回顧 ― 2010年12月30日
昨日は終日外出でした。
ひとりで外出したら久しぶりに道に迷って、1時間ほど荷物を抱えて彷徨してました。iPhoneを使うようになってから、秀逸なマップ機能のおかげで迷子になることはとても少なくなっていたのですが、ここに書くのもはばかられる様々な間抜けなミスが重なって、久々にやらかした感じです。
ちなみに、別件が入ったために後からひとりでやってきた軽鴨の君は、初めて来たはずの同じ道を、脳内地図だけでノーミス最短距離で踏破し、方向感覚遺伝子の格の違いを見せつけた次第。
まだ買物などが少し残っている気がしますが、これにて今年の私の予定はほぼ終了。後は掃除をして、台所仕事をするくらいです。
今年は、春にお鳥様が天に帰られ、夏にmixiの方でかなりきつい出来事に見舞われ、秋から冬にかけて珍しく社会活動が入ったものの、どうにもこうにも、なんともかんとも、という年でした。
軽鴨の君の会社は新製品を出したり、お友達の漫画家さんが初単行本を出版して即重版がかかりそうな勢いで売れていたり、別のお友達夫婦にご長男が誕生したりと、私の周囲ではめでたく楽しい話題が多かったので、世界全体の総和としてはそれなりにプラスだったのだろうと思いますけれど。
新しい人との出会いもありましたし、何よりFFXIVも発売されましたし!
けれど私の個人的な心境は、今年を振り返ると、自分という存在が世界の中でどれほど無力で無意味な存在であるのかという放射能のような認識を、骨の髄まで浴び続ける年だった印象です。大学院時代以来の久々の感覚ですが、まぁでも、あの頃よりは普通に笑ってにこにこ元気なさとみんという外形を保ち続けることに成功しているので、私も成長しているということなのでしょう。
恐らくこの感覚は来年も続いて、抜けるとしたら再来年の後半以降のことになると思うので、その頃までに私がこの放射線に耐え抜いて多少はましな生き物になるのか、何も学べぬままどこかが壊れて元気にさとみんロールプレイを続けていくのか。
再来年のことなど、鬼が笑わなくとも今は考えることなどできませんが、もうこの年齢になると1年2年などあっというまの瞬く間のできごとです。
耐えられないと思った数多くの出来事も、結局は過ぎ去ってしまい今こうして私は生きているのですから、これからも耐えられぬことなどあろうはずもありませんしね。
人生にはこういう、どうにもならぬ時は必ずあるものです。私という存在のどうにもならなさ、無意味さから逃れることはできなくても、世界の幸福をわが幸福として祝える時は必ずやってくるので、やり過ごしていけるのだと思います。
とりあえずひとやすみしたら、玄関と廊下と部屋の床の掃除をいたします。そんな年末の一日。
ひとりで外出したら久しぶりに道に迷って、1時間ほど荷物を抱えて彷徨してました。iPhoneを使うようになってから、秀逸なマップ機能のおかげで迷子になることはとても少なくなっていたのですが、ここに書くのもはばかられる様々な間抜けなミスが重なって、久々にやらかした感じです。
ちなみに、別件が入ったために後からひとりでやってきた軽鴨の君は、初めて来たはずの同じ道を、脳内地図だけでノーミス最短距離で踏破し、方向感覚遺伝子の格の違いを見せつけた次第。
まだ買物などが少し残っている気がしますが、これにて今年の私の予定はほぼ終了。後は掃除をして、台所仕事をするくらいです。
今年は、春にお鳥様が天に帰られ、夏にmixiの方でかなりきつい出来事に見舞われ、秋から冬にかけて珍しく社会活動が入ったものの、どうにもこうにも、なんともかんとも、という年でした。
軽鴨の君の会社は新製品を出したり、お友達の漫画家さんが初単行本を出版して即重版がかかりそうな勢いで売れていたり、別のお友達夫婦にご長男が誕生したりと、私の周囲ではめでたく楽しい話題が多かったので、世界全体の総和としてはそれなりにプラスだったのだろうと思いますけれど。
新しい人との出会いもありましたし、何よりFFXIVも発売されましたし!
けれど私の個人的な心境は、今年を振り返ると、自分という存在が世界の中でどれほど無力で無意味な存在であるのかという放射能のような認識を、骨の髄まで浴び続ける年だった印象です。大学院時代以来の久々の感覚ですが、まぁでも、あの頃よりは普通に笑ってにこにこ元気なさとみんという外形を保ち続けることに成功しているので、私も成長しているということなのでしょう。
恐らくこの感覚は来年も続いて、抜けるとしたら再来年の後半以降のことになると思うので、その頃までに私がこの放射線に耐え抜いて多少はましな生き物になるのか、何も学べぬままどこかが壊れて元気にさとみんロールプレイを続けていくのか。
再来年のことなど、鬼が笑わなくとも今は考えることなどできませんが、もうこの年齢になると1年2年などあっというまの瞬く間のできごとです。
耐えられないと思った数多くの出来事も、結局は過ぎ去ってしまい今こうして私は生きているのですから、これからも耐えられぬことなどあろうはずもありませんしね。
人生にはこういう、どうにもならぬ時は必ずあるものです。私という存在のどうにもならなさ、無意味さから逃れることはできなくても、世界の幸福をわが幸福として祝える時は必ずやってくるので、やり過ごしていけるのだと思います。
とりあえずひとやすみしたら、玄関と廊下と部屋の床の掃除をいたします。そんな年末の一日。
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