意志を強く持て君よ2011年07月18日

 今私が使っているのは、MacBookAirというノートパソコンである。これは過去に私が使った工業製品の中でも、五本の指に入る、魅力ある製品だと思っている。
 文章を書き、スケジュールを確認し、情報を管理し、ネットコンテンツを網羅し、電子書籍を読むのにあたって、とても心強い相棒である。
 だけれど、近頃の私は、この文句のつけようのない素晴らしい相棒が、素晴らしいからこそ、私にとって問題を起こすのではないかと、時々思う。

 朝起きてから夜寝るまで、私は結構な時間をこの機器に触れて過ごす。そこには最も高邁な使命から、最もいい加減な欲求まで、大抵のものがある。スリープ状態にしていてもほとんど電力を消費しないこの機器は、基本的に電源を切られることがないし、手を伸ばせばすぐに届くところにある。

 だからこそ、苛々したり、考える気力がなかったり、その他厄介な状態にいる時にも、私はこの機器を手に取って、全然創造性もないし有害でさえあるものに、時間を費やすこともできる。

 もしかしたら本当は、私は、こんな風にいつでも手に取れるような状態で、この機器と向かい合うべきではないのかも知れない。そんなことを最近はよく思う。活字中毒をやり過ごすために、電子の海にさまよう大量の文字たちを網ですくって陸にぶちまけるようなことではなく、もう少しましなことに使うべきなのではないかと。
 そのためには、こんな風に手軽な状態ではなく、もう少し背筋を伸ばして向かい合う状態の方がいいのではないかと。

 とはいえ、私のような空間を扱うのが下手な人間にとって、小さなスペースでありとあらゆる要素を乗りこなしてくれる(しかもさほどの電力も消費せずに)この相棒が、得難いものなのは確かで、要は私自身が強い意志を持って、自分にとってあまり実りのないものを頑として退けるしかなかろうと、思うのである。