茨姫 ― 2007年04月20日
助けを求めているのだなぁということはわかる。今の自分が。
それは、他人の言動にいちいち皮肉や棘で対応することや、新聞やネットに触れるたびにガラスの粉末を飲んでるかのように内臓が呻くことで、よくわかっている。
放っておくと自分の皮肉で自家中毒を起こすのだが、かといって人の中に入っていって朗らかに楽しいことを作り出したり、あるいは身も世もなくわんわん泣いて洗い流したりも、できそうにない。
たぶんこういう時に、乱暴ではないが力強く心の扉を開けて、すたすたと入ってきて、優しく貴重品のように包みこんで外に連れ出してくれるひとが、いわゆる白馬の王子様と呼ばれるものなのだろうなと思う。
世間一般で男性にイメージされることの多い、力強さや強引さやぐずぐずしないスピード、というのは恐らくそのためにひとに与えられているのであろう。実際には女性の方がそういう力を備えていたりするものだが。
一歩間違えると、強引ではなくただの乱暴になるだけなので、なおさら難しいところではあるのだろうが。
考えてみると、いばら姫の王子様は、茨を越えて姫に会いに行き、優しくくちづけをして起こしたのだ。決して、茨を焼き払い姫を引きずり出していった訳ではない。
それはおとぎ話で素っ気なく語られるよりはるかに、忍耐力と気力と強さが必要とされる行動だったのかも知れない。
それは、他人の言動にいちいち皮肉や棘で対応することや、新聞やネットに触れるたびにガラスの粉末を飲んでるかのように内臓が呻くことで、よくわかっている。
放っておくと自分の皮肉で自家中毒を起こすのだが、かといって人の中に入っていって朗らかに楽しいことを作り出したり、あるいは身も世もなくわんわん泣いて洗い流したりも、できそうにない。
たぶんこういう時に、乱暴ではないが力強く心の扉を開けて、すたすたと入ってきて、優しく貴重品のように包みこんで外に連れ出してくれるひとが、いわゆる白馬の王子様と呼ばれるものなのだろうなと思う。
世間一般で男性にイメージされることの多い、力強さや強引さやぐずぐずしないスピード、というのは恐らくそのためにひとに与えられているのであろう。実際には女性の方がそういう力を備えていたりするものだが。
一歩間違えると、強引ではなくただの乱暴になるだけなので、なおさら難しいところではあるのだろうが。
考えてみると、いばら姫の王子様は、茨を越えて姫に会いに行き、優しくくちづけをして起こしたのだ。決して、茨を焼き払い姫を引きずり出していった訳ではない。
それはおとぎ話で素っ気なく語られるよりはるかに、忍耐力と気力と強さが必要とされる行動だったのかも知れない。
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