橋を食べたり、そんなのんびりした一日。
明日はどんな一日になるだろうと、不安にかられつつも、今日のこのかけがえのない平和を味わう。
他言語理解、翻訳、占術 ― 2007年06月03日
英語再学習キャンペーン?の一環として、英文読解の練習も少ししていて、その時の本を選ぶ参考として、多読学習のサイトや本を使っている。ま、主に
SSS英語学習法
http://www.seg.co.jp/sss/
とかだが。
多読学習法は、頭で理解しようとするいわゆる学校英語のアンチテーゼというか、「逐次翻訳を頭の中で行わずに読める程度の平易な本から始めて、大量に読み続けながら徐々にレベルを上げていき、無意識的に他言語を理解できるようにする」もののようだ。こどもが言葉を学ぶ過程をもう一度たどるようなものとも言われる。辞書をひかない・わからない単語は鷹揚に飛ばす・合わない本を無理に読まない、という三原則が重要らしい。
一対一に、逐次的に言葉を対応させようとせずに、明確な理解に至らなくてもとにかく大量の言語のシャワーを浴びることによって、次第にその言葉のエッセンスとも言うべきものを内面に構築していく(熟成していくという方がニュアンスとして近いか)という方法は、確かに効果があると思う。
個人的には、多読学習法の推奨者たちが、恐らく英語教育の反動ではあるのだろうが、あまりにも辞書や文法というものを目の敵にするのには、正直ついていけない。
独学で16言語を習得したロンブ・カトーは、人間は文法知識なしで話すことはできるが、文法知識なしでは母国語であっても書くことはできないと言っている。私も同意見だ。いわゆるテストのための、自己目的化した文法の弊害を憎むあまり、文法そのものの効用を否定するというのはちょっと行きすぎだろう。
また、幼児やこどもの学習方法をいかに効果的とはいえ、それを大人に適用していくという行為は、いわば大人にハイハイやガラガラ遊びをさせるようなもので、やはりどこかに無理があるとも思う。
まあそれはそれとして、言葉に固定的な意味を結びつけるのではなくて、大量の自然な用法の海に沈みこむことによって徐々にイメージを感じ取っていくという手法は、占いの勉強にも通じるところがあって面白い。
タロットカードにせよ、西洋占星術にせよ、紅茶占いにせよ、そこに存在する膨大な象徴を、翻訳していく作業である。逐語訳していくとちぐはぐになるので、いわゆる「お勉強」が役立つとは限らないところも似ている。
私は英語と同じく、占いの勉強もさっぱり進展していない気がするのだが、それは結局、「私自身の言葉(日本語、とも呼べない何か)」に私があまりにも強くしがみついていること、に由来するのかも知れない。「私自身の言葉」を大切に守りつつ、さりとて固執しないようにするために、私はもっと大量の練習を重ねていく必要があるのだろう。英語にしろ、占いにしろ。
SSS英語学習法
http://www.seg.co.jp/sss/
とかだが。
多読学習法は、頭で理解しようとするいわゆる学校英語のアンチテーゼというか、「逐次翻訳を頭の中で行わずに読める程度の平易な本から始めて、大量に読み続けながら徐々にレベルを上げていき、無意識的に他言語を理解できるようにする」もののようだ。こどもが言葉を学ぶ過程をもう一度たどるようなものとも言われる。辞書をひかない・わからない単語は鷹揚に飛ばす・合わない本を無理に読まない、という三原則が重要らしい。
一対一に、逐次的に言葉を対応させようとせずに、明確な理解に至らなくてもとにかく大量の言語のシャワーを浴びることによって、次第にその言葉のエッセンスとも言うべきものを内面に構築していく(熟成していくという方がニュアンスとして近いか)という方法は、確かに効果があると思う。
個人的には、多読学習法の推奨者たちが、恐らく英語教育の反動ではあるのだろうが、あまりにも辞書や文法というものを目の敵にするのには、正直ついていけない。
独学で16言語を習得したロンブ・カトーは、人間は文法知識なしで話すことはできるが、文法知識なしでは母国語であっても書くことはできないと言っている。私も同意見だ。いわゆるテストのための、自己目的化した文法の弊害を憎むあまり、文法そのものの効用を否定するというのはちょっと行きすぎだろう。
