退院後2013年10月07日

 9月の頭にちょっと入院・手術しまして、なんだかんだとありましたが、体調も戻って来ました。
 入院の時の話は、まとめてどこかに書き残しておこうと思っています。自分も入院前に体験談を探した口なので、まあ多少の恩返し程度に。このブログに書くか、別の専用ブログを立てるかはわかりませんが。
 深刻な内容の病気では全然なかったので、闘病記ではなく覚え書きのようなものになると思います。

 もうほとんど生活は普段通りなのですが、まだ完全に体力が戻ってるという訳ではないみたいで、外出した時の無理が効きません。電車やバスを待つ時に立っているのがきつく感じます。
 そのせいで、生来の引きこもり・怠け生活に拍車がかかっていてよろしくありません。
 割と好きな風景画家のターナーの展覧会が始まるみたいですし、ここらでもう少しがんばってお出かけしたいところですが。

感想文2013年10月08日

 映画やドラマなどの「映像表現」を、私はほとんど見ない。映画を観るという活動を思い出すことすら、私の生活にはなくて、それは別に映画が嫌いとかそういうことではない。単純に、私は映像表現との縁があまりないのだと思う。
 けれど、おかしなことにと言われそうだが、私は映画について書かれた「文章」を読むのが結構好きである。ネタバレもちろんおかまいなし。そしてレビューに感服して感動しておきながら、肝心要の映画を観ない、という背徳を毎度やらかしている。

 観てもいない映画(映画に限らないが)のレビューを読むということの、最大の楽しみにして長所。それは、もとの作品について先入観を持っていない分、そのレビュー自体の文章のエネルギーや、レビュアー自身がどれだけのものを作品から持ち帰ることができたのかということが、とても明確にわかることである。
 すでに自分が観賞済みの作品、しかもそれについて好き嫌いの感情がある作品だと、なかなかこうはいかない。どうしても自分の考えを補強してくれるレビューを持ち上げたくなってしまう。
 けれど、もとの作品が面白いかつまらないか何にもわからない状態だと、そういう派閥バイアスをかけられない分、書き手の姿がはっきり見えてしまう。

 どれだけ真摯に対象に向かい合っているか、どれだけ対象から何かを得ようと努力しているか、そして、自分のその気持ちを他の人にわかってもらえるようにどれだけ言葉を尽くしているか。もっとあからさまに言えば、「文章として読んでて面白いか」。
 レビューは、高みで他人の創作物を批評する気楽な遊びではなく、その書いたもので世界と対峙することを余儀なくされる、そういう性質の活動なのだと実感する。ま、端的に言えば、「映画がつまらんのではない、オマエがつまらんのじゃ」という罵声を噛みしめられるかという話なのだろう。