先生 ― 2006年02月03日
前にホームページで少し書いたことがあるけれど、私は昔から、師弟関係というものに大層憧れていた。
先生の後に付き従う愛弟子ポジションに立つ、という誘惑に無条件で屈してしまうような、そういうタイプだったのである。
けれど、人生で出会った「先生」のほとんど全てにとって、私は愛弟子ではなかったろうと思う。一時は愛弟子と思って下さった時もあったかもしれないが、少なくとも今は、私はどの先生にとっても弟子とは呼びがたい存在に違いない。「影響を受けている」くらいのことは、かろうじておっしゃっていただけるかも知れないが。
私にとって、かの先生方の存在はどれも大きく、私という存在を形成する重要な力であったと述べたところで、大した慰めにもなるまい。先生方は恐らく、苦虫を噛みつぶしたような顔でおっしゃるだろう、
「私はあなたを形成するためにいた訳じゃありませんよ」と。
「私はあなたに私の大切なものを継承してもらいたかったのです。けれどあなたは……」
それが結局のところ全ての原因なのだと思う。
端的に言えば私はあまりに我が強かったのだ、ろう。
全ての先生の素晴らしい世界に私は感嘆し、謹んで敬意を表し、誉め称えたけれど、「ではあなたがこれを受け継いで同じように、あるいはこれ以上にしてください」という有言無言の希望には、結局応えたことも、応えられたこともなかった。
ある瞬間、先生の期待が一定以上に達し、さあここから先が本番ですよとなった時に、私は決まって息苦しくなり、力を失い、どうやっても動けなくなり、こそこそと逃げるように去るのだ。
今にして思うと、私が先生に求めていたものは、広大な知識と高々とした技術と汲めども尽きぬ叡智、だけではなく、私という個人に対する理解と愛情だった。
先生の考えを理解し、知識を学び、技術を真似ることができるから、ではなく、私という個人であるからこそ尊んでもらいたかった。
それは結局のところ、平凡極まりないだけでなく無力で低能な私という存在を過大評価してください、と言うのに恐らく限りなく近い(近いが、本当は異なるのかもしれない)。だから、その願いが叶ったことは、あまりない。
それでも私には、私自身ですらどうにも圧殺できない欲求がある。
だから私は、今、先生という存在に常に一定の距離を保っている。それがお互いの幸福のためだろうと、今のところは思っている。
森鴎外が短篇「妄想」で「帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行かうとは思はなかつた。多くの師には逢つたが、一人の主には逢はなかつたのである。」と述べた一文を、心のどこかに引っかけて。
そんな私の中で、今も痛みなく思い返せる「先生」は全て、とてもあわあわとした交流しか持たなかった、けれどとても印象深い人々である。
大学で英語と、英語の精神を語ってくれた、アルフレッド大王を専門とする教授。
学科内で、担当ではなかったが、たまにすれ違うと何故か楽しい会話を交わすことができた教授。
音楽に合わせて語るという朗読を教えてくれた女優。……
彼らは、私のことをもう覚えていないかもしれない。もしかしたら、やじろべえのように奇妙な精神の均衡を保っていた、少女じみた雰囲気の女性のことを、覚えているかもしれない。
いつかかの先生方にお会いした時、少しは誇りに思っていただけるように、私は何とか死なずに生きていくよりほかないのである。
先生の後に付き従う愛弟子ポジションに立つ、という誘惑に無条件で屈してしまうような、そういうタイプだったのである。
けれど、人生で出会った「先生」のほとんど全てにとって、私は愛弟子ではなかったろうと思う。一時は愛弟子と思って下さった時もあったかもしれないが、少なくとも今は、私はどの先生にとっても弟子とは呼びがたい存在に違いない。「影響を受けている」くらいのことは、かろうじておっしゃっていただけるかも知れないが。
私にとって、かの先生方の存在はどれも大きく、私という存在を形成する重要な力であったと述べたところで、大した慰めにもなるまい。先生方は恐らく、苦虫を噛みつぶしたような顔でおっしゃるだろう、
「私はあなたを形成するためにいた訳じゃありませんよ」と。
「私はあなたに私の大切なものを継承してもらいたかったのです。けれどあなたは……」
それが結局のところ全ての原因なのだと思う。
端的に言えば私はあまりに我が強かったのだ、ろう。
全ての先生の素晴らしい世界に私は感嘆し、謹んで敬意を表し、誉め称えたけれど、「ではあなたがこれを受け継いで同じように、あるいはこれ以上にしてください」という有言無言の希望には、結局応えたことも、応えられたこともなかった。
ある瞬間、先生の期待が一定以上に達し、さあここから先が本番ですよとなった時に、私は決まって息苦しくなり、力を失い、どうやっても動けなくなり、こそこそと逃げるように去るのだ。
今にして思うと、私が先生に求めていたものは、広大な知識と高々とした技術と汲めども尽きぬ叡智、だけではなく、私という個人に対する理解と愛情だった。
先生の考えを理解し、知識を学び、技術を真似ることができるから、ではなく、私という個人であるからこそ尊んでもらいたかった。
それは結局のところ、平凡極まりないだけでなく無力で低能な私という存在を過大評価してください、と言うのに恐らく限りなく近い(近いが、本当は異なるのかもしれない)。だから、その願いが叶ったことは、あまりない。
それでも私には、私自身ですらどうにも圧殺できない欲求がある。
だから私は、今、先生という存在に常に一定の距離を保っている。それがお互いの幸福のためだろうと、今のところは思っている。
森鴎外が短篇「妄想」で「帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行かうとは思はなかつた。多くの師には逢つたが、一人の主には逢はなかつたのである。」と述べた一文を、心のどこかに引っかけて。
そんな私の中で、今も痛みなく思い返せる「先生」は全て、とてもあわあわとした交流しか持たなかった、けれどとても印象深い人々である。
大学で英語と、英語の精神を語ってくれた、アルフレッド大王を専門とする教授。
学科内で、担当ではなかったが、たまにすれ違うと何故か楽しい会話を交わすことができた教授。
音楽に合わせて語るという朗読を教えてくれた女優。……
彼らは、私のことをもう覚えていないかもしれない。もしかしたら、やじろべえのように奇妙な精神の均衡を保っていた、少女じみた雰囲気の女性のことを、覚えているかもしれない。
いつかかの先生方にお会いした時、少しは誇りに思っていただけるように、私は何とか死なずに生きていくよりほかないのである。
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