更正指導訓練2006年04月01日

数日来、抑鬱が続いています。今日は友達が集まってお花見をやっていたのですが、とてもではないけれど楽しい顔を見せるなど難しいので、パスしました。
そんな私を見かねて、軽鴨の君がリハビリテーションのために映画に連れ出し、春の街をぽてぽてと歩いたりしていました。
桜は、触れたらぱちんとこちらを弾くような勢いのよさで、咲いていました。そこにあるのは魔性というよりも、まっすぐな成長の力、ただ純粋なそれだけ、という気がしました。
ポップコーンを頬ばる子供。キャラメルの匂い。数珠繋ぎになるクルマ。涼しいというにはまだ少し冷ややかな強い風。それに舞い上げられる埃と砂と花粉。空気に満ちる、淡い淡い桜色。
私の抑鬱は、軽くなるということは少なくとも今はなく、その原因もある程度見えてはいるもののどうしようもないもので。
時が動くか、物事が変わるか、私が勇気を振り絞って何かを捨てるか、それとも奇跡が起きるか、ともあれそう簡単には解決しそうもない、根の深いものではありますが、しかし、今こうして魂がざっくりとひび割れているような時であっても、そこにはある種の幸せがあるのだと思います。
在るべき状態というのとは、全く違う意味で、しかし私は幸せなのだと。
とはいえ、そういう確信というものは、なかなか伝えることは難しく、口に出してみると急にいかがわしいもののように見えてしまうものです。
蛍光灯の下で見る宝石が、どこかしら紛い物めいた光を放つのと、似たようなものかも知れません。