題材消費人生2006年04月02日

空に、月齢四日足らずの三日月がかかっていました。食べかけのメロンみたいな、ひょいとつまんでボタンの飾りにしたくなるような、絶妙の細さと形。
昔の人だったら、こういう光景を眺めて和歌のひとつも詠ったり俳句のひとつもひねったり漢詩のひとつも吟じたり、したのかも知れないなぁと思い、無粋な自分を恥じたのですが、でも考えてみるとそういうのが果たして粋で文化的なものなのかは、また別かも知れないですね。「あー……きれいな月だなぁ」と呆然と眺めているのこそが、本当はいちばん純粋なのかも。そういえば純粋は、純なる粋と書く訳ですし(ちょっと違うかな)。
綺麗な月を見上げたからとすぐ芸術を絞りだそうとするのは、おいしいごはんを口にしながら頭の中はこの料理を自分のBlogでどんな風に評論しようかということでいっぱいの人、みたいなものでしょうか。
私たちは、今や平安時代の貴族たちがどんな気分で美しい和歌を詠んだのかを知らないのですが、芸術以外なーんにもすることのなかった彼らの和歌は、案外今のBlogと同じような気分で、つまりネタ探しとネタ調理に明け暮れる日々といった調子でつづられたもので、それほど高尚なものでもなかったのかも知れませんね。
もちろん、高尚でなければ価値がないという訳ではありませんから、それでも全然問題はないのですが。

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