また、幼児やこどもの学習方法をいかに効果的とはいえ、それを大人に適用していくという行為は、いわば大人にハイハイやガラガラ遊びをさせるようなもので、やはりどこかに無理があるとも思う。
まあそれはそれとして、言葉に固定的な意味を結びつけるのではなくて、大量の自然な用法の海に沈みこむことによって徐々にイメージを感じ取っていくという手法は、占いの勉強にも通じるところがあって面白い。
タロットカードにせよ、西洋占星術にせよ、紅茶占いにせよ、そこに存在する膨大な象徴を、翻訳していく作業である。逐語訳していくとちぐはぐになるので、いわゆる「お勉強」が役立つとは限らないところも似ている。
私は英語と同じく、占いの勉強もさっぱり進展していない気がするのだが、それは結局、「私自身の言葉(日本語、とも呼べない何か)」に私があまりにも強くしがみついていること、に由来するのかも知れない。「私自身の言葉」を大切に守りつつ、さりとて固執しないようにするために、私はもっと大量の練習を重ねていく必要があるのだろう。英語にしろ、占いにしろ。
責任 ― 2007年06月04日
先週水曜と、今日の英会話の授業は、結局テキストを使わないフリートークになった。ひょんなことから、先日の、松岡前農水大臣の自殺の話になって、そこから日本人が何故たくさん自殺するのか、何故stressfulな生活を送っているのか、といった話題になったのだ。私が授業をとっているのは平日の昼間なので、その時間に来るのは当然ながら大半が主婦の皆様で、たぶんフリートークでこんな話題になるのは妙に珍しいに違いない。そこが先生たちには興味深いのかも知れないが。
こういう時、自分の語彙の少なさが大きな壁になるものだが、それでも頑張れば何とかなる。と思いたい。
前回の時も、今日の時も私が話したのは、responsibilityということで、要するに英語のresponsibilityの訳語は一応「責任」だが、この二つの単語は全然イコールではないという話である。responsibilityにはresponseが含まれているように、応答性とかコミュニケーションが含まれていると思うのだが、日本語の責任には、それがない。それは義務や、非難とほとんど同じである。「それはあなたの責任」というのは、英語のNone of my business!に近い語感のような気が、私はしている(実際には違うのかも知れないが)。ともあれ、この「責任」の持つネガティブなイメージが、関係があるように思う……というような話をした。つもりなのだが、さて表現できていたのか自信はない。
フリートークは今日のP先生のお気に召したようで、「次回は日本のマンガがなぜあんなに暴力的な表現を含んでいるのかについて話しましょう」ということになった。……だんだん旅行会話から離れていくような気がするが、まあコミュニケーションというのは恐らくこういうものであって、"Do you have any rooms for tonight?"だけではないのだろう。
こういう時、自分の語彙の少なさが大きな壁になるものだが、それでも頑張れば何とかなる。と思いたい。
前回の時も、今日の時も私が話したのは、responsibilityということで、要するに英語のresponsibilityの訳語は一応「責任」だが、この二つの単語は全然イコールではないという話である。responsibilityにはresponseが含まれているように、応答性とかコミュニケーションが含まれていると思うのだが、日本語の責任には、それがない。それは義務や、非難とほとんど同じである。「それはあなたの責任」というのは、英語のNone of my business!に近い語感のような気が、私はしている(実際には違うのかも知れないが)。ともあれ、この「責任」の持つネガティブなイメージが、関係があるように思う……というような話をした。つもりなのだが、さて表現できていたのか自信はない。
フリートークは今日のP先生のお気に召したようで、「次回は日本のマンガがなぜあんなに暴力的な表現を含んでいるのかについて話しましょう」ということになった。……だんだん旅行会話から離れていくような気がするが、まあコミュニケーションというのは恐らくこういうものであって、"Do you have any rooms for tonight?"だけではないのだろう。
比較対象 ― 2007年06月05日
