悪夢、良夢 ― 2010年01月10日
私は妙にストーリーの細かい夢を見ることがあるのですが、そういう時、自分がその中にいるというより、夢の中のある人物の視点を借りる形で体験したり、夢の中で書物や演劇や映画のようなフィクションを鑑賞する「劇中劇」のような形で体験したりすることが多いです。
夢は自分の心の中の色々なあれこれを処理するものなので、その処理の過程で自分が直接的に関与するなまなましさに耐えられないための処置みたいで。
人によって、「悪夢」の定義は様々だと思いますが、私の場合は痛い目に遭うとか、怖いものが出てくるとかいうのが悪夢なのではなく、「悪い結果になるのが見えているのにそれを避けることができないのがわかる」という状態が最も辛い悪夢です。
自分の「望む状況」があって、そこに沿っていくようにしているのに、そこに物語をどうしても向かわせることができず、破綻していって目が覚めて時間切れ、になってしまうのが私の悪夢なので、怖さを説明するのが難しいことが多いです。
日常生活でストレスが溜まっていたり、考えていることがにっちもさっちもいかなくなったりして、ため息をつきながら丸くなって眠る時、たまに夢の中に決まった人々が現れます。いわば夢の準レギュラーというか。
その中でも、デウス・エクス・マキナといいますか、割と何でも力任せに解決してしまえる人がいて、その人が出ると基本的に夢見はよくなります。何しろあらゆる破綻を全て引き受けても、ものともせずに解決してしまうのです。
なので、疲れて眠る時には、よくその人が来てくれるといいなぁと、他力本願に思ったりもします。
夢は自分の心の中の色々なあれこれを処理するものなので、その処理の過程で自分が直接的に関与するなまなましさに耐えられないための処置みたいで。
人によって、「悪夢」の定義は様々だと思いますが、私の場合は痛い目に遭うとか、怖いものが出てくるとかいうのが悪夢なのではなく、「悪い結果になるのが見えているのにそれを避けることができないのがわかる」という状態が最も辛い悪夢です。
自分の「望む状況」があって、そこに沿っていくようにしているのに、そこに物語をどうしても向かわせることができず、破綻していって目が覚めて時間切れ、になってしまうのが私の悪夢なので、怖さを説明するのが難しいことが多いです。
日常生活でストレスが溜まっていたり、考えていることがにっちもさっちもいかなくなったりして、ため息をつきながら丸くなって眠る時、たまに夢の中に決まった人々が現れます。いわば夢の準レギュラーというか。
その中でも、デウス・エクス・マキナといいますか、割と何でも力任せに解決してしまえる人がいて、その人が出ると基本的に夢見はよくなります。何しろあらゆる破綻を全て引き受けても、ものともせずに解決してしまうのです。
なので、疲れて眠る時には、よくその人が来てくれるといいなぁと、他力本願に思ったりもします。
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