部屋 ― 2006年05月11日
最小限と最大限の双方に憧れる傾向があるので、
「九坪の家」
にも大変心ときめきます。かの、スミレアオイハウスですね。最小限の大きさの中に、最小限のマテリアルだけを揃えた住居を作り、外とゆるやかにつながりつつ暮らす。素敵です。
一方で、私は何もかも自分の大切なものを手元に揃えておきたい、という半ば狂気じみた欲望も持っています。
結果として、どっちにもならず、片づいているとは言えない混沌の中、コレクションとも呼べない半端なものが家の中にあふれるという訳です。
昔、「理想の家は?」と訊かれて、
「自分で建てるなら、部屋がひとつしかない小さな家。
買うのなら、部屋が100くらいある、中に何があるのか誰も把握しきっていないような、『秘密の花園』に出てくるような古いお屋敷」
と答えたのですが、意外とこれに同感な人は多いのではないでしょうか。
どっちを選ぶにしても、選んでしまえばそれにフィットして生活できるとは思うんですよね。最小限に研ぎ澄ました生活であれ、最大限に自分の小宇宙を築き上げる生活であれ。どっちも選んでいないのは、どこかまだ人生に仮住まいの感覚を抱いているせいでしょうか。
しかし、いつまでも仮住まい気分でふらふらする訳にも参りません。そろそろ腹を決めて、自分の生活の大きさというものを決めなくてはなりませんな。
でもそうやって計画を立てて、生活を設計したところで、思わぬことが起きるもの。たとえば今私が、暮らすとは想像もしていなかった鳥に振り回されながら暮らしているように。計画は、大抵とんでもないところから破綻します。私の想像力なんて、そんなものです。
「九坪の家」
にも大変心ときめきます。かの、スミレアオイハウスですね。最小限の大きさの中に、最小限のマテリアルだけを揃えた住居を作り、外とゆるやかにつながりつつ暮らす。素敵です。
一方で、私は何もかも自分の大切なものを手元に揃えておきたい、という半ば狂気じみた欲望も持っています。
結果として、どっちにもならず、片づいているとは言えない混沌の中、コレクションとも呼べない半端なものが家の中にあふれるという訳です。
昔、「理想の家は?」と訊かれて、
「自分で建てるなら、部屋がひとつしかない小さな家。
買うのなら、部屋が100くらいある、中に何があるのか誰も把握しきっていないような、『秘密の花園』に出てくるような古いお屋敷」
と答えたのですが、意外とこれに同感な人は多いのではないでしょうか。
どっちを選ぶにしても、選んでしまえばそれにフィットして生活できるとは思うんですよね。最小限に研ぎ澄ました生活であれ、最大限に自分の小宇宙を築き上げる生活であれ。どっちも選んでいないのは、どこかまだ人生に仮住まいの感覚を抱いているせいでしょうか。
しかし、いつまでも仮住まい気分でふらふらする訳にも参りません。そろそろ腹を決めて、自分の生活の大きさというものを決めなくてはなりませんな。
でもそうやって計画を立てて、生活を設計したところで、思わぬことが起きるもの。たとえば今私が、暮らすとは想像もしていなかった鳥に振り回されながら暮らしているように。計画は、大抵とんでもないところから破綻します。私の想像力なんて、そんなものです。
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