植物巡礼 プラント・ハンターの回想 ― 2007年01月18日
植物巡礼 プラント・ハンターの回想,F.キングドン-ウォード著,塚谷裕一訳,1999.9.16.,青478-1
1900年代前半、まだ先進国にエコロジーや地域固有生態系といった単語が存在しなかった無邪気な頃。
自前の植物の種類が少ない大英帝国は、世界中の、美しく育てるに値する植物を狩り集めてくるのに、夢中だった。プラント・ハンターとは、それを生業とした人々である。
何やら皮肉な書き出しになってしまったが、この本は面白い読み物である。青いケシや香りのよい(そして後にその香りを失った)花麝香など、園芸植物にまつわる植物学会や好事家のドタバタ、言うことを聞かない苦力を前に途方に暮れる探検の有様、「くすっと笑ったり、微笑んだり」という連続になること請け合いだ。
特に、花を見ずに採取したユリが、どこで育てても「汚れた白い花しか咲かない」と言われ、失意の著者が自然に咲いているところを探し求めるエピソードは、素敵な物語といった趣だ(その結果は本編をごらんあれ、というところだろうか)。
勝手に「未開」と決めつけた土地から、あれやこれやと有望な植物を漁って、自国の生態系のことなど考えずに持ち帰っては育てる。そういう姿勢はもちろん問題ではあるけれど、これは時代と場所の制限としか言いようがない。1900年代前半のイギリスとは、そういうものであったのだし。
むしろ、そういう背景でありながら、この本には根拠のない他国蔑視や、鼻持ちならない英国崇拝主義が、ほとんど見当たらない。著者がそういう人であったと決めるのは少々早合点ではあるけれど、少なくとも彼は、異国の植物に対する敬意と誠意を持っていたことだけは、確かだろう。この本は、植物を対象としているからこそ、この時代特有の臭気から逃れている。むしろ、少ない情報や思いこみで右往左往する、自国の好事家が皮肉っぽく描かれているが、面白いところである。
1900年代前半、まだ先進国にエコロジーや地域固有生態系といった単語が存在しなかった無邪気な頃。
自前の植物の種類が少ない大英帝国は、世界中の、美しく育てるに値する植物を狩り集めてくるのに、夢中だった。プラント・ハンターとは、それを生業とした人々である。
何やら皮肉な書き出しになってしまったが、この本は面白い読み物である。青いケシや香りのよい(そして後にその香りを失った)花麝香など、園芸植物にまつわる植物学会や好事家のドタバタ、言うことを聞かない苦力を前に途方に暮れる探検の有様、「くすっと笑ったり、微笑んだり」という連続になること請け合いだ。
特に、花を見ずに採取したユリが、どこで育てても「汚れた白い花しか咲かない」と言われ、失意の著者が自然に咲いているところを探し求めるエピソードは、素敵な物語といった趣だ(その結果は本編をごらんあれ、というところだろうか)。
勝手に「未開」と決めつけた土地から、あれやこれやと有望な植物を漁って、自国の生態系のことなど考えずに持ち帰っては育てる。そういう姿勢はもちろん問題ではあるけれど、これは時代と場所の制限としか言いようがない。1900年代前半のイギリスとは、そういうものであったのだし。
むしろ、そういう背景でありながら、この本には根拠のない他国蔑視や、鼻持ちならない英国崇拝主義が、ほとんど見当たらない。著者がそういう人であったと決めるのは少々早合点ではあるけれど、少なくとも彼は、異国の植物に対する敬意と誠意を持っていたことだけは、確かだろう。この本は、植物を対象としているからこそ、この時代特有の臭気から逃れている。むしろ、少ない情報や思いこみで右往左往する、自国の好事家が皮肉っぽく描かれているが、面白いところである。
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