表裏2006年12月05日

先日、漢方薬局に行った時の待ち時間に雑誌を渡されたので、ぱらぱらめくっていた。確かFRaUだったかな。2007年の恋愛占い特集!とやらが麗々しく綴られていて、自分にはあまり関係の話だったのでまるでドラマを眺めるように眺めていた。
そうしたら、鏡リュウジだか誰かが書いていた「あなたにとっての金の男、泥の男」というコーナーが意外に面白くて、つい熱中。
かに座の私の場合は「泥の男」が「ナノ系」で、「金の男」が「執事系」。ナノ系とは、細かいところまでよく気がつくのだけど大局が見えないので肝心なところを外し、結局つきあううちに疲れてくるタイプの男性。執事系とは、自己主張をほとんどせず、さりげなく目立たないけれど、必要とされる大切なところを決して外さない男性。
これはつまり「細かいところまで気がつく」という点で裏表を成している人間像であって、こういう表現はうまいなぁと感心した訳だ。
人間の性質というのは、ひとつひとつは善くも悪くもない単音だけれど、それが他の性質と響き合って和音や調を作り出す時に、思いも寄らない美しい調和となることもあれば、狂った不協和音になることもある。ほんのひとつの音が和音に欠けていたばかりに全てが台無しになることもあれば、たったひとつの音が加わるだけで全てが様相を変えて美しく広がることもある。
その調和の法則があらかじめわかっていてその通りに動くことができれば、失敗などすることはないのに……と思うのだけれど、もしかしたら不協和音にも音楽的意味があるように、失敗にも何かの意味があるのかも知れない。
なんてことを、過去に出会った色々な「ナノ系男性」や「執事系男性」を思い浮かべつつ、考えたのだった。

でも、執事系男性のハードルは高そうだよね。必要とされる時に必ずそこにいる、というのは偉大な能力だ。それを生まれつき持っている人はほとんどいないし、努力して身につけようと思う人はもっと少ない。本当は後天的な能力なのだろうけれど。……と、自分のことは棚に上げる。