パロマーの巨人望遠鏡 ― 2007年01月29日
パロマーの巨人望遠鏡(上)(下),D.O.ウッドベリー著,関正雄・湯澤博・成相恭二訳,2002.6.14(上)2002.7.16.(下),青942-1〜2
大きいことがいいことだとは限らないし、科学の発展と知識の探究が無条件の善と美であるはずもない。だが、天文学においてはより巨大な望遠鏡が不可欠だし、また科学と知識が人類を救うと考える人も世にはたくさんいる。
そういう視点で書かれた、「プロジェクトX」的美談だと考えれば、まあそんなに間違いではない。誠実で、名誉や報酬など見向きもせずに科学の進歩のために身を捧げた天文学者・技術者たちの苦闘が描かれ、愚かな民衆と迷惑なマスコミがその対比を演じる。綺麗で文句なく面白い記録物語だ。特に反射望遠鏡の心臓部である直径200インチのパイレックスガラス製鏡の製作と、それを東部の工場からカルフォルニアまで運ぶ顛末など、映画が三本くらい作れそうな波瀾万丈ぶりである。
いかにもアメリカ的な、人間の努力と知恵と情熱が産みだした、輝かしい成果。
つまりそれは、そのままこの記録物語の欠点でもある訳で、科学や天文学に対して懐疑的な人を説得できるたぐいの話ではない。
どうも著者の意図としては、そういうものもあったようで、文中何度も、「何百万という人が飢えているのに、600万ドルを一望遠鏡に費やすのは正当か」という問いに対する著者の悲痛な答えが差し出される。でもはっきり言って、説得力はあんまりない。
「科学と知識の進歩を否定すれば、そもそも人類の生存そのものが危うくなるだろう」という著者の主張はもっともだけど、この望遠鏡をを可能にした富そのもの(大半は財閥の寄付である)が、多くの人々の生命と財産と尊厳を犠牲にしていることに対する、免罪符になるものでもない。ある一面から見れば、天文学もしょせん、金持ちの手慰みでしかないのだーーという視点は、この本には欠けている。
まぁでも、天文学者に社会の不均衡の是正を求めてみたところで、答えは "None of my business!" でしかないだろう。ギリシャのパルテノン神殿を見るように、エジプトのピラミッドを見るように、私はとりあえず200インチ反射望遠鏡に拍手と尊敬の念を送る。天文学に無知な、衆愚のひとりとして、ね。
大きいことがいいことだとは限らないし、科学の発展と知識の探究が無条件の善と美であるはずもない。だが、天文学においてはより巨大な望遠鏡が不可欠だし、また科学と知識が人類を救うと考える人も世にはたくさんいる。
そういう視点で書かれた、「プロジェクトX」的美談だと考えれば、まあそんなに間違いではない。誠実で、名誉や報酬など見向きもせずに科学の進歩のために身を捧げた天文学者・技術者たちの苦闘が描かれ、愚かな民衆と迷惑なマスコミがその対比を演じる。綺麗で文句なく面白い記録物語だ。特に反射望遠鏡の心臓部である直径200インチのパイレックスガラス製鏡の製作と、それを東部の工場からカルフォルニアまで運ぶ顛末など、映画が三本くらい作れそうな波瀾万丈ぶりである。
いかにもアメリカ的な、人間の努力と知恵と情熱が産みだした、輝かしい成果。
つまりそれは、そのままこの記録物語の欠点でもある訳で、科学や天文学に対して懐疑的な人を説得できるたぐいの話ではない。
どうも著者の意図としては、そういうものもあったようで、文中何度も、「何百万という人が飢えているのに、600万ドルを一望遠鏡に費やすのは正当か」という問いに対する著者の悲痛な答えが差し出される。でもはっきり言って、説得力はあんまりない。
「科学と知識の進歩を否定すれば、そもそも人類の生存そのものが危うくなるだろう」という著者の主張はもっともだけど、この望遠鏡をを可能にした富そのもの(大半は財閥の寄付である)が、多くの人々の生命と財産と尊厳を犠牲にしていることに対する、免罪符になるものでもない。ある一面から見れば、天文学もしょせん、金持ちの手慰みでしかないのだーーという視点は、この本には欠けている。
まぁでも、天文学者に社会の不均衡の是正を求めてみたところで、答えは "None of my business!" でしかないだろう。ギリシャのパルテノン神殿を見るように、エジプトのピラミッドを見るように、私はとりあえず200インチ反射望遠鏡に拍手と尊敬の念を送る。天文学に無知な、衆愚のひとりとして、ね。
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