夕陽2006年08月02日

私の住んでいる住宅街は高速道路に程近いところにあるので、10分も歩いていると、たちまち埃っぽいビル風が吹き荒れる車通りの多い道路に入りこんでしまいます。
けれど、それを避けて歩いていれば、緑のおすそわけに預かれます。東京二十三区で一番緑の多いところ、だそうで、確かにあちこちに畑があり、緑地があり、植物があります。明らかに昔ながらの地主さんであろうと思われる屋敷があちらこちらにあり、垣根から覗ける庭には、妖精のひとりやふたり住んでいても全く驚かない高い樹が空を見上げていることもしばしばです。
高い樹というのは、今の東京の住宅街ではなかなか見られないもので、おかしなデザインの公共建築物なんぞは到底かなわない、荘厳な霊気をまとっています。
歩いていくと、ぽっかりと市民農園に出て、とうもろこしやにんじんや玉ねぎやなすが礼儀正しく整列している上に、うっすらと雲をかぶって夕陽が懸かっているのが見えます。
晩夏の夕陽は、よく熟れた木の実のように大きく丸く赤く、その代わりちょっと物静かに黙っています。手をのばしたらもぎとれそうな気になります。もう秋が来るのだとわかる瞬間です。
夕方の散歩の空気を吸いこむと、小さい頃に戻ったような感覚が戻ります。家族と歩いたり、ひとりで空を見上げていたり、していたあの頃。世界が広くて、自分の人生が可能性に満ちている、なんて愚かな感慨などひとかけらもなかった頃の自分を。けれど、あれから時間が経って私はずいぶん変わったように思っていたのですが、本当は同じなのでしょう。空を見上げる顔は、自分で見ることはできないけれど、何にも変わっていないと確信してしまうのです。