デミアン2007年01月04日

デミアン,ヘルマン・ヘッセ著,実吉捷郎訳,1959.4.5.(1996.9.5.第47刷),赤435-5


たぶん、自分の意志で本を読もうなどと考えるタイプの人間なら、誰でもこの物語に感情移入しうるだろう。それほど主人公ジンクレエルやタイトル・ロールのデミアンが持つ悩みと感情と目的意識は普遍的だ。だが、大抵の人間は彼らほど自分の思念に没入することはできないし、人生を純化することもできまい。アイデンティティ追求の苦しみ悦びを、この上ないほど煮詰めて抽出したような、物語である。
冒頭、ジンクレエルが不良少年の餌食になりかけるくだりは、なぜ人がいじめや暴力団の犠牲になるのかというとてもわかりやすい参考事例になるし、師と感じられる人間と出会い、その師と結局は決裂してしまう哀しさは、教育というものを考えるのにおあつらえむきだ。文学を愛するようなタイプの人間が、人生においてぶつかりそうな、あらゆるタイプの挫折と困難と苦悩を一斉に並べてある辺り、ゴージャスささえ感じられる。少々鼻につく選民意識さえ、スパイスのように読者の心を快く刺激するに違いない。
しかも肝心なのは、この物語が実はかなり短くて、読み返そうと思ったら比較的簡単にできるというところだろう。
という訳で、考え事が好きな人ならば、きっと誰でもこの物語の中に有意義なものを見いだせるに違いない。もちろん、私も色々と考えるところがあった。しかし、それを他の人と話し合うことはできそうにないし、またその必要もないだろう。
ところで、私はこの本を高校生の時、倫理で読まされたはずなのだが、全く内容を覚えていなかった。何故なのだろう? 好きそうな話なのに。私がこの本を、あっさり「名作」と言い切ってしまえないのも、その辺りに何か理由があるのかも知れない。まだよくわからないけれど。