今日の英会話の授業のフリートークの時間で、ふと昨日の話を思い出し、R先生に「日本のマンガには暴力的な表現が多いと思うか?」と訊いてみた(つもり)。
先生の意見は「それほどでもない。少年ジャンプにあるようなものぐらいは大したことないと思う」みたいな感じだった。
「日本では子供に対する暴力表現の規制がないので、子供でも大人が読むような暴力的表現の入ったマンガを買えることを問題にする人もいる。私自身はそれは別に問題ではないと思うけれど、そういう主張も部分的には正しいように思う……」
というようなことを、ものすごく簡単かつたどたどしい表現で言うと、先生は、
「それは欧米的な価値観であって、必ずしも正しいとは限らない。それに日本の子供はそういうものに触れてもとても善良。他の規制の厳しい国を見てご覧? 確かに子供が暴力的な表現や言葉のマンガを見ていないかも知れないけれど、その国で、子供は先生や友達を銃で殺したりしているじゃないか」
と答えた。
「日本の子供は善良」という意見は、何やらはっと胸を衝かれるものだった。
世の中のマスコミや大人達の意見を聞いていると、今の子供は理解不能の闇を抱えた存在で大人に対する尊敬の念も持たぬモンスターのような錯覚(そう、まぎれもない錯覚)を抱きそうになるけれど、恐らくいくつかの国の人々から見たら、この紛れもなく平和な国の中で、子供達は紛れもなく平穏にそして善良に育っているのだ。
いくつかの国では子供は、銃を片手に殺し合いをしている。親を殺し大人を殺す子供は、たくさんたくさんいる。
それを考えれば、日本の子供は天使のような存在かも知れない。もちろん全ての人が不可思議な影を帯びているのだから、当然子供にもひそやかな影と闇は常に存在する。だが今の日本社会の一部がヒステリックに叫ぶ「今どきの子供」とは、結局、己の心の闇を投影した影絵のようなものなのかも知れない。
先生の意見は「それほどでもない。少年ジャンプにあるようなものぐらいは大したことないと思う」みたいな感じだった。
「日本では子供に対する暴力表現の規制がないので、子供でも大人が読むような暴力的表現の入ったマンガを買えることを問題にする人もいる。私自身はそれは別に問題ではないと思うけれど、そういう主張も部分的には正しいように思う……」
というようなことを、ものすごく簡単かつたどたどしい表現で言うと、先生は、
「それは欧米的な価値観であって、必ずしも正しいとは限らない。それに日本の子供はそういうものに触れてもとても善良。他の規制の厳しい国を見てご覧? 確かに子供が暴力的な表現や言葉のマンガを見ていないかも知れないけれど、その国で、子供は先生や友達を銃で殺したりしているじゃないか」
と答えた。
「日本の子供は善良」という意見は、何やらはっと胸を衝かれるものだった。
世の中のマスコミや大人達の意見を聞いていると、今の子供は理解不能の闇を抱えた存在で大人に対する尊敬の念も持たぬモンスターのような錯覚(そう、まぎれもない錯覚)を抱きそうになるけれど、恐らくいくつかの国の人々から見たら、この紛れもなく平和な国の中で、子供達は紛れもなく平穏にそして善良に育っているのだ。
いくつかの国では子供は、銃を片手に殺し合いをしている。親を殺し大人を殺す子供は、たくさんたくさんいる。
それを考えれば、日本の子供は天使のような存在かも知れない。もちろん全ての人が不可思議な影を帯びているのだから、当然子供にもひそやかな影と闇は常に存在する。だが今の日本社会の一部がヒステリックに叫ぶ「今どきの子供」とは、結局、己の心の闇を投影した影絵のようなものなのかも知れない。
バージョンアップ ― 2007年06月06日
FF11、久しぶりに大きめのバージョンアップが入った。
が……結構バランスとしてはきつめらしい。
私は今日のビシージに参加できなかった(人数いっぱいで入れなかった)のだけど、参加したフレンドさんによると、連戦となって2戦目のトロール軍戦は、撤退させるまで3時間半もかかったそうだ。将軍は全員戦闘不能。魔笛部屋にこもってひたすらゾンビアタックだったらしい。
今回ビシージでLv.8が解放されたのだが、HNMも登場していて、撤退させるまでにどうしてもNMを1-2体は倒すことが求められているらしい。それにしても、今日のビシージは700人フルでこんなに大変だったのだから、これから人数が少ない時にはどんな阿鼻叫喚が待っているやら……。恐ろしい。
