女房詞 ― 2006年01月31日
大昔からそうであったように、今はとても日本語が乱れているそうで、若者は正しく美しい日本語が全然使えなくてもう駄目なんだそうです。
まぁ、この手の話はあまり信用していないのですが(ポンペイの時代からある恨み言ですし)よく言われる「乱れた日本語」のひとつに、過剰敬語というやつがありますよね。
「お客様のお名前様をお書類にご記入たまわりまして、こちらにお渡しいただければ後ほどこちらからご送付させていただきます」
といった、あれ。
(エステサロンでは「おサイズダウン」という楽しい単語があるらしいのですが、本当ですか?)
この過剰敬語が気持ち悪い、という感覚は共有できるのですが、一方で「本来の敬語ではやはり物足りない、丁寧な感じが不足する気がする」という気持ちもまた、何となくわかるのです。
以前、漫画の「あたしンち」で
「『〜〜のほう』がついてないと、直箸で大皿から料理を食べちゃってるよな感じがする」
という秀逸な表現がありましたが、確かにそういう緩衝材の役割を果たす、婉曲さを示す言葉が、なかなか見つかっていないような気がします。
特に接客業というのは、基本的には単なる丁寧さだけでなく、非日常的な「場の雰囲気」を形成し維持しなければなりませんから、「正しい言葉」がふさわしいとも限らないのかもしれません。
「トイレ」というよりは「おトイレ」、「時計」よりは「お時計」みたいな表現は、そういった「場の雰囲気の形成」のためのものであるように思えます。
と考えた時私が思い出したのは、「女房詞」というものです。宮中奉仕の女官が用いた隠語的表現ですね。飯が「おだい」だったり杓子が「しゃもじ」だったり味噌汁が「おみおつけ」だったりする訳ですが、これも恐らく、同じような根っこから発生した言葉だと思うのです。(調べてないので、違ったらごめんなさい)
となれば、「正しい日本語」を守りつつ、なおかつサービス業の要望にも応えるために、新たな現代的「女房詞」を作り出すべきではないでしょうか(笑)。
時計とか名前とか書類とかサイズダウンといった単語を、婉曲にかつ美しくほどよく意味不明に表すことばを新たに作り、それを定着させると、日本語が乱れることも減り、みんなが喜ぶと思うのですが……いかがでしょう。
まぁこの方法の欠点は、誰かが押しつけて言葉が定着したという事例が、歴史上あんまりないということなのですが、ね。
まぁ、この手の話はあまり信用していないのですが(ポンペイの時代からある恨み言ですし)よく言われる「乱れた日本語」のひとつに、過剰敬語というやつがありますよね。
「お客様のお名前様をお書類にご記入たまわりまして、こちらにお渡しいただければ後ほどこちらからご送付させていただきます」
といった、あれ。
(エステサロンでは「おサイズダウン」という楽しい単語があるらしいのですが、本当ですか?)
この過剰敬語が気持ち悪い、という感覚は共有できるのですが、一方で「本来の敬語ではやはり物足りない、丁寧な感じが不足する気がする」という気持ちもまた、何となくわかるのです。
以前、漫画の「あたしンち」で
「『〜〜のほう』がついてないと、直箸で大皿から料理を食べちゃってるよな感じがする」
という秀逸な表現がありましたが、確かにそういう緩衝材の役割を果たす、婉曲さを示す言葉が、なかなか見つかっていないような気がします。
特に接客業というのは、基本的には単なる丁寧さだけでなく、非日常的な「場の雰囲気」を形成し維持しなければなりませんから、「正しい言葉」がふさわしいとも限らないのかもしれません。
「トイレ」というよりは「おトイレ」、「時計」よりは「お時計」みたいな表現は、そういった「場の雰囲気の形成」のためのものであるように思えます。
と考えた時私が思い出したのは、「女房詞」というものです。宮中奉仕の女官が用いた隠語的表現ですね。飯が「おだい」だったり杓子が「しゃもじ」だったり味噌汁が「おみおつけ」だったりする訳ですが、これも恐らく、同じような根っこから発生した言葉だと思うのです。(調べてないので、違ったらごめんなさい)
となれば、「正しい日本語」を守りつつ、なおかつサービス業の要望にも応えるために、新たな現代的「女房詞」を作り出すべきではないでしょうか(笑)。
時計とか名前とか書類とかサイズダウンといった単語を、婉曲にかつ美しくほどよく意味不明に表すことばを新たに作り、それを定着させると、日本語が乱れることも減り、みんなが喜ぶと思うのですが……いかがでしょう。
まぁこの方法の欠点は、誰かが押しつけて言葉が定着したという事例が、歴史上あんまりないということなのですが、ね。
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