生存報告2005年06月28日

 考えてみれば、私が生きているかどうかなんぞ、全く大した問題ではない訳なのですが。
 とは言え、たぶん何か意味があってここに在るはずで、その意味が何なのかは生涯知ることはないのかも知れないけれど、とりあえずは全うせねばなるまい、とは思うのです。
 とりたてて世間様に貢献できるような美徳があるでなし、むしろ失敗と迷惑に彩られた人生を歩んでいる私ですが、水がなければ生きていけないのと同様に、書いていなければ生きていけないので、このようにやくたいもない言葉を連ねることで、生存の信号としておこうかと思う次第です。
 このような私でも、一応生死や健康を心配してくれる、心の広い知人もおりますので、以後当分は、こちらでその辺り確認していただければ幸いです。

 近頃思うのは、悩み事を人に相談するのが下手になってきたなぁということです。
 周りの人は忙しく、重い責任を負う立場に就く年齢になってきたのに、翻って私の方は、年を追うごとにますます厄介な人格になっていきます。今の私が悩み事を相談するとしたら、たっぷり六時間くらはかかるのではないかと思うのです。そして複雑な人間関係にからめとられて、言ないことは増えていきます。
 まぁ、とりあえず「書く」ということにはそれなりの自己治療力があると思うので、少しずつ解きほぐしていけるとよいですね。

不可能2005年06月29日

昔のパイプオルガンで音楽を奏でているかのように、思考の踏み板を必死になって動かして空気を入れる。
そんな感じでやったことは、文章書きであれ何であれ、あんまり出来がよくないことが多い。手持ちの駒で、さらりとやったことの方が、評価される。
そういう、達成感のないやり方というのが嫌で、ちょっと高めのハードルに挑戦すると、出来が悪くてさんざんに諭されるか、私の心にひびが入るか、という羽目になる。
自己嫌悪の根っこを探っていくと、その辺りに行き着く。
不可能を可能にする方法、実る努力のやり方を知りたいものだと思う。

判断保留2005年06月29日

文章を書くということを始めてずいぶん長い年月が経っているというのに、未だに、
「自分にとって出来のいい文章」と
「他人が読んで出来がいいと思う文章」が
一致しないというのが、不思議でしょうがありません。
過去のページの文章を、色々と整理整頓している訳なのですが、自分の好みで選択すると、ただでさえ少ない読者の方、ばっさりと減る気がいたします。
いずれは、混乱を極めているフォルダ構造なんかもきれいにせねばならないのですが、今はそのことを考えるだけで気が遠くなります。

残してほしいファイルがあれば、コメントしておいてください(笑)。さもないと、綺麗さっぱり消える可能性があります。

前悔2005年06月30日

明日からほぼ一ヶ月間、平日に用事が入ることになっている。色々事情があって、気合い負けして受けた用事だ。昼間の間はほとんど拘束されることになる。
拘束される用事は断ろうと、ほんの数ヶ月前に決めたばかりだというのに、このていたらく。しばらくは、先を思って胃を痛くする日々が続く。
用事の前に、気が滅入るのは、いつものことだ。私はあまり後悔はしない人間だけれど、避けられそうにない未来に悔やむことが多い。

ただひとつだけ言い訳をすると、この用事は、始めの話ではそんな長期間のものではなかった。せいぜい十日前後で、またその内容も、ずいぶん異なっていたのだ。
それくらいなら何とかクリアできるかな、と私は思い、OKを出した。そうしたら、その後色々と話が違ってきて、「そうだとわかっていたら引き受けなかったのに」という用事になってしまったのである。

人生は色々、ひとには都合というものがあるのだから、話が違ってくるというのはよくあること、だとは思う。
でも、私はこういう不意打ちに、本当に弱い。当初聞いていたよりも、ずいぶん違うものを要求されるようになり、負担も増えていって、くじけてしまったことが、過去に何回かある。
臨機応変、トラブル大好き、危機対応能力にすぐれた人というのが、世の中にはたくさん存在していて、そういう人から見ると、私のような人間は、何ともつまらない無能な人に見えることだろう——と、しょんぼり。
たぶん、私は普通に生きているだけで、結構余裕のない人間なんだろう。何かを成す時に必要な力というものを、いつもぎりぎりに見積もっているから、目論見が外れて粉々に砕け散ることが多いのだ。
とりあえず、今回の用事が終わったら、今度こそ、本当に今度こそ、負担の大きくなりそうな用事は入れないようにしよう。