追加されたアトルガンミッションもかなり厳しい戦闘があるようで、なかなか一筋縄ではいかなそうだ。
が……結構バランスとしてはきつめらしい。
私は今日のビシージに参加できなかった(人数いっぱいで入れなかった)のだけど、参加したフレンドさんによると、連戦となって2戦目のトロール軍戦は、撤退させるまで3時間半もかかったそうだ。将軍は全員戦闘不能。魔笛部屋にこもってひたすらゾンビアタックだったらしい。
今回ビシージでLv.8が解放されたのだが、HNMも登場していて、撤退させるまでにどうしてもNMを1-2体は倒すことが求められているらしい。それにしても、今日のビシージは700人フルでこんなに大変だったのだから、これから人数が少ない時にはどんな阿鼻叫喚が待っているやら……。恐ろしい。
追加されたアトルガンミッションもかなり厳しい戦闘があるようで、なかなか一筋縄ではいかなそうだ。
ビシージLV8 ― 2007年06月07日
という訳で、トロール軍LV8ビシージが今日の夜発生したので、LSの人たちと勇んで初参戦。……でも実はそもそもアルザビに入るのに、5回くらいはねられて、無理矢理入ったのだとほほ。
さて結論から言うと、何とか魔笛は防衛。PC側は704人。所要時間は1時間ほど。しかし疲労感はかなり強かった。
まず敵の数が一段と多い。処理能力の関係で表示されないせいなのか、全く攻撃のログもなく、敵が描画されてもいないのに何故か死亡という出来事が、今まで以上に頻発。
しかも、雑魚敵の強さが地味に底上げされている。今日などサソリが信じられない回数で石化攻撃を頻発してくるので、ストナが大忙し。しかも範囲攻撃が広いので、距離をとっているつもりの後衛も平然と石化をくらうし、第一「距離をとった」つもりが別の敵の真ん前だったりすることがしょっちゅうだ。中ボスの回避・防御力の高さもかなり厳しい。
今回噂のHNM、ケルベロスのGereが登場したのだが、何と倒すことができた。麻痺攻撃(反射効果が出ていたのでアイスパの効果かも)が厭らしく、また攻撃力は馬鹿高いが、意外と回避も防御力も低く、ダメージがきちんと入る。みんなで地道に攻撃していけば、実は十分退治可能の相手のようだ。
とにかく現状では、「ものすごく強い1体のHNMより強い雑魚キャラが無数に増えたことの方が脅威」という感じ。早朝など人数が少ない時だと、防衛しきれるか不安だ。
無敗のSirenサーバはどうなってるんだろう……気になるところである。
さて結論から言うと、何とか魔笛は防衛。PC側は704人。所要時間は1時間ほど。しかし疲労感はかなり強かった。
まず敵の数が一段と多い。処理能力の関係で表示されないせいなのか、全く攻撃のログもなく、敵が描画されてもいないのに何故か死亡という出来事が、今まで以上に頻発。
しかも、雑魚敵の強さが地味に底上げされている。今日などサソリが信じられない回数で石化攻撃を頻発してくるので、ストナが大忙し。しかも範囲攻撃が広いので、距離をとっているつもりの後衛も平然と石化をくらうし、第一「距離をとった」つもりが別の敵の真ん前だったりすることがしょっちゅうだ。中ボスの回避・防御力の高さもかなり厳しい。
今回噂のHNM、ケルベロスのGereが登場したのだが、何と倒すことができた。麻痺攻撃(反射効果が出ていたのでアイスパの効果かも)が厭らしく、また攻撃力は馬鹿高いが、意外と回避も防御力も低く、ダメージがきちんと入る。みんなで地道に攻撃していけば、実は十分退治可能の相手のようだ。
とにかく現状では、「ものすごく強い1体のHNMより強い雑魚キャラが無数に増えたことの方が脅威」という感じ。早朝など人数が少ない時だと、防衛しきれるか不安だ。
無敗のSirenサーバはどうなってるんだろう……気になるところである。
ディアボロスサーバ6敗目 ― 2007年06月08日
ついに魔笛奪取さるる。ディアボロスサーバ6回目の敗北だ。
参加したフレンドさんの話と、ビシージ報告サイトの話を総合すると
・マムージャ軍侵攻。これで将軍全員戦闘不能。3時間ほどのビシージでかろうじて撤退させる。捕虜11人。
・しかしそれからほどなく死者軍侵攻。時間は早朝。
・将軍は、救出が間に合ったのか、ザザーグだけが復帰。しかし、ラミアの即死攻撃で死亡(即死攻撃は防御方法は全く存在しない)
・魔笛部屋で粘るも、不慣れな人が魔笛部屋から魔物をおびき出さなくてはならないのに、逆に魔笛側へ逃げてきてしまうなど、意思統一がとれず
・最後は魔笛部屋で範囲魅了をくらい、PC操作が不可能に。魔笛奪われる
という流れだったようだ。
まあ連戦・大量捕虜・早朝・死者と、むしろこの条件で勝てるのが不思議なくらいではあるのだが、LV7なら何とかこれでもしのぎきっていた訳で、LV8で敵の強さがいよいよオーバーフローしてしまったなと思う。
私はこの手のゲームでは、かなり運営者側に好意的で、相当の悪名高いパッチでも不快に思わないタイプだが、しかし今回のビシージは……何というか、「とにかくLV8は終了と思いなさい」というようなメッセージを感じて、さすがにちょっとめげた。
こちらの戦力は最大でも700人と限界がある以上、蛮族軍の戦力を増強していけば、絶対にいつか物理的に勝利できなくなる点を越える。だがそれをやってしまっては、何というか……ただのイベント戦闘ではないか。敗北前提のイベント戦闘に3時間を費やすのはあまりに辛い。
それならいっそ、「月1回必ず魔笛は蛮族側に渡るので、それを奪還せよ」という仕様にしてしまった方が、すっきりするのではなかろうか。
切ないのは、こちらが勝利し続ける限り、蛮族軍の兵力Lvは必ず上がっていくので、敗北の可能性の高いLV8ビシージを未然に防ぐ方法は、まず存在しないということだ。LV8をLV7に減らす手段はPC側にはない。
つまり何というか、これは一種のはまりセーブでは……。
まあ今後は素直に魔笛争奪をデフォルトのものとして考えるべきなのかも知れないが、私のレベルでは魔笛奪還で貢献できることはなにひとつない。そう考えると、何だか悲しい気分になってしまうのである。
参加したフレンドさんの話と、ビシージ報告サイトの話を総合すると
・マムージャ軍侵攻。これで将軍全員戦闘不能。3時間ほどのビシージでかろうじて撤退させる。捕虜11人。
・しかしそれからほどなく死者軍侵攻。時間は早朝。
・将軍は、救出が間に合ったのか、ザザーグだけが復帰。しかし、ラミアの即死攻撃で死亡(即死攻撃は防御方法は全く存在しない)
・魔笛部屋で粘るも、不慣れな人が魔笛部屋から魔物をおびき出さなくてはならないのに、逆に魔笛側へ逃げてきてしまうなど、意思統一がとれず
・最後は魔笛部屋で範囲魅了をくらい、PC操作が不可能に。魔笛奪われる
という流れだったようだ。
まあ連戦・大量捕虜・早朝・死者と、むしろこの条件で勝てるのが不思議なくらいではあるのだが、LV7なら何とかこれでもしのぎきっていた訳で、LV8で敵の強さがいよいよオーバーフローしてしまったなと思う。
私はこの手のゲームでは、かなり運営者側に好意的で、相当の悪名高いパッチでも不快に思わないタイプだが、しかし今回のビシージは……何というか、「とにかくLV8は終了と思いなさい」というようなメッセージを感じて、さすがにちょっとめげた。
こちらの戦力は最大でも700人と限界がある以上、蛮族軍の戦力を増強していけば、絶対にいつか物理的に勝利できなくなる点を越える。だがそれをやってしまっては、何というか……ただのイベント戦闘ではないか。敗北前提のイベント戦闘に3時間を費やすのはあまりに辛い。
それならいっそ、「月1回必ず魔笛は蛮族側に渡るので、それを奪還せよ」という仕様にしてしまった方が、すっきりするのではなかろうか。
切ないのは、こちらが勝利し続ける限り、蛮族軍の兵力Lvは必ず上がっていくので、敗北の可能性の高いLV8ビシージを未然に防ぐ方法は、まず存在しないということだ。LV8をLV7に減らす手段はPC側にはない。
つまり何というか、これは一種のはまりセーブでは……。
まあ今後は素直に魔笛争奪をデフォルトのものとして考えるべきなのかも知れないが、私のレベルでは魔笛奪還で貢献できることはなにひとつない。そう考えると、何だか悲しい気分になってしまうのである。
無駄 ― 2007年06月09日
何だか今日は、お昼に外出する用事があって、その後夕飯の時間まで外にいたのだけれど、帰宅してからずいぶん時間を無駄に遣ってしまった。
思い返すと、何も大したことをせずに、気がつくとこんな時間である。
ひどくため息が出る瞬間だ。
このところの私は、英会話の勉強とあれやこれやの予定とをこなすので精一杯で、ずいぶん頭の中が混乱している気がする。
大丈夫だろうか?
思い返すと、何も大したことをせずに、気がつくとこんな時間である。
ひどくため息が出る瞬間だ。
このところの私は、英会話の勉強とあれやこれやの予定とをこなすので精一杯で、ずいぶん頭の中が混乱している気がする。
大丈夫だろうか?
週末休業 ― 2007年06月10日
このブログは、迷惑・宣伝トラックバック防止のため、トラックバックは承認後公開にしてます。
こーんな読者のいない、ひっそりとしたブログでも、トラバは来ます。98%は残念ながらスパムです。先日は中井久夫氏の著作についてのエントリに、同じく中井久夫氏の書いた、違う作品のレビューのトラバが来ましたが、内容を読んでみたら「中井久夫氏が書いた作品について」という共通点しかなく、私の本文について言及もなかったので、宣伝とみなして削除しました。個人のブログのようでしたが、こういうのはなかなか虚しいというか悲しいですね。
さて、このスパムトラバ、毎日チェックをして削除をするのですが、露骨にウィークデーにたくさん来て、土日はぱったり来なくなります。休日はスパムもお休みするんですね。
まあ要は業者が仕事でやってるんだろうなってことなんですが、しかしこんなの自動でロボット検索して自動でトラバ送信してるんだと思ってたので、土日はきっちりお休みというのが妙にほのぼのした雰囲気で笑えます。
たぶん月曜日にクライアントとか上司とかに「ここのサイトが検索で上位に出るようにしろ!」とか言われて、一所懸命スパムトラバを送信するんでしょうね。まあシステム自体はプログラムでしょうが、そのプログラムを作動させるのは平日ということでしょうか。んで、金曜日に「はいこのように上位に出ました」って報告して「ひゃっほー休みだぜ!」って仕事をポイしてホリデイを満喫するんでしょうか。
もしかしたら、何か別の理由で土日はスパムトラバが身を潜めるのかも知れないのですが、まあとりあえず土日までスパムが来るのは鬱陶しいので、お休みがあるだけまだましと考えましょう。
こーんな読者のいない、ひっそりとしたブログでも、トラバは来ます。98%は残念ながらスパムです。先日は中井久夫氏の著作についてのエントリに、同じく中井久夫氏の書いた、違う作品のレビューのトラバが来ましたが、内容を読んでみたら「中井久夫氏が書いた作品について」という共通点しかなく、私の本文について言及もなかったので、宣伝とみなして削除しました。個人のブログのようでしたが、こういうのはなかなか虚しいというか悲しいですね。
さて、このスパムトラバ、毎日チェックをして削除をするのですが、露骨にウィークデーにたくさん来て、土日はぱったり来なくなります。休日はスパムもお休みするんですね。
まあ要は業者が仕事でやってるんだろうなってことなんですが、しかしこんなの自動でロボット検索して自動でトラバ送信してるんだと思ってたので、土日はきっちりお休みというのが妙にほのぼのした雰囲気で笑えます。
たぶん月曜日にクライアントとか上司とかに「ここのサイトが検索で上位に出るようにしろ!」とか言われて、一所懸命スパムトラバを送信するんでしょうね。まあシステム自体はプログラムでしょうが、そのプログラムを作動させるのは平日ということでしょうか。んで、金曜日に「はいこのように上位に出ました」って報告して「ひゃっほー休みだぜ!」って仕事をポイしてホリデイを満喫するんでしょうか。
もしかしたら、何か別の理由で土日はスパムトラバが身を潜めるのかも知れないのですが、まあとりあえず土日までスパムが来るのは鬱陶しいので、お休みがあるだけまだましと考えましょう